第11話

“…これでいいか”と言いながら、たぬきは盃を前に出す。


そこにワンカップの日本酒を注ぎ、ちらっとたぬきに目配せすると、じっと注がれるのをただ見ていた。


深さのない盃はワンカップすべてを受け入れるには至らず、けれど、残量もお気持ち程だけであった。


“…残ったのどうする?”


空にかざしたワンカップを見上げたたぬきは、ほんの少し見ただけで、こちらに目を合わせる。


よそ見無くじっと見つめられ、もしかして飲みたいのかと思い、残りの酒をたぬきの前に差し出した。


けれど、たぬきはくるっと体をまわして両手で支えた盃を頭の上で持ちながら、そのまま軽快に走って行く。


一瞬、呆気にとられながらも真っ直ぐと田畑広がる線路沿いの暗闇に、健気な背中を見送っていた。


そしてほんのわずかに、たぬきの周りがぼんやりした満月の様に灯り、消えていくのが分かった。 


外灯の下で一人。


夢見心地な気分を抱え、深夜の住宅地に足を踏み入れた。


人気の静まった深夜に、不思議と怖さは無かった。



翌朝、布団に入る陽射しに眠気眼にしわ寄せながら、上体を起こす。


枕許に放たれたスマホを寄せ時間を確認すると、もう昼近くになっていた。


(昨夜の出来事は、夢…じゃないよな…)


ぼんやりと台所に行くと、あのワンカップが置いてある。


それを手に取り、ただじっと見つめた。


盃に注いだ残りは、帰路の途中で飲んだのを思い出す。


本当に夢では無かったのだと、軽く頬を摘まんでいた。


その時、着信音が響き渡る。


部屋に踵を返して電話に出たーーー母親からだ。


「…もしもし」


しばらく振りの母からの伝言は、こうだ。


“来月に祖母の七回忌を一区切りに、最後だから来るように。”


それを聞いて、目の奥からじわじわと熱いものが溢れ出す。


「…ちゃんと聞いてる?」


何とか声をくぐもらせて、上手く誤魔化し返事する。


“大丈夫?何かあったの?”と母の返答に適当に受け流し、電話を終わらせた。


台所の空き瓶が何だかいとおしく、とても微笑ましかった。


《追伸》

去年、無事に祖母の七回忌を執り行いました。


祖母の住んでいたあの家は遺言通り、古い為取り壊し、その跡地は親戚筋を頼って近所の方や遠方の人達のための憩いの場となりました。


そこでは御手洗いや、野菜を洗う水場、また、山の湧水が出るため、汲める様に整備したと伝え聞いてます。


今年の夏に、是非見に行く予定です。


それと、祖母の七回忌当日に墓参りから戻ると、所々欠けた縁の朱色の盃が縁側の下に置いてあった事を、お伝えしておきます。

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夏の憂鬱 碧 里実 @from-iland

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