2025年5月11日 06:17
第4話への応援コメント
こんにちは。家父長制アンソロジー『父親の死体を棄てにいく』の志に共鳴し、カクヨムでは「雪の晩鐘」を書いた下村と申します。 このたびこちらの作品を再読し、何かしら書いておくべきだという考えに至りましたので、コメントいたします。 歴史の教科書に太字で掲載されているような偉人を英雄的にデフォルメして語る、大河ドラマ的な物語は世の中に数多くあります。僕は幼少期から『三国志』のファンであり、そうした作品の数々に胸を躍らせてきたものです。しかしその一方で、「ドラマティックな物語的な歴史」の影で悲鳴をあげ続けた人々がいたこと、現在も存在していることについて、無関心でいるべきではないとも思っています。 作中に登場する法律やテクノロジーは、後者の側の視座に立っているように見えます。歴史の大渦のなかで踏みにじられ、すり潰されて消えてしまうはずだった「声」を拾い上げよう、という「大義」に基づいて考案されたものなのではないかと想像します。 驚愕させられたのは、この作品がそのさらに先に向けてアクセルを踏み込んでいる点です。帰ってきた人々は、悲惨な歴史を語り継ぐ「声」の機能のみを忠実に果たせるわけではなく、また社会の側がそれを強いるべきでもないということ。社会に適応するために記憶を封じ込めたとしても、肉体は牢獄として機能するし、精神もその支配下にあるということ。 世の中のあらゆる仕組みは本来、個々人の権利を守り、幸福を達成するために存在すべきだとの立場を、僕は採用しています。よって仕組みが「家」「学校」「国」「民族」「歴史」といった枠組みのイメージ形成自体を目的として運用されるのは筋違いだろうと考えるものです。作中で言及される「居心地の悪さ」は、そうした「大義」のために「私」を剥奪されることへの抗議としてあるのではないかと思うのです。 この凄まじい作品に対し、適切な言葉を尽くせたとは思っていません。しかしほんの僅かでも、畏敬の念が伝わりましたなら幸いです。
第4話への応援コメント
こんにちは。家父長制アンソロジー『父親の死体を棄てにいく』の志に共鳴し、カクヨムでは「雪の晩鐘」を書いた下村と申します。
このたびこちらの作品を再読し、何かしら書いておくべきだという考えに至りましたので、コメントいたします。
歴史の教科書に太字で掲載されているような偉人を英雄的にデフォルメして語る、大河ドラマ的な物語は世の中に数多くあります。僕は幼少期から『三国志』のファンであり、そうした作品の数々に胸を躍らせてきたものです。しかしその一方で、「ドラマティックな物語的な歴史」の影で悲鳴をあげ続けた人々がいたこと、現在も存在していることについて、無関心でいるべきではないとも思っています。
作中に登場する法律やテクノロジーは、後者の側の視座に立っているように見えます。歴史の大渦のなかで踏みにじられ、すり潰されて消えてしまうはずだった「声」を拾い上げよう、という「大義」に基づいて考案されたものなのではないかと想像します。
驚愕させられたのは、この作品がそのさらに先に向けてアクセルを踏み込んでいる点です。帰ってきた人々は、悲惨な歴史を語り継ぐ「声」の機能のみを忠実に果たせるわけではなく、また社会の側がそれを強いるべきでもないということ。社会に適応するために記憶を封じ込めたとしても、肉体は牢獄として機能するし、精神もその支配下にあるということ。
世の中のあらゆる仕組みは本来、個々人の権利を守り、幸福を達成するために存在すべきだとの立場を、僕は採用しています。よって仕組みが「家」「学校」「国」「民族」「歴史」といった枠組みのイメージ形成自体を目的として運用されるのは筋違いだろうと考えるものです。作中で言及される「居心地の悪さ」は、そうした「大義」のために「私」を剥奪されることへの抗議としてあるのではないかと思うのです。
この凄まじい作品に対し、適切な言葉を尽くせたとは思っていません。しかしほんの僅かでも、畏敬の念が伝わりましたなら幸いです。