第10話 スペシャルリラックスコース
綿貫先輩が家に来るのはこれで二回目だけど、俺の部屋に通すのは初めてだ。
そのことに、廊下を先導してる途中で気がついた。もう緊張してる暇もないけどさ。
「どうぞ。ここが俺の部屋であり、本日のスペシャルリラックスコースの舞台です」
「どうもありがとうお邪魔させてもらうよ」
ドアを開けて内部を披露すると、綿貫先輩は早口で俺の部屋に入っていき、中央のテーブルの前に正座した。ばばっ、しゅたっ、ってな具合だ。現実世界で倍速視聴してるかと思った。
そしてそのまま、視線を俺に固定して、ふんわり微笑んだまま対面のクッションへ手のひらを向けてる。
「本日はよろしく、飴本くん――さ、ゆっくりそこに腰かけてほしい」
「いつから俺の部屋の面接官になったんですか」
緊張をほぐすためのジョークだろうな。俺はくすりと笑ってしまった。
「……どうやら先輩風を吹かせすぎたようだね。ふふふ忘れて。というかこの部屋、気温が高いかもよ、もしかしたら」
綿貫先輩がいつもの涼しげな微笑みを浮かべたまま、顔をはたはた手うちわで扇いだ。あれ、今朝と同じぐらい顔が赤いような? 温度調節は事前にしておいたけどなぁ。
「クーラーの設定、下げましょうか? 先輩に快適に過ごしてもらうことが第一なので」
「そうさせてもらおう……リモコン、リモコンはどこかな……」
ようやく、綿貫先輩の視線が、俺の顔から部屋へとさまよい始めた。
凛とした表情のまま、ふらふらと周囲を見る姿は、どこかアンバランスに映る。
「男の子の部屋って初めて入ったんだけど、こんなにも家具のカラーは統一されてるものなのかな?」
「ああ、いえ……俺の部屋は、一般的な男子とは違うかもしれません。癒やし空間に特化してるので」
「癒やし……特化?」
まず、ベッドからカーテン、椅子にクッションまで全てが緑色で統一されている。
観葉植物もいくつか育てており、自室にいながら森林浴を楽しめるようなコンセプトを意識した。
「ま、見てもらったほうが早いですね。さっそく始めましょうか。カーテン閉めますね」
遮光性の高いカーテンで外の光を遮断してから、隅にある間接照明をフロアライトとして点ける。ぼうっ、と暖色に部屋がつつまれた。
「おお、ムーディな雰囲気になった……キミが見せたかったのはこれかな? ん、確かに癒やされるかも。ありがとう、ようやく落ち着いてきた――」
「これはまだ序の口です。プロジェクター起動しますね」
「!?」
俺は慣れた手つきでスマホを弄り、白い壁にいつもの映像を投射する。
日本のどこかの渓流を定点で映したものだ。ネットに上がってるお気に入り。三時間ぐらいある。
「スピーカーからヒーリングミュージックも流します。綿貫先輩が気にいらなかったら、いくつかプレイリストを用意しているので変更を――それと、アロマオイルも焚きます。スイート系でいいですか? バニラっぽい香りの」
「いいんだけど、ちょ、キミ止まんないねっ!? 五感をコンプリートせんとする勢いじゃないか!」
「あ、できれば肩のマッサージもさせてほしいです。それと、好物らしいクッキーも安物ですが買っておきました。紅茶と一緒に持ってきますね」
「触覚と味覚も流れるように回収した、だと……!?」
そう、これがスペシャルリラックスコースの全貌。壊れかけた自らを回復するために調整した真のとっておきだ。溜めてたお年玉を費やしてこの環境を完成させた。
「では準備してきます。戻ってきたら本番に入りましょうか」
「……お、お手柔らかにお願いします」
なんで敬語?
◆
綿貫先輩の肩は、思っていたよりも凝っていた。そういえば、芽衣も「でかいとホントに凝るんだよぉ」なんて愚痴ってたっけな。
いや、そんな情報は置いておこう。まずは感想でも聞いておこうかな。
「綿貫先輩、力加減はどうですか? 気持ちいいですか?」
「いま……聞かないでっ……! 声、がまん……しててっ」
よかった、『癒やし特化の部屋+肩へのマッサージ』がちゃんと効いてるっぽい。日頃から家族に肩揉まされて伸びた技術も役立ったな。
「家に誰もいませんし、どうぞ。我慢せず声を出すのもストレスに効きますよ」
「はぁっ、くっ、ぅ゛~……わ、わかったぁっ、ていうか、やばぃっ、あめもとくん、うぐぅっ、うますぎぅ♡ の、脳が喜びすぎてて、つぅっ……だめになっちゃう、これだめ、効きすぎるうっ♡ ぁああああああああああっ♡♡」
「ごめんなさい、やっぱり我慢しててください……」
家族がいたら通報されてた系の声だった。
俺ってまさかマッサージの天才? そうじゃなきゃありえない乱れ方してない? じ、自分が恐ろしくなってきたぞ。
「え、えっと、ここらで休憩しましょうか。まだ紅茶とクッキーに手を付けてないみたいですし」
「はぁっ、はーっ……うん……っ食べさせてもらうね、用意してくれてありがとう……けほっ……」
息も絶え絶えな先輩は、急な大きい発声で喉をすこし痛めたらしい、まだ暖かい紅茶をふた口ほど啜る。
湯気の立ち上るカップから血色のいい唇を離し、ほわぁと一息。そのまま、さくり、とバタークッキーを齧って、涙をこぼし始めた。
……な、泣きはじめた?
「……こんな安らかで嬉しいだけの時間、いつぶりかな……」
目からの雫は流れるままに落ちていき、顎を伝ってカップに落ちた。そ、そんなにも限界に近い状態だったのか。
「……飴本くんのこと第二のママって呼んでいい?」
「や、やめておきましょう。育てた覚えもなければ女性でもないので」
「むぅ……」
鼻をすんすん鳴らして目をこする彼女は――学校の美人な先輩というより、ただの『綿貫璃乃』って感じがした。
さっきのは俺がマッサージの天才というわけではなく、それだけ『綿貫璃乃』が癒やしを必要としてたんだろうな。きっと本人にも自覚なしに、常日頃から。
「気に入ったなら、またうちに来てください。先輩の抱えてる問題が解決するまではサポートしますので」
「……ずるい、ずるいよ。こんなの、リピートしちゃうに決まってる」
「芽衣もなんどか体験してますし、常連2号、いつでも歓迎ですよ」
「……いいのかな。私、キミにまだ何もしてあげられてないのに。この部屋に通わせてもらっても……」
「気にしないでください、先輩の問題が解決するまでは何も要りません。報酬も後払いでいいって言ったじゃないですか」
「……本当に内容を考えてからの発言なの、その報酬とやらは」
「そのうちお伝えしますねー、そのうち」
ジトりと睨まれてたので目を逸らした。
ほとんど問題を自分ごとに捉えてたから、見返りとかしっかり決めてなかったな。先輩にどうして欲しいか、まだ考えられてなかった。
強いて言えばアレかなぁ、うちのクラスの準・問題児――綿貫さん(妹の方)について教えてもらうとか……そのあたりか。
そう考えてたら、綿貫さん(姉の方)が困ったように笑う。
「私、なにを対価に差し出すか分からないまま、キミに甘えちゃうんだ……ギャンブルだね……悪魔との契約みたい」
「そんな、
「どうかな、取られてしまうかも……まぁ、キミが悪魔でも、いいよ……はいこれ、契約書がわりの握手」
差し出されたその指先には、まるで力が入ってない。脱力しているふにゃりとした手が俺を待っていた。
「あ、じゃあ、本契約ということで。これからよろしくお願いします」
「……部活休みの日は、必ず来るね」
脱力してたはずの先輩の手は思ったより強くて、伸ばした俺の指を絡めとるように、ぎゅぅっと握ってきた。
……契約の握手って、こういう感じじゃなかったような気がするなあ。
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