マリオネット・マギアネッタ

八木 羊

第1話アンハッピーバースデープレゼント①

***リリシュカ***


 星が生まれる時、その産声は光である──

 銀色の切っ先が水晶球の中心の暗黒に吸い込まれるように真っ直ぐと伸び、直後、砕けた破片は燃えるようにきらめいて飛び散った。破片はレッスンルームのくすんだ白い壁に大小の虹色の光を投げかけ、やがて無色の硝子片として床にぱらぱらと落ちていった。その束の間の明滅に目を奪われながら思い浮かんだのは、遠い昔、父の書斎で読んだ詩の一節だった。

「リリシュカ!」

 ヨハナの声に気付いた時には、すでに相手の一突きが私の首筋を掠めた後だった。向かい合う人形の眼球は割れ、その体は剣を突き出した勢いのまま床に倒れ込む。本来、この剣戟の敗者は私だ。私の操る人形は、私と剣を交えつつ、私の脇すれすれを剣で刺し、私は胸を貫かれたテイでその場に崩れ込む──そういう段取り。しかし、人形に剣を構えさせ、足を踏み込ませようと力を込めた瞬間、ぷつんと、私と人形の間の糸が切れた。その結果がこのざまだ。コントロールを失った人形を、私はとっさに突き返した。クラスメイトとその人形たちの目が一斉に私を向く。ヨハナが杖をついて駆け寄ってきた。

「大丈夫? ケガはない?」

「別に」

 私は掠り傷の一つもない首筋を見せつけるように髪をかき上げつつ、人形に近付いてその顔を覗き込んだ。人形の左目は三分の一ほどが欠けていた。模造刀の一突きで割れるほどやわな代物ではない。つまり、それは割れたのではなく、内側から崩壊していた。あの光彩は誕生の輝きではなく、むしろ死そのものだった。私は思わず奥歯を噛む。

「もしかして昨日の夜公演ソワレの? だとしたら、私が……」

 ヨハナが申し訳なさそうに俯く。その視線の先には彼女の左足があった。

「ヨハナは関係ない。私が酷使しすぎただけ」

 人形の眼窩から赤い煙が細くのぼる。この人形も駄目だった。私の力に耐えきれない。昨晩の時点で、瞳孔に白い線が走ったのを認めていたのだ。それでも、細心の注意を払えば、今日の公演ぐらいはもつだろう、などというのは甘い考えだったようだ。

「もしかしてだけど、リリちゃん、また壊しちゃった?」

 アマニータが訊いてきた。嫌味ではなく、本気でどうしたものかと悩んでいる顔だ。

「本番当日に、主役の人形が動かないのはヤバいって。さすがに代役案件じゃん? リリちゃんの衣装が着られて、技量も同程度ってなると……」

「ジナ……かな」

 アマニータの後ろからぬっとモレルが現れる。大柄なモレルの胸の位置に小柄なアマニータの頭があって、二人の体格差が際立つ構図だ。

「代役なんていらない。私が何とかする」

 床に散らばった破片を拾い集めながら言う。どれも目で確認できる大きさの欠片だ。

「一体どうする気?」

 ヨハナはそう言いながらも、床板のすき間に挟まった破片を指で持ち上げ、そっと私の手に載せた。

「まだ塵化してない。なら中の魔導体は生きてる。繋ぎ合わせれば、一公演ぐらいはもたせられるはず」

「ちょっとリリちゃん!」

 アマニータの声を無視して、私は人形を背負う。人間と違い血も肉も詰まっていないとはいえ、自分より一回り以上大きな人形はなかなかに重い。

「何も問題はない。全て予定通り進めておいて。それと、くれぐれもジナには何も言わないで。わかった?」

 返事も聞かず、私は人形を引きずって寮室へ向かった。


***


 自分のベッドの上に横たわるそれを見つけた時、あまりのことに私は背負っていた人形を取り落とした。

「なにこれ……?」

 そう呟いたが、これが何かは見れば明白だった。少年だ。眠る少年。月夜のような柔らかな色味の黒髪に、おとぎ話の王子様のように整った容貌。歳は十五前後か。少年と呼ぶには熟しきり、青年と呼ぶにはまだ顔にも体つきにも脆いような幼さが残る。それが手足を縮こめて、小さくて狭い私のベッドの上に眠っている。

 恐る恐るその肩に手をかけて、ようやく気が付く。

(人形?)

 それは人肌の柔らかさとは程遠く、強く握っても艶やかな肌には指の痕一つつかない。腕を取ってみれば、シャツの裾から覗く手首はたしかに球体関節だ。そして、気付く。人形がその手に何かカードのようなものを持っていることに。人形の固い指をほどいて私はそのカードを引き抜く。

『君の、誕生日ではない日を祝ってシモンを贈る』

 手書きではなく印字の短いメッセージ。裏面は白紙だ。差出人も、誰に宛てたかも明記されてはいない。だから、この贈り物が私に贈られたものかも判然としない。鍵のかかったこの寮室に自由に出入りできるのは、私かルームメイトのヨハナ、もしくはマスターキーを持つ教職員だが、私にこんな値の張る贈り物をする人物は思いつかない。そして、もう一つ、理解に苦しむことがある。

(どうして、顔のある人形が?)

 床に転がっている、さっき壊れたばかりの人形とベッドの上の人形とを見比べる。その違いは一目瞭然だ。長いまつ毛の一本一本まで精巧につくられた白皙の少年人形に対して、片目の欠けた人形は目以外の顔のパーツなど何もない。まるで白面を被ったようだが、それこそがこの人形の素顔で、むしろ一般的な人形といえばこういう顔だ。顔のある人形というのは、一昔前の王族や貴族の侍従人形のイメージが強く、もっぱらアンティーク扱いされている。さもなければ、幼い子供のおもちゃか、一部の大人たちの愛玩用といったところだ。

 いずれにせよ、どうしてそんなけったいな贈り物を寄越して来たのか、理由もまるで見当がつかない。差出人不明の、怪しい人形。普通に考えれば、担任なり学校に報告してしかるべきだろう。

 私の指先は少年人形の瞼を撫で、そして、こじ開けた。琥珀色の瞳が露出する。両の目とも傷一つなく健在だった。制服のポケットの中の砕けた眼球と目の前の完璧な眼球。どちらに賭けるべきか、私は悩みすらしなかった。左手の薬指にはめた指輪の飾り石を強く押す。すると、隠し針が指を傷つけ、血が滴る。私は少年人形の上にまたがると、まずその右目から、こじ開けた暗い瞳に赤い血の滴る薬指を押し当てる。

「土くれより造られし我ら、土くれよりなんじを造りて」

 左の目も同様に眼球に私の血をべったりと塗りつける。

「神の御業みわざ御使みつかいの半身、生命の秘奥たるこの血、この息吹を以て、その目を覚まさん」

 古い聖句を呟きながら、人形の瞼を閉じる。呟かなくても、人形と糸を繋ぐことエンゲージは可能だ。ただ、そういう形式を重んじる家だったせいか、やらないとどうにもおさまりが悪い。地位、名声、身分、そして自分の名前さえも──家が私に与えた形式はもう悉く失われたというのに、こんなどうでもいい習慣だけが残っているのは我ながら滑稽なのだけど。

 私の左手の薬指がひとりでに震える。震えは間もなく左右十本の指にも伝播し、やがて収まる。糸が完全に繋がった。が、起きろと糸を操ってみてもまるで手ごたえがない。

「シモン」

 ためしにカードに書いてあった名前を呼んでみる。多分、これがこの人形の識別名だろう。繋いだ糸がぐっと重くなる。

「シモン、目覚めなさい」

 長いまつ毛に縁取られた瞼がゆっくりと開いていく。これで、公演に出られる。ほっと息をつきかけたその時だ。

「……だれ」

 私が操ったのではなく、人形が自ら声を発した。

「まさか、貴方……自律型?」

 私の質問を無視して人形は繰り返す。「だれ」と。だから、私は答えた。

「リリシュカ」

「……リリシュカ?」

 人形が私の名前を呟く。想定外のことだらけだ。しかし今最も大事なのは、この人形が動くか否か、それだけだ──と私は私に言い聞かせる。人形を壊した上に、公演に出られなかったとなれば、私は私の望みからさらに遠のいてしまう。

「そう、それが貴方の主の名前。そして貴方は私の人形。さあ、着替えをしたら行きましょう。観客が待ってる」

 私がベッドの上から降りると人形も立ち上がった。そして歩き出す。人形の手足は間違いなく、私の手足になっていた。


***


 開演まであと一時間を切った舞台裏は雑然としている。それでも人形を後ろに従えた私を見た時、それまでの賑わいが波のように引くのがわかった。アンサンブルの一人がおずおずと訊ねてきた。

「あの、代役は……」

「要らない。今日、観客が見に来ているのは、『王子』じゃなくて『姫』の方でしょう。期待されたものを出すのが私たちの役目のはず」

 気まずそうに視線を逸らし去っていくアンサンブルと入れ替わりにヨハナが黒いドレスと黒髪のかつらを抱えてやってきた。

「はい、これ。いると思って」

「……ありがと」

「リリシュカのことだから、意地でも舞台に立つと思ってたよ。でもまさか眼球の破損まで直すなんて」

 私の後ろにいる仮面をつけた人形を見つめて、ヨハナが怪訝な顔をする。それはそうだ。一般的な人形と同じような白面をつけさせたとはいえ、さっきまで私が使っていた人形とは別物。背格好こそほとんど同じだが、違いは一目瞭然だ。

「詳しいことはあとで話す。ともかく着替え、手伝って」

 ヨハナは苦笑しながら頷いた。自分でも、甘えているとは思う。


***


 私の役柄は天使の美貌に悪魔の心を持つ非情の姫君。自分に恋した男たちを数多なぶり殺した果てに、一人の青年に退治される悪役にして主役だ。

 姫に対峙した青年──シモンが鞘を脱ぎ捨て、その切っ先をこちらに向ける。人形遣いが自分の操る人形と死闘を繰り広げる、この剣舞こそ『人形劇ギニョール』の見せ場。いかに迫真に命の駆け引きをするか、それこそが観客の求めるものだ。観客席は暗黒に沈み、照明に当たるのは私と人形だけ。夜空の星を見上げるようにらんらんと光る人々の双眸は、流血の赤く昏い輝きを求めている。

 やがて、私はシモンの剣に倒れ、幕が下りる。

 万雷の拍手を背に舞台裏に降りた私を待っていたのは、青筋を立てたジナだった。

「リリシュカ! この人形はどういうことだ!?」

 ジナがシモンの白面をはぎ取る。しかしその下から現れた異形には、ジナも唖然として、二の句が出てくるまで少しの間があった。

「この人形は劇団に届出を出していないものだろう? 劇団カンパニーの人形運用規則第三条、『未承認の魔法人形マギアネッタを起動すること、これを禁ず』、忘れたとは言わせないぞ。しかも、よりによってそんな下品な人形を舞台に立たせたなんて……」

「この国の人形劇は、その昔、全て顔つきの人形で演じられていた。そして王侯貴族たちの間でも長く親しまれてきた由緒ある代物でもある。それを、勝手に妄想を膨らませる方が下品じゃなくて?」

「ともかく違反は違反だ! 先生に報告させてもらう!」

 ジナはそう言い放ち、私に背を向けて去っていった。

「ジナナんはお堅いなあ。成功したんだし、いいと思うけど。それよりその子、めっちゃ美形じゃん、よく見せて!」

 アマニータが興奮気味で駆け寄ってきて、シモンの顔をペタペタ触りだした。その時だ。

「お前、何して……」

 シモンが首を横に振り、アマニータの手を振り払った。一瞬喋りかけもしたが、私はとっさにその口を閉じるように意識を向けた。

「え? この子、今なんか言った?」

「私が言ったの。ひとの人形に何してるの?」

「ごめんごめん」

「疲れたし、着替えあるから、戻る」

 糸に妙な抵抗を感じる。嫌な予感がして、私は急いでシモンを連れて寮室に戻った。

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