ちょっと待ってね。
菖蒲 茉耶
第1話 彼女の口癖
「んー、ちょっと待ってね」
それが彼女の口癖だった。
どんな簡単なことに対しても、バカみたいに決まって同じことを言う。
「げっ、このレポート明日までだった。ねぇ小町、写させてぇ」
「ちょっと待ってね。……はい。茉莉ちゃん、丸パクリはダメだからね」
「わかってるよ」
「この映画、最近SNSで流行ってるヤツじゃない? せっかくだし見てく?」
「ちょっと待ってね。……キャラメル味のポップコーンあるみたいだし、行こっか」
「好きだね」
「小町、私バイトだから。また明日ね」
「ちょっと待ってね。……これ、そろそろ冬だから、冷えないようにね」
「手袋? ありがと」
小町とは、アパートのお隣さんだった。
大学からも駅からも近くないから、学生は二人だけだと思う。新歓からの帰り道で同じアパートだと知って、そこから友達になった。
フワフワしたというか、マイペースというか、とにかく調子を乱してくる女の子。私とは正反対だった。
それでも仲良くやってきて、もう三年生になってしまった。互いの部屋に行き来して、泊まったり、ご飯を作りに行ったり、映画を見たり。
私はいつの間にか、小町に友情以上の感情を持っていた。
そしてクリスマスがやってきた。これから小町の部屋で二人でパーティ。
左手の紙袋には、ラッピングしてもらったプレゼントが入っている。
この前の手袋のお返しにリップクリームを買ったけど、これで大丈夫だろうか。
乾燥してるって言ってたから選んだけど、口とは言ってなかったし、もしかしたらハンドクリームの方がよかった? それに合う合わないもあるし、同性からでも気持ち悪い?
買い物からの帰り、アパートの前だ。これから小町の部屋に直接行くと言うのに、今更ながら不安になってきた。
「はぁ」
口から白い息が出る。
ため息じゃない。冬になると息が白くなるから、ついついやってしまう。我ながら子供じみたことだと思う。
まぁ、こんなことで気が紛れるわけでもないけど。
二階突き当たりにある自分の部屋の、一つ手前で止まって、インターホンを鳴らす。小町の部屋だ。
すぐに扉が開く。
「はーい。いらっしゃい、茉莉ちゃん」
「うん、お邪魔します」
部屋に上がると、大きな文字バルーンが壁に飾ってあって、英語でメリークリスマスと書かれている。部屋の隅には小さなツリー、小町の頭にはサンタ帽のカチューシャ。
毎年、ことあるイベントで同じようなことをしている。七夕、ハロウィン、正月……その中でも、小町に一番気合が入るのはクリスマスだ。
そして私も付き合わされてきた。テーブルに置いてあるトナカイカチューシャを、何も言わずに、何も言われずに付ける。人前ならともかく、二人きりならそこまで恥ずかしくない。どうせ酒も入るし。
「ふふ、やっぱ似合うね、可愛い」
「いいよ、おべっか言わなくて。料理、手伝うよ」
「ちょっと待ってね。もうすぐ終わりだから。……はい、これで完成」
テーブルには、もう料理を置けるスペースは少ない。キッチンで作っているサラダは、さっきまでトナカイカチューシャの置かれていた、つまり私の眼前に置かれた。
小町が私の向かいに座った。テーブルとは言っても大きめのローテーブルなので、座るのは地べたになる。
「メリークリスマス、小町」
「メリークリスマス! アーンードー、ハッピーバースデー茉莉ちゃん!」
クリスマスは、私の誕生日なのだ。
十二月の二十五日。クリスマスと誕生日を一気に済ませられるのは、もう慣れている。
子供の頃から損だと思っていたけど、これもこれで嫌じゃない。この歳になれば誕生日を祝われることはないかもしれないけど、クリスマスに予定があるのはカップルくらいで、だから恋人ができるまでは誕生日も祝ってくれる。
「ありがとう。でもやっぱり恥ずかしいよ」
「もー、照れちゃって」
「そりゃ派手に祝われればね」
「クリスマスと誕生日が一緒なんだよ? いつも以上にお祝いしなきゃ」
去年は、クラッカーとか「今日の主役!」と書かれたタスキとか、これでもかってほど小学生気分を味わった。
それに比べれば、まぁ大人しい方だ。
「冷める前に食べちゃお。作ってる最中ね、ずっとお腹鳴りっぱなしだったの」
「そっか、ありがとね」
「どういたしまして」
二人で「いただきます」と小さく手を合わせて、食べ始めた。
グラタン、サラダ、ピザ、チキン、クリームシチュー。どれも、それほど多くはないけど、女二人で食べ切れるかは微妙なところだ。
テレビをBGM代わりに着けて、話しながら食べた。
なんて事のない普通の会話だ。それなのに……うん、やっぱり楽しいな。
「あちゃー、やっぱり食べきれなかったね」
「仕方ないよ。残りは明日食べよ」
「実はケーキも作ってあるんだけど、食べられそうにない?」
「それは別腹」
「ちょっと待ってね。持ってくる」
小町がキッチンへと歩き、冷蔵庫に入っていた真っ白いホールのショートケーキを持ってテーブルまで戻ってきた。
2と1のナンバーキャンドルが刺さっているのに、サンタとトナカイの飾りもある。自前で用意したのであろうチョコプレートには「メリークリスマス」と「ハッピーバースデー」が二行で書かれていた。
「……豪華だね」
「チョコは茉莉ちゃん食べていいよ」
「ありがと」
小町がケーキを切り分ける。
二分の一。
来年も同じように祝ってくれるだろうか。もし小町に恋人ができたら、きっと私との時間は減るんだろうな。やっぱり、クリスマスと誕生日が一緒なのは損だ。
四分の一。
小町のことばかり考えているけど、私はどうなんだろう。私が誰かと付き合ったとして、それでも小町と一緒に祝うのだろうか。想像もできない、誰かと付き合うなんて。
八分の一。
きっと、小町にとって私は特別じゃない。例えそうだとしても、結果論だ。
友達になったのは、私だからじゃなくて、隣の部屋の同級生だから。相手が誰であっても、今みたいに接したのだろう。
そしてそれは私も同じで、この偶然がなければ小町と会うことも、話すこともなかったと思う。
そう、偶然だ。運命なんて、ロマンチックなものじゃない。
だから……でも。
「茉莉ちゃん、ケーキ、これくらいの大きさでいいかな? もし大きかったら、私も一緒に——」
「小町」
運命にしてみせる。
誰にでも当てはまる「偶然の出会い」じゃなくて、「運命の巡り合わせ」だって思えるように。思ってくれるように。
「どうしたの?」
「私、小町のこと好きだよ」
「そんなの……私もだよ」
「違うんだ、そうじゃなくて……そうじゃなくってさ」
「好きなんだよ、小町のことが」
それだけで、伝わってくれただろうか。
何も変わっていない言葉で、意味を察してくれただろうか。
表情からは何もわからない。驚いてすら、いないように見える。
「ちょっと待ってね」
いつもの口癖が、私の疑心を駆り立てた。
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