第9話 ネズミの頭に人の身体。そんな化け物がいる楽園が東京と千葉の間にあるようです。
葛西ダンジョン――通称、ネズミの楽園。ネズミ系のモンスターを中心としたダンジョンで、中層以降にはラットマンと呼ばれるネズミと人を掛け合わせたようなモンスターが現れる。彩愛と五郎は、手ごろなダンジョンということで、ここを選んだ。
「ここなら大丈夫かなぁ」
たかがネズミと侮ってはいけない。ドブネズミよりの三倍くらいの大きさにもかかわらず、一般人であれば、目で追うのもやっとというくらいに素早い。その上、集団で襲い掛かってくるため攻撃を防ぎきるのが難しい。一度でも攻撃を受けてしまうと毒や病気、麻痺といった様々な状態異常にかかる可能性がある。こと攻撃面ではゴブリンなど比較にならないくらい厄介なモンスターである。
「こんなダンジョンなのに、相変わらず人が多いなぁ。やっぱりネズミだからか?」
「いやいや、支援のおかげでしょう。駆け出しにとっては割が良いですからね」
ダンジョン内も一見すると不衛生であるにもかかわらず多くの探索者が訪れるのは、ネズミ駆除のために東京都が支援しているためだ。そのため、二束三文の素材であっても、そこそこ高い価格で換金できる。それに加えて、上層は人型が出ないため、駆け出しの探索者にとって忌避感が少ないことも大きい。
「彩愛さん。僕の方は準備できました。って、今日も、その格好なんですか?」
五郎は彩愛の服装――いつものメイド服と箒という出で立ちに驚いて目を丸くする。探索者のように武器や防具を身に着けると思っていたらしく、彼は訝し気な表情で彩愛を見た。
「これは、ただの作業着じゃないわ。ダンジョンメイドにとっての戦闘服でもあるのよ」
「……マジで?」
そんな彼の視線を気にすることもなく、彩愛は胸を張って答える。そんな彼女に五郎は疑わしそうな視線を向ける。
「いいじゃない。これでも十分戦えるわよ」
「まあ、そうですね……」
残念そうな五郎の表情を見た彩愛は、苛立ち紛れに両手を腰に当てて彼に詰め寄った。
「そんなこと言うなら、行くのやめるからね!」
「わわっ、だ、大丈夫です! バリバリ行けます!」
詰め寄りながらストライキを主張する彼女に、五郎はあっさりと白旗をあげる。彩愛は彼の返事を待たずにダンジョンの中に入り、慌てて五郎が彼女を追いかける。
ダンジョンの中は渋谷ダンジョンと異なり、下水道のような石造りの通路になっている。暗がりも多く、ネズミが潜んでいないか注意深く進むのが定石である。
「あそこの角、あっちの角のところに隠れているから注意ね」
「えっ? 何も見えませんが……」
彩愛が通路の暗がりから二つほど指差す。その先を五郎は目を凝らして見るが、何も見えなかったようで、首を横に振った。
「当然でしょ。隠れているんだから、肉眼で見えるわけがないわ」
「ええっ、それじゃ分からないですよ」
「気配を察知するのよ。神経を研ぎ澄ませば、できるようになるわ。たぶん」
五郎は目を閉じて神経を研ぎ澄ます。それも簡単ではないらしく、すぐに目を開けるとうつむき加減に首を振った。
「やっぱり分かりませんね」
「当たり前でしょ。そんなすぐにできるようになったら苦労はしないわ。とりあえず……。手前の角のネズミからやるわよ。さっさと行きなさい」
「はぁい……。よっと!」
気の抜けたような返事をして、五郎が無防備に通路を進んでいく。彼女が指差した角に差し掛かった時、飛びかかる一匹の巨大ネズミ。慎重に狙いすまされた攻撃は五郎にあっさりと防がれた。あらかじめネタバレしていたせいで、焦りも気負いもなく、予定調和のように持ち上げた盾によって。
「うりゃあああ!」
そのまま押し込まれて巨大ネズミが宙に浮く。五郎の放った横薙ぎにより、無防備な巨大ネズミは上下に真っ二つに両断された。
「ふう、ま、楽勝ですね」
「当然でしょ、隠れている場所が分かっているんだから。途中まで無防備すぎだし、角に差し掛かるあたりで先に身構えちゃってるし、全く意味がないわ」
「えっ、そ、そうですか……」
彩愛のダメ出しに、五郎は先ほど残念そうな表情を浮かべる。その様子に、彼女は肩をすくめて苦笑した。
「まあいいわ。次からは場所を教えないから、頑張って先導してみなさい」
そう言いながら、彩愛は隠れていたもう一匹を、気付かれる前にワイヤーブラシで絞め殺した。
「あ、これは排水管を掃除するためのものだからね。ネズミを絞め殺すためのものじゃないから、間違えないように」
「……」
言い訳がましい彼女に生温かい視線を向ける五郎。その微妙な空気に耐えきれなくなって、彩愛は彼に先に進むように促した。その後は、さすがに五郎も慎重に進んでいくようになった。
「んんっ、えい」
「せい!」
前後で挟み撃ちにしようとした巨大ネズミ。彩愛は箒で打ち返し、無防備なところを地面に叩き落とす。一方の五郎は盾で受け止めてから剣で一刀両断。ほぼ同時に二人は巨大ネズミを仕留めた。
「ふふん、どうせ私が戦わないから弱いとでも思ったんでしょう。まったく浅はかだわ」
「そうですね……」
腰に手を当てて、ドヤ顔でネズミを見下ろす彩愛に、五郎は呆れたように肩をすくめる。
「でも意外と余裕っすね。いてっ」
軽口を叩いた五郎を、彩愛は箒で小突く。
「油断すんなって言ってるでしょ。集団で襲ってくるネズミはホントに厄介なんだからね」
「うへぇ、マジっすか……」
上層のボスであるアルジャーノンは『厄介』の集大成のようなものだ。百匹近いネズミを従えていて、それらが連携して襲い掛かってくる。準備が不十分だと熟練の探索者でも撤退するか全滅する羽目になるという恐ろしい相手だ。
「せっかくだし、ネズミの恐怖を体験するのも悪くないかもしれないわね……」
「……っ?!」
彩愛は維持の悪い笑みで五郎を見る。その瞬間、彼は体中が強張らせ、顔色も真っ青になる。そして全身が小刻みに震え始めた。
「まあ、ここまで来たし、上層のボスをやっていきましょうか」
「えっ、まさか僕をボス部屋に放り込もうとしてないですよね?」
「……やれやれ、勘の良いガキは嫌いだよ」
「……僕の方が年上ですよね?」
やっぱりか、と言いたげな表情で、五郎は彩愛をジト目で見る。
「アンタの方が年齢は上だけど、まだまだヒヨッコってことよ」
「……まあ、それはそうかもしれませんけど!」
「それじゃあ行くのやめておく?」
「いやいや、やめませんけどね!」
先に進もうとした二人。その通路の先から、こちらに向かってくる足音と叫び声が聞こえてきた。
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