夏祭りの跡

片瀬智子

第1話


 今でこそ何でもない雪森ゆきもりという町だけど、ここは昔、華やかで風情のある土地柄だった。

 それなのに俺らは昔話に興味がない。大学に進学するため、俺は地元を離れ東京へ出た。

 しかし都会の生活は誘惑も多い。バイトのシフトを増やすも肝心の勉強がおろそかになり、疲弊した俺は駅や交差点の人波にまれていった。


 自身が努力しなければ奇跡なんてものはおきない。

 一度は都内の企業へ就職したが地元の小さなホテルに就職先を見つけると、逃げるように地方の実家へ戻ってしまった。

 俺の職場には偶然にも高校から一緒の同級生がいた。

 奴は新卒で入社のため、社内では二年ほど先輩にあたる。ゆったりとした町で育った気のいい大沢おおさわは俺の入社を歓迎してくれた。


「なあ、今日の休憩は夜祭やさいに行ってくれば? いずみ、かなり久しぶりやろ」

 雪森夜祭は何百年前から続いている歴史のある祭りで観光客も多い。

 職場ここは位置的に川が挟まれてるせいで隣町になるが、自転車で行けば雪森まで五分くらいだ。

「そうやな。せっかくだし、行って焼きそばでも買って食べるか」

 懐かしい、歩行者天国の雪森商店街を思い出す。高校を卒業して以来だから夜祭は六年ぶりだった。


「ん、そうして来い。店番は俺が変わる。ごゆっくり」

 ホテル裏の駐車場では、宿泊客や近隣の住人相手にラムネの露店を出していた。夕方のこの時間は客もまばらだ。

 大沢はあくびをしながらラムネが浸かった氷水を指で弾いた。川を超えるかどうかで祭りの賑わいは大きく変わる。

 川の風を感じ、俺は悠々ゆうゆうと自転車で橋を渡った。


 

 まだよいの口だ。

 日暮れ時の祭りの電飾は、年季が入ってるように見えて物悲しかった。そっと灯るような幻想的な光は夜空とともに完成する。

 それでも歩行者天国には人が続々と集まりだしていた。


 お目当ての焼きそばを買い食いし、金魚すくいをしてる小学生を後ろから眺める。正面から来る色とりどりの浴衣の女の子に目をやって、そらして。

 耳に入る方言も心地いい。

「泉くん?」

 ぶらぶら歩いていると突然、後ろから誰かに呼び止められた。


 聞き覚えのある声に胸がドキッと音を立てる。あわてて振り返った。

高梨たかなし……」

 そこにいたのは、水色の浴衣に白い花の髪飾りを付けた華奢な女の子だった。

 小、中、高とずっと同じ学校でいわゆる幼馴染だ。高校を卒業し上京したと同時に疎遠になったから、久しぶりの再会だった。


「やっぱり泉くんだ。懐かしいー、会えてうれしい」

 高梨は屈託のない表情で小走りに駆け寄ってきた。揺れる小さなかごのバッグまでまとめて可愛い。

「いつこっちに戻って来たん?」

 彼女は言った。あどけなさの残る頬のラインが学生時代の面影おもかげそのままで、奇跡的とさえ感じた。


「えっと……四ヵ月前かな。今は近くのホテルで働いてる。高梨は?」

 にこにこと笑顔で見上げてくる高梨がたまらなく愛しい。緊張で標準語になる。

 そして俺は過去の過ちに気づく。なんで地元を離れる前に告白しなかったんだろう。気取り屋で子どもじみた当時が無性に腹立たしくなり、若き日の自分をこんこんと説教したくなった。


「……あ、小雪寺こゆきじや。泉くん、ちょっと寄って行かん?」

 ただ頷くことしか出来ずに隣を歩いた。

「私な、小雪寺、前から好きなんよ。……なんでか分かる?」

 高梨は前方を見ながらそっとつぶやく。

 わかる訳がない。神社仏閣が好きなのか。俺が今考えられるのは、小雪寺までの道よ──永遠に続けということだけ。


「前、夏は毎年一緒に夜市よいちとか盆踊りに行ってたやん。中三の時の雪森夜祭でな、泉くん、小雪寺そこの前で私の浴衣姿……可愛いって言ってくれたんよ。それが……ずっと、忘れられん」

 思わぬ彼女の言葉に俺はめまいを覚えた。気絶する前にしなければならないことはただ一つだ。


「高梨。よかったら、連絡先……教えてほしい」

 両手で体中をまさぐりスマホを探す。震える気持ちで画面を開いた。

「あーまたか。こんな時に、くそっ」

 俺はいきどおった。スマホの真っ暗な画面は時折あやしげに点滅し、お経のような音声が流れていた。


「悪い……最近スマホに、変なショート動画が入ってくるんだ。これが始まると数分間は操作出来なくなる」

 スマホの画面を高梨が覗く。微かに息をむ声がした。

「この動画……私、知ってる。変な噂を聞いたことある」

「マジで? どうやって削除するの?」

「無理。これは……どうすることも出来ん。だって、呪いの動画やもん」

 どういうことだ? ケータイショップに持っていかないとダメなやつってことか?

「……ゴーストオアデス」

 呆然ぼうぜんとつぶやくと、暗い瞳で彼女は俺を見上げた。

 

「ご……ちそうさまです?」

 まずい、虫を見るような目つきで俺をにらむ。本気で怒ったときの高梨だ。

「泉くん、ふざけるんなら教えんよ! 本当にヤバい動画やのに」

 ごめんを四、五回繰り返し、何とか許してもらう。


「真剣に聞いてな。この動画、『ゴースト オア デス』って呼ばれよん。これが画面に出た人は二つの呪いが提示される。一つ目はゴースト。それは死に魅了されること……近いうち、。二つ目はデス。死神の意味。死を執行する役目を担うこと……近いうち、

 俺は今の言葉を脳内で整理する。


「死ぬか……殺すか?」

 高梨が真顔で頷いた。

「究極の選択ってやつか?」

「違う、これはランダムに行われる。選択権はこちらにはない。泉くんは、たぶんもう呪いにかかってしまったけん……どちらになるか誰にもわからん」


 半信半疑の顔で俺は笑ったんだと思う。

 高梨が頬をふくらませる。「でも、ここは雪森やけん……」と小さく言うと普段の笑顔に戻った。伝統があるせいか、雪森は特別な土地柄という不思議な思い込みが住人にはあった。

「雪森の神様が俺のこと守ってくれる?」

 冗談で言ってみる。


「もう、神様はお仕事で忙しいんよ。……例えばな、この世とあの世の境界線を曖昧あいまいにして、交じり合わせたりとかしてくれてる」

「そんなことしたらヤバいだろ」

 真面目な顔の高梨に話を合わせて言った。


「もちろん、どんな場所でもじゃない。例えば雪森は土地の気が強いけん、かなり昔からが開催されよんやろ。でも全国的には珍しいのがその証拠、夜市ではいろんな不思議が起こる。雪森の夏祭りは本当に特別なんよ。雪森やったら、亡くなった大切な人とすれ違ったり出来るんで。今日の夜祭もそう……」


 俺はふいに時計を見た。

「ああ、高梨……マジでごめん。そろそろ仕事に戻らないと」

 休憩時間はあと十分もなかった。自転車の場所さえも走って二、三分はかかりそうだ。


「えっと、そうだ。来月の雪森盆踊り、よかったら一緒に行ってもらえないかな? 会場の入り口で、この時間に待ってる。今から橋の向こうまで行かないといけないから……ごめん、また」 

 矢継ぎ早に俺は言うとすぐさま走り出した。

「え、泉くん! 待ってー、雪森やないと守れん……」

 後ろで高梨が叫んでいたが、何を言ってるかは雑音に消されてわからなかった。



 ホテルへ戻ると、すでに空が暗くなっていた。

 裏の駐車場では大沢が一時間前と同じ調子であくびをしている。真上にある客室の窓が灯り、わずかな提灯ちょうちんが祭り気分を残していた。


「おかえり。夜祭はどうやった?」

「ああ、久しぶりで懐かしかった。……偶然、高梨に会ったよ」

 ん?という顔で大沢は俺を見る。そういえば、こいつは中学まで違う地域に住んでいた。

「ほら、大沢は高一のとき同じクラスだっただろ、『高梨ふみな』。俺は三年間ずっと同じだったけどな」

 そっけない風を装う。


「高梨ふみな……? え、高校の同級生にそんな子おらんけど」

 いやいや。

「何忘れてんだよ。体育祭も文化祭も普通に参加してたやん。ほら、このくらいの髪の長さでさ、いつもにこにこ笑ってて……」

 方言と標準語が混ざり合ってる。そこら辺で大沢が俺を制した。


「泉、お前俺をナメんな。同じクラスになった女子を俺が一人でも忘れたって言うんか? 同学年の女子の顔と名前くらい、今でも全員把握してるわ」

「……お前、すげーな」

 俺は素直に感心する。でも誰にだって間違いはある。

「いや、さっきまで一緒にいたし、雪森盆踊りで会う約束もした」

 そう言ったが、大沢もなかなか頑固で譲らなかった。


 ちょうどその時、フロント勤務で二歳年下のまるちゃんが顔を出した。名前は丸岡だ。

「いいところに来た。まるちゃんは雪森生まれの雪森育ちやろ?」

「あーはい。そうですよ」

 大沢の質問に彼女は感情を出さず答えた。この口調が通常だ。

「まるちゃんの二個上に『高梨ふみな』って女の子いた? 泉がさ、いるって言い張るんやけど俺は名前も聞いたことないんよ」


 サラサラの前髪に軽く触れて、まるちゃんは考えている。そして「ああ、いましたね」と言った。

「ほらみろ」

 俺は大沢を見る。まったく、同学年の女子全員を覚えてるなんて自意識過剰にもほどがある。


「でも、だいぶ前に亡くなってますけど……」

 まるちゃんは表情ひとつ変えなかった。

「交通事故です。私たちご近所だったんです。私が中一だったんで、ふみなさんは中学三年生。卒業式の……夜でした」



 人間の脳は極限状態におちいったとき、自分を守るために働こうとする。

 きっと俺は高梨ふみなの死が受け入れられず、生きていると錯覚し続けた。

 高校の三年間、ひとり高梨の幻想を見続けたのだ。その後、俺は大学進学のため雪森ここを離れた。大沢が静かに言った。


「でも、さっきも夜祭で会ったんやろ。不思議やけど……高梨さんもお前と一緒にいたいんやな」

 言葉が出てこない。ひとりきりになりたかった。感傷的になるのは俺だけでよかった。


 まるちゃんが「休憩入りたいんですけど」と言ったとき、どこか俺はほっとしていた。

 休憩に入る前に客室に電話を一本掛けると言ったので、それは引き受けることにする。仕事は仕事だ。


「六〇一号室の男性のお客様です。夜祭に行くみたいで、少し寝るから電話で起こしてほしいって。アラームじゃ心配らしくて。あと、お祭りは何時までか聞かれました。デートなのかもですね」


 俺はちらりと腕時計を見てから電話のためフロントへ向かう。もうこんな時間か。

 さっきから少し吐き気がしている。スリーコールめで受話器から「はい」と言う小さな声が聞こえた。


「フロントでございます。お客様、お時間です。それとお問合せの件ですが、雪森夜祭は十時まででございます。すぐに出られますか?」


「すぐに……出ます」という返事を聞いたあと、俺はまた駐車場に戻る。

 近所の子どもたちがラムネを選んでいた。歩いて雪森まで行くのだろう。宿泊者もちらほら外に出てきている。


 突然、俺の背中で不穏な風が割れた。


 

 ──ドスンッ



 大きくて重たく、落ちてくるべきではないものが空から降った音だった。 

 女性や子どもの甲高い悲鳴が連呼して激しく響き渡る。

 耳障りで仕方がない。しかも俺の吐き気はまだ続いていた。


 だが風に乗ってきた微かな血の生臭さに胸が騒ぐ。

 身体中を覚えたての快感が駆け巡り、どうしようもなく腹の底から笑いが込みあげてきた。


「お客様、お時間です。──?」


 たったこの一言で、こんな簡単に人間が窓から飛び降りたのだ。

 俺ので闇に堕ちた。



 ──ゴースト オア デス



 幽霊に連れて行かれ死ぬか、死神となり意のままに人を殺すか……これが笑わずにいられるか?

 俺が死神になった瞬間だった。


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