第8話

「おおっ! いいじゃんいいじゃん!」

「いいよ、(カナデ)! なあ? 集、優達」

「うおおぉーっ、これがあのだとはな。イケイケじゃんか奏!」

「ああ。いいんじゃないか。フロントマンとして割と様になってるぞ、奏」

「っ、どうも……」


 遂に訪れたこの日――ライブ当日。

 メイクルームで三人に囲まれながら。一人鏡の前で、自らのその姿に絶句し言葉を失う。

 こ、これが僕、枚方奏汰……なのか? 自分があって自分でないような、何とも不思議な感覚だった。目元に引かれたダークなアイラインに、陰影を際立たせたライトなアイシャドウ。アイラッシュカーラーとマスカラをあてられた時には正直怖かった。思春期の最中で所々荒れてしまった肌も、マットなファンデーションで美しく生まれ変わっている。  

 そして何より、この髪色。今の黒髪のままだと少年味が強すぎるとのことで樹たちに変化を求められたが、流石に地毛を染髪するのには抵抗があった。けどどうせやるなら、髪色もエルのように近づけたい。そんな一縷のワガママを汲んでもらい、メンバーの提案で付けることになったプラチナゴールドのウィッグ。ミラー越しに映る変身を遂げたその姿は、長年かけて蓄積した陰の気配を見事なまでに打ち消してくれていた。

 そして、さらに。これらに加え、バンド活動時には匿名性も兼ねて。

 僕は奏汰ではなく、新たに「奏(カナデ)」として名を名乗ることを決めた。


 スタンバイ中、終始緊張状態の僕を他所に。樹をはじめ、集や優達はうにメイクを済ませていた。各々がロックバンドらしいカッコよさとヴィジュアル系としての美しさを兼ね備え、並々ならぬやる気を滾らせつつモニター越しでステージを見守っている。

 ヴィジュアル系バンドにはその括りの中でも細かいジャンル分けがあるらしく、その中でクレールはどちらかと言うとポップロック寄り。よって装いや化粧自体はそれほど、インヘヴンほど奇抜なモノではなかった。けれど初めてのメイクを施され、さらに金色の髪に変貌した自分の姿は全くの別人に思えてならない。加えてタイトめでツヤのあるテーラードジャケットに、細身のレザーパンツとハーネストベルトが付いたヒールブーツ。全身ブラックで揃えたそのコーディネートは本来の影身を際立たせるかと思いきや、金髪をより一層際立たせ、言うならば闇夜に浮かぶ月のように輝いて見えた。

 着飾った何もかも、その全てが僕にとっては初めてで、準備の大変さを痛感する。けれど同時に、言いようの無い高揚感と緊張感が体の奥底から漲っているのを実感した。


 ここにいるのは、もう一人の僕。

 奏汰ではなく――「奏」としての「ボク」だ。


 目の前の人物は、完全にヴィジュアル系ロックバンドの様相を呈していた。

「では続いて、クレールの皆さん。スタンバイお願いしまーす」

「それじゃあみんな。行くか!」

「「「おう!」」」

 シンクロする、三人の覚悟。新体制となり生まれ変わったクレール、初の晴れ舞台。

 瞑目を終え、一歩。こうしてボクたち四人は、煌めくステージへと歩き出した。


 光――そして、静寂。

 光――そして、緊迫。


 初めて見る景色。ステージへと現れたボクらに向け「パチ、パチパチ……」と、まばらな拍手が出迎える。客席からはどこか迷いのような雰囲気を感じ取った。

 まぁ、無名バンドだから当然か。アマチュアの第一歩は皆こんな感じなのだろう。

カナデ。さぁ」

 歩調の違和感を悟ったのか、真後ろにいた樹が優しくボクの名を呼んだ。そして軽く肩に手を当てると、ウインクをし自らのポジションへと移動していく。

 大丈夫……これまで目いっぱい練習した。だからボクがやることはただ一つ。マイクの前に立ち、歌うこと。それ以外は何も考えるな。何もかも全て、初めてなんだから。

 決意を胸に。ボクはマイクスタンドの前に立った。


 瞑目し、静かに息を吐く。

 気持ちを込め、全力で歌おう。

 今できる、全てを掛けて。


 ――ボクは優達に、合図の相槌を送った。

 カウントから、連続して打ち込まれる力強いスネアドラムとハイハットシンバル。

 一曲目は、樹が手掛けたというオリジナル曲――「Acid Gray (アシッドグレイ)」

 出だしは疾走感のある高速ツービートに始まり、そこに呼応し折り重なるように紡がれてゆくベースの重低音。そしてリズムが切り替わると共に加わる、樹の指先から弾かれるハンマリングとプリングを組み合わせたエッジでメロディアスなギターサウンド。

 前奏からAメロへ。合わせるようにしてボクは、マイクをギュッと握り締めた。そしてメンバーたちが創り出す音に乗せ、駆け抜けるように次々とことばを注ぎ込む。

 よし……歌い出しは問題ない。

 練習通り上手く入り込めた。緊張は多分にしているものの、むしろ心地良いとすら思えてくる。

 淡く光る視界。このままスピード感のあるメロディに合わせ、一つ一つ紡いでいけば。

 場内を激しく、それでいて鮮やかに彩る樹、集、優達の演奏。その三重奏が、ボクのミドルボイスを終始テクニカルに包み込んだ。

 淡く輝く眼界。観客の反応はそこまで悪くないように思える。

 全ては今日のため。ボクは全力で熱を込め、放ち続けた。


『――ッ、ジャジャッッ!』

 こうして無事、一曲目が終了。マイクを下ろすと同時に、数多の汗が頬を伝う。

 その、数秒後だった。ライトと共に届いた、登場時より音量と熱をも含んだ喝采。

 悪くないスタート。むしろ想像以上だった。……良かった。心中でホッと胸を撫でおろす。

 イケる……かも。今この瞬間から、緊張の糸が大きくほどけたような気がした。


「みなさんはじめまして。聴いてくれてありがとう。どうも、クレールです」

 敢えて落ち着いたトーンで、MCの樹が言葉を発する。すると客席から、温かい拍手が巻き起こった。

「じつは先日、僕らはメンバーを再編成しまして」

「なのでまず最初に、新メンバーをご紹介させてください。――ヴォーカルの、奏です!」

 そう言うと樹がボクに向け、右手をひらめかせた。

 ほどけた緊張の糸が束となり、再びに結び目を作り出す。今にも発火してしまいそうな程に、一点に集まる数多の視線。

 歌唱時よりもグググッと、緊張感がこみ上げた。ぎこちないままコクリ、一礼。

「じつは以前までヴォーカルだった朔っていうメンバーが、家庭の事情で先月バンドを脱退しました。けど僕らはまだ、バンドを続けたい。道半ばであきらめたくはない。そんな時、奏が手を差し伸べてくれたんです。そして今日、ココに立つことができました」

 楽器の音が皆無と化した空間で、一人胸のざわつきが収まらない。まるで鼓動が筒抜けであるかのように、眩しい双眸と容貌がボクへと注がれ続けていた。

 ここまで注目されるなんて生まれて初めてのこと。

 突然の樹の語りと場内の雰囲気に、恥ずかしくてつい、素の自分が出そうになる。

「僕らはまだ、ポッと出の未熟なアマチュアバンドですが。よかったらこれからも、応援してもらえると嬉しいです。短い時間ですが、どうか一緒に楽しみましょう!」

 言いながら樹は、ボクに微笑みを送る。

 これは「次、始めよう」の合図だった。


 再び、刻み始めた前奏。行こう。歌おう。

 一曲目に劣らず、スタートから躍動感のあるメロディライン。

 二曲目は樹を中心に、三人で手掛けたというオリジナル曲「Parasomnia(パラソムニア)」

 一曲目とMCによって空気が上手く醸成されたのか、登場時はどこか凝りを抱えているように見えた観客たちが、今では見事にクレールのメロディに順応してくれていた。

 嬉しい……盛り上がってくれている。

 みんな、こんなにやさしいんだ。

 客の大半が手を挙げ、髪を揺らし、初見にもかかわらずV系ライブでは恒例の「折り畳み」をする人なんかもちらほらと垣間見えた。

 ここまで熱狂してくれているなんて……。ダークでシックな装いに身を包んだ観客たちが、音と表情と声でスポットライトの光に照らされキラキラと輝いている。


(あっ……)


 そんな中、ふと――。ボクは客席のセンターで、真っ白のドレスを身にまとう一人の少女に目が留まった。

 観客の荒波のようなムーブが始めてなのだろうか、彼女はモッシュや折り畳みをするバンギャたちをどこか羨ましそうに見つめている、そんな挙動だった。

 きっとこういったライブに慣れていないのだろう。

 終始周りをキョロキョロとするその素振りが、漠然とだがどこか小動物のようで、何とも可愛らしく映って見えた。

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