第5話 異世界の城 ①

 あれから革張りの椅子に腰掛けてみたものの、どうにも落ち着かなかった。身じろぎするたび、椅子の音がやけに大きく響く気がするし、自分の高鳴る心音さえもうるさく感じてしまう。


 その原因は、言うまでもなく彼女──部屋に佇むラフィアの存在だった。


 何か用があるのかと待ってはいるものの、彼女が動く気配は一向にない。かといって目線は向けられているので、無視できるような状況でも無い。ただ重い沈黙が部屋を包み、耐えがたいほどの気まずさが蓮斗の精神を削っていくのだ。


 彼は気持ちを切り替えようと軽く息をつき、先ほどラフィアが「魔法の指導をする」と言っていたのを思い出していた。


 魔法。それが一体どういうものなのか、全く想像がつかない。指先から炎が舞い、詠唱ひとつで嵐を呼ぶ。そんな現実離れした現象が、ここでは日常だというのだろうか。


 彼女はなぜか蓮斗も魔法を使えると思っているようだが、当の本人にそんな実感は全くない。この世界に迷い込んでからそれなりに時間は経つが、未だに夢の中にいるような感覚は抜けていなかった。


 ​──それならいっそ、実際の世界をこの目で見てみるべきではないか?


 ​部屋でただ待っているだけでは、結局のところ何も分からない。​この世界が現実だと魂に刻み込むためには、この脚で歩き、この手で触れる必要がある。そうして初めて、ここに存在していると認識できる気がするのだ。


 心の内で燻っていた焦燥感は好奇心となって膨れ上がり、蓮斗は勢いよく椅子から立ち上がった。それは停滞した空気を振り払う、最初の一歩だった。


「ラフィアさん。急で申し訳ないのですが、城内を案内してもらえませんか? この世界について、まだ何も知らないままですから……」


 そう頼むと、ラフィアは驚いたように軽く息をのむ。その一瞬の間に何か考えていたのかもしれないが、やがて彼女は静かに頷いた。


「かしこまりました。それでは、どうぞこちらへ」


 彼女は部屋を出ると軽く頭を下げ、無言で歩き出す。蓮斗は少し遅れて、その後ろ姿を追うことにした。



 重厚な廊下を進むと、ラフィアは簡潔に指し示しながら説明していく。廊下には絵画や彫刻が立ち並んでおり、まさに城、といった具合に豪華な装飾が施されていた。


「こちらが大広間です」


 視線を向けると、巨大な空間が広がっているのがわかった。豪奢でありながら、どこか整然とした気配が漂い、不思議と落ち着きを感じさせる場所だった。


「凄いな、これが城ってやつなのか……」


 しかし、彼らは長居することもなく大広間を後にする。そして、ラフィアはまた淡々と説明を開始した。


「ここは食堂です。食事はここでとっていただけます」


「なるほど、ここも広いですね」


 やはり説明は簡潔で、声には感情が感じられない。その冷たさに、蓮斗は少し戸惑いを覚えていた。


「それでは、次に移りましょう」


 ​ラフィアは返答を待つでもなく踵を返し、再び迷いのない足取りで歩き始める。彼女にとって城の案内とは、施設の場所さえ確認すれば良いと認識しているようだった。


 着いて行きながら彼女の背をしばらく見つめていた蓮斗だったが、ふと、自ら話題を振りたくなった。沈黙が重く感じられたというのもあるが、それ以上に、彼女の人となりをもっと知っておきたかった。


 なにせ「今後、あなたを殺すことになるかもしれない」と遠回しに言われたのだ。気にならないほうがおかしいだろう。


「あの、ラフィアさん……」


 ​ためらいがちに声をかけると、彼女は歩みを止めずにわずかに顔を向けた。


 ​「なんでしょうか」


 ​「その、ラフィアさんは、ずっとこの城に勤務しているんですか?」


 ​「そうですね。任務で別の場所へ赴くこともありますが、基本的にはこの城に居ます。私の任務は、城を拠点とする騎士団の指揮と、王族の方々の護衛ですから」


 彼女の返答は無機質であった。それに少し気後れしながらも、何か話題を続けようとする。


「でも、その若さで副団長ってすごいですね。俺と歳もあまり変わらないように見えるのに……。もしかして、ラフィアさんには何か特別な力があるんですか?」


 その言葉に彼女は初めて足を止め、ゆっくりと振り返った。微かに眉が上がったようにも思えたが、すぐに無表情に戻り、短く答えた。


「……特別な力など、私にはありません。あるのは力というより、経験です。むしろ、私にはそれしかありませんから」


 声はより一層に冷たかった。彼女の過去には、一体何があったのか。気になりはするものの、「それ以上踏み込むな」という空気を感じ、さらに話を続けることはできなかった。



 また沈黙が流れ、廊下にはただ二人の靴音が響いていた。何か話さなければ。そうは思うものの、どんな言葉を選べばいいのか分からない。結局、蓮斗は意味もなく喉を鳴らすことしかできなかった。


 その時、廊下の先からこちらへ向かってくる人影が目に入った。それは、鎧を身にまとった屈強な騎士だった。腰には剣を吊るし、鋭い瞳は周囲に緊張感を漂わせている。


 騎士はラフィアの姿を認めると、迷いのない足取りで近づき、その場で片膝をついて敬礼した。


「副団長、ご報告いたします」 


 男は静かにそう告げると、ラフィアも無言で頷き、その場で報告を受ける態勢を整えた。蓮斗も壁際に寄り、彼らの邪魔にならないように静観する。


「城内の巡回、および城下の見回りが完了しました。特に異常はございません。引き続き、警戒を続行します」


「ご苦労様です。異常があればすぐに知らせてください」


「はっ!」


 ラフィアが短く指示を出すと、男は再び力強く敬礼し、立ち上がった。そのやり取りは無駄がなく、彼らの間に存在する絶対的な信頼関係をうかがわせた。


 騎士は踵を返すと、この場を去っていく。その去り際、彼は蓮斗の方に視線を向け、軽く会釈のような仕草を見せた。それは敬意とも、単なる認識とも取れる曖昧なものだった。


(今のは、どういう意味だ……?)


 彼から自分は、どのように見えていたのだろう。ラフィアの客人として振る舞われたのか、それとも「異世界の人間」として扱われたのか。


 この城で自分が何者として認識されているのかがわからず、得体のしれない居心地の悪さとして彼の胸に広がっていた。


「お待たせしました。では、参りましょう」


 ラフィアは報告を終えると、何事もなかったかのように歩き出す。蓮斗は思考の海から引き戻され、静かに彼女の後に続いた。


「次に、礼拝堂をご案内いたします。礼拝堂はこの先の階段を降りた先、城の地下にございます」


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