エピローグ

エピローグ

「一子ちゃん! 好きだ! 僕と付き合ってくれ!」

 退院した私(一子・主人格)を病院の前で待ち構えていたのは、雪夏彦という芸大生だった。

 二葉はこの男を絶賛していたが、他の連中の反応はまちまちだ。『根性あるけど情けない奴』『絵は上手いけど感性ない奴』『一途だけれど半端な奴』『優しいけれど陰湿な奴』などなど。

 その手には真っ赤な花束が握られている。これから電車で帰る人間になんてものを持たせようとするんだ。それとも背後にこれ見よがしに止めてある真っ赤なスポーツカーで送るつもりなのだろうか? それは正直助からないでもない、と言えなくもないが。

「ごめんなさい」

 私はその場で頭を下げた。

「私、あなたのことあまり良く知らなくて……」

「いや結構お話とかしたじゃん! 一緒にご飯食べたし、死地だって二人で乗り越えたじゃん! ぼくのこと、大好きだって言ってくれたじゃん!」

「それは私ではないです」

「誰だよ君?」

「一子です。主人格です。精神病院でのセラピーの末、こうして出て来られるようになりました。これから私を中心に統合が進むみたいです。ですからその、雪さんと仲の良かった二葉は消えて行きますし……もう半ば消えてるようなもんなんですよ」

「違うよ一子ちゃん」

 雪は花束を掲げたまま真摯な視線を注いだ。

「ぼくは二葉ちゃんだけとお付き合いしたい訳じゃない。一子ちゃん全体を愛するつもりなんだ。そうでもなければ、誰かも確認せずにいきなり告白したりするもんか」

「そうなんですか?」

「姉さんに言われたんだよ。交代人格ごとに対応の仕方を変えるのは良くないって。一子ちゃんを愛するのなら、それは全員の個性を受け止めて全員を愛する覚悟が必要だって。だから今の一子ちゃんがどの一子ちゃんでも、まずは今そこにいる人格に告白しようと思って」

「それが三浦や五木でもですか」

「そうだよ。相手が男だろうと、それが一子ちゃんなら関係ないぜ!」

 そう言って誇らしげに両手を掲げる雪。せっかくの花束から花弁がいくつか地面へと垂れ落ちた。

「きっと一子ちゃんを幸せにしてみせるよ! なんてったってこちとら木更津芸大受かったんだからね!」

 そうなのだ。

 この男はなんと五浪目にして木更津芸大に合格していたのだ。この男の絵が独自の魅力を手に入れた訳は、新たなモチーフを手に入れたことに尽きる。私の交代人格達との手紙のやり取りで知った人格達の精神世界での素顔を、この男は人物画として描くようになった。

 彼らはいつだって幸せそうに笑い、仲が良さそうに肩を組み合っていたりした。それは私の知るいがみ合う交代人格達の姿とは正反対で、まるで理想世界での彼らのように淡い光に照らされていた。

「それは……本当におめでとうございます」

「ありがとう。……で、一子ちゃんはどうするの? 入院してた所為で受験台無しになっちゃったけど、木更津は受けるの?」

「そのつもりです。無事に木更津に浮かれれば、後輩ということになりますね」

「一子ちゃんならきっと受かるよ。じゃあその時まで絵を教えたり色々してあげるね」

「結構です」

「え? でも一子ちゃん、僕のこと良く知らないんでしょ? だったらこれから僕のことを知ってもらう為に、一緒に過ごす時間を持たなくちゃいけないんじゃないの?」

 ……持たなくちゃいけないんじゃないの? って、なんで義務みたいになってるんだよ。

「すいません。結構です。絵の勉強は自分で出来ますから。そっちこそ芸大忙しいんじゃないですか? せっかく夢が叶ったんだから大学生活楽しめば良いじゃないですか?」

「いやぁ。まあ、それもそうだと言えばそうなんだけどね」

「友達いないんですか? 同級生と歳が離れすぎてて仲良くなるの無理ですか?」

「……失礼な一子ちゃんだな。ところがどっこい、流石は名門木更津芸大だけあって、五浪くらいはざらにいるのさ。入学式の日に隣に座ってた人が僕より老けててね。声を掛けて見たら七年浪人して入ったっていうんだよ。もちろんすぐに仲良くなったさ。そいつと毎日芸術について熱く語り合う青春の日々がぼくにはあるのさ」

「だったらその人と遊んでてください。それでは」

 私は雪に背を向けてその場を歩き始めた。雪はそんな私を追いかけながら。

「待ってよぉお! つれない一子ちゃんだなぁ。君がダメなんだったら、せめて二葉ちゃんと会わせてよぉおお! ずっと離れ離れでつらかったんだからぁあああ!」

 しつこい上に失礼な奴だ。私達全員を愛すると言いながら、結局二葉が恋しかっただけじゃないか。

 聞いていた通りだ。大した男じゃない。あんな奴と私達が付き合うだなんてありえない。

 みんなもそう思うよね?

『そんなことないですよぅ。雪さんは素敵な方です。私達と共に戦ってくれました』

 二葉の声がした。

『あいつの根性のお陰でガンマに勝てたところはある。情けない奴ではあるがな』

 三浦の声がした。

『キープしといて色々貢がせるってのはどうよ? あんなイージーなのはどうとでも弄べるわ』

 四季の声がした。

『確かに実家は太いんだよな。木更津芸大生でもあるし、性格以外は優良なんだよな』

 五木の声がした。

『私は別に良いと思う。顔は格好良いしね。それに結構、勇気あるよ』

 六花の声がした。その一つ一つに耳を傾けて、私はしばし黙考した後で、雪の方に振り向いた。

「一子ちゃん?」

「しょうがないから受け取ってあげます」

 私が両手を差し出すと、雪は感極まったように花束を手渡して来た。

「一子ちゃん……っていうことは……」

「あ、今すぐ付き合うとかではないですよ。それでも、とりあえずお家まで送ってもらうくらいは良いのかなって」

「わ、分かった。じゃ、すぐに僕のポルシェに乗ってもらうね」

 嬉しそうな顔で私を車までエスコートして、得意げな顔で助手席の扉を開ける。そして自慢げにハンドルを握ると、どうにもたどたどしい運転で自動車は走り始めた。

 話し掛けて来る雪にテキトウに返事を返しながら、私は頭の中の住人達に意識を向ける。しかし誰も声を掛けてくることはなく、その気配を読み取ることもままならなかった。

 彼ら彼女らが私に声を掛けてくることは稀だった。強く呼びかけても無視されることもあるし、逆に静かにして欲しい時に騒がしいこともある。そして現れる頻度は少しずつ減っていて、今ではどこで何をしているのかも良く分からない。

 それでも。

 それでも彼らは私の一部なのだ。彼らは私の代わりにつらい時を生き、私を守り、私の為に戦い、私の人生を築き上げて来た。その一人一人が私にとってかけがえのない心の一部で、だからそれは無くなることはないし、消えることはない。

 だからきっと、彼らはずっと私の中にいるのだ。

 あの静かで少しだけ気味の悪いお城の中で、しょっちゅう喧嘩したりいがみ合ったりして。それでも互いの存在をかけがえなく大切にしながら、今この瞬間も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虹川一子と五つの棺 粘膜王女三世 @nennmakuouzyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ