第二十四話
「別にあーしら全員が殺人狂って訳じゃないよ」ベータは言った。「他人を殺すのはいーちゃん……イプシロンだけ。お父さんを殺す為に生まれたイプシロンには、殺人衝動のようなものが備わっていてね。何か月に一度は、どの道人を殺さなくちゃいけないんだ」
「どうしてそんな危険な人格をどうして飼い続けてるのよ」私(第四人格)はベータを睨んだ。
「デルタが気に入っているんだよ。イプシロンが人を殺す様子をデルタは『窓』の後ろ方からじっと眺めてて、目に焼き付けた光景を自身の芸術活動に役立てるんだ。木更津芸大に受かったのも、その退廃的で尖った画風が評価されたからなんだよね。雪さんには『上手いところが上手いだけ』とか言われるけどね」
ベータは雪の方を一瞥したが、雪はうつむいたまま何も言わなかった。
「それにあーしらだって邪魔な人や死んで欲しい人は何人もいるよ? お父さんだけは殺せなかったけど、それでも嫌な人を事故に見せかけたりして上手く殺してくれるいーちゃんは、結構お役立ちなんだ。殺した五人の内の一人は大学の嫌な教授で、二人はデルタが昔好きだった女とその恋人だしね。六花ちゃんへの恩返しがなかったとしても、話し合っていつか殺ってた連中に過ぎないんだよ」
胸糞が悪かった。
「で、そうやって何人も殺して遺体の一部を置いて、緊張感を高めた後で、最後の最後に四季さんの絵を出せば完璧って訳。あの絵は正真正銘あなたが描いた絵なんだし、それを見抜ける人もあなた達の中にはいるんでしょう?」
「……そうね。その通りよ。それについては、あんたらの思い通りになったわ」
……こいつらは六花を通じて知っていたのだ。二葉の存在を。
私達は全員二葉の審美眼を信頼していた。もちろん六花だってそうだったのだろう。二葉なら私の絵が私の絵であることを見抜けると六花は確信していたのだ。
「ねぇ四季さん」
「何よ」
「アルファに教わりながらあの六枚の絵を描いていた時、あなたは幸せだった?」
「……なんでそんなことを聞くの?」
「あーし本物の恋って知らないんだよ。だからアルファに絵を教わってるあなたの姿はなんというか眩しくってさ。本当に好きな人と一緒にいる時、女の子ってこんな顔をするんだなって思うと、胸がきゅんきゅんしたっていうのかな?」
ベータは幼稚な言葉を交えて囀り続ける。無邪気な表情で。恋に憧れる少女の顔で。
「他の交代人格達にも内緒だったもんね。アルファにだけは何でも話してさ。自分の抱えてる多重人格のことも、交代人格の仲間達のことも、何もかも全部。アルファは優しく聞いてくれたよね。他のどの交代人格よりも四季さんのことが好きって言ってくれたよね? 申し送りには普通にただ付き合ってるだけみたいに描いて、その実、アルファの家ではアルファにしか見せない絵を描いていたんだ」
提案をしたのは唯人だった。交代人格達について話す私に、唯人はその姿を絵に起こしてみて欲しいと提案した。唯人は私達の、何よりも私自身の脳内世界における本来の姿を知りたがった。私にそれを拒む理由はなかった。
「一つだけ言えることがあるとすれば……あの絵自体は犯行に使う為に描かせたものじゃなく、あくまでアルファとあなたの恋愛の中で生まれた、純粋な代物だったっていうことだね」
「だったらどうしてその絵を、誰にも見せずに唯人に預けていた大切な六枚の絵を、あなた達は犯行に使ったりなんかしたのよ?」
「あれ以上に四季さんが殺人犯だと強く印象付けるのに有利な材料はないから。多数決で決まったらアルファだって従うしかない。ちなみに提案したのはあーしだよ。いえい」
ベータはピースサインを私に向けた。
「ちなみに遺体の一部と共に残してた犯行声明の謎解きを考えたのもあーし。ああいうの考えるの得意でさ。イプシロンは殺すことにしか興味ないけど、デルタとかはそういう劇場型殺人にも興味あるから、細部を色々詰めてくれたんだ」
「……つまり結局、あなた達はどの人格も全員、骨の髄まで殺人狂って訳なんじゃない……」
「そうかもね。でも一つ疑問。ねぇ四季さん、なんで五木さんたちに問いただされた時に、あーし達……鈴木唯人が怪しいって言わなかったの? 六枚の絵を管理してたのは四季さんの恋人である唯人ことアルファなんだから、それが犯行に関わってることは明らかな訳じゃん」
「知れたことよ」
私は吐き捨てるように言った。
「好きだったから。唯人が人殺しだってことは分かってた。でも、そのことを告発して、唯人の画家としての将来を閉ざすことは、私にはどうしても出来なかったの」
そうなのだ。
唯人は画家になる為に本当に努力していた。寝食を惜しんで絵の勉強をし、講師のアルバイトにも精を出し、自分の画風を一生懸命に磨いていた。実際に絵を描いていたのは私の知る唯人ではなくデルタという別人格のようだったけれど……しかしそんなことを知らない私は、どうしても唯人を告発することが出来なかったのだ。
私は心の底から唯人を愛していた。それは唯人が私の絵を犯行に用いたとしても変わらなかった。だから唯人の邪魔になることは出来なかった。唯人に裏切られた悲しみを胸に抱えたまま、一人静かに棺桶の中で眠ることに決めた。
それで良かったと思っていた。こうして本当のことを知るまでは。
「もしも私が唯人のことを仲間に告発していたら、仲間の内の誰かしらは唯人のところに来るわよね? 三浦が大暴れしてけがをさせるかもしれない。二葉はバカだから勝手に自首をするかもしれない。そんなことになったら唯人が困る。だから私は黙って封印されることにした」
「ふうん。……純愛だねぇ」
ベータは憧れるかのように、とろんとした目をして言った。
「あーしちょっと四季さんのこと好きになったかも。アルファは幸せ者だよ、本当」
「もし私が仲間に唯人のことチクって、五木あたりが問い詰めにやって来たら、あんたらはどう対応するつもりだったの?」
「殺人を認めたところでまさか通報なんて出来ないでしょ? 何せそっちは共犯関係なんだから、一緒になって黙っているしかない。だからこっちは普通に認めるだけだし、実際認めたよ?」
「認めた?」
「うん。五木さん、四季さんが棺桶に封印された次の日に、あーしらの家まで来たんだ」
……あーしらが殺人の実行役だって気付いたみたい。と、ベータは関心を交えた声で言った。
「四季さんが皆に内緒で絵を描ける隙があるとすれば、それはアルファこと君の恋人の唯人と一緒にいる時間が最有力だって、五木さんには分かったみたい。六花ちゃんが犯人って見抜けなかった以上名探偵とはとても言えないけどさ、てんで大したことないって程じゃないみたいだよ。そっちのブレーンは」
「……それで、どう答えたのよ?」
「さっきも言ったように、あーしらが人を殺してたことはちゃんと認めた。その上で二つの嘘を混ぜさせてもらった。まず動機について、『四季さんの絵を君達に印象付ける為の劇場型殺人を二人で計画した』って話したし、実行役についても『自分と四季が交互にやった』ともっともらしく話しておいたよ」
「……奴はそれを信じたの?」
「後者はともかく、前者は懐疑的だったな。『そんなことをする程四季はバカじゃない。他に理由があるんだろう!』とか突っかかって来てね。アルファもボロを出さないのは大変だったみたいだね」
……あの生意気なガキンチョに、そんな熱い一面があるとは。意外だった。
「そんで聞けば五木さん、そのことを仲間の誰にも話さないことにしたみたいだね。申し送りにも描かないって言ってたよ」
「どうして?」
「あなたの為だよ。唯人が殺人犯だってことは、四季さんが棺桶で眠ることになってまで隠し通した事実なんだよ? そうやって自分の口を封じて恋人を守ったんだね。だから五木さんはそれを仲間にはばらさず、墓場まで持って行くことにした。アルファにそれ以上の殺人を犯さないことを約束させる以上のことは、五木さんはしなかったんだね」
「…………ふうん」
五木は釈明を拒んで開き直ったあたしを棺桶に閉じ込めた。その一方で、五木は私の秘密を守ってもいたのだ。私が守り抜いた秘密を五木も守ったのだ。守ろうとしてくれたのだ。
「とにかく、四季さんを封印することに成功して、後からやって来た五木さんもやり込められて、あーしらとしてはこれでミッションコンプリート。お父さんを殺してくれた大恩人の六花ちゃんに報いることが出来て、ついでに殺したい奴も何人か始末出来た。イプシロンは短期間で四人も殺せてほくほく。デルタは絵の資料がたくさん手に入って喜んでたし、あーしは六花ちゃんとの友情を深められた。オールハッピー。……の、はずだったんだけど……余計なことを考える奴はいるもんだよね」
「……余計なこと?」
「そ。そっちの長子で、苦痛の管理者の二葉さんが、本気で自首を考えてるっていうんだもの」
ベータは可愛らしく唇を尖らせた……つもりだろうが、大の男である唯人がやると、それはどこかしら不気味だった。
「六花ちゃんにそのことを相談されて、あーしらは六花ちゃんを……あなた達を殺すかどうか悩んだ。皆で議論して、それでも決められなくて、結局『先生』に決めて貰っちゃった」
「『先生』って……?」
「保護者の人格。そっちでいう『天使様』のポジションじゃないのかな? その人に相談して、結局、あなたを殺すことが決まったって訳」
そこまで聞いて、私はようやくすべてを理解した。私が封印されている間に起きたこと、私がここで手錠で拘束されている、その理由。
「目覚めたみたいだから車に戻るのやめて様子を見に来たけど、実際に殺すのはもうちょっと後になるかな。デルタが殺し方にこだわるみたいでね。カメラと三脚を取りに行ったり、凶器を準備したり、色々あるんだ。だからちょっとの間だけ待っててね」
その言葉を残して……ベータは、その場から立ち去った。
「……大変なことになっちゃったね。一子ちゃん」
雪が蒼い顔をしていた。
「スマホ……は、もちろん没収されてるみたいだね。一子ちゃんの方も同じかな?」
「……そうみたい。あ、でも、三浦が持ち歩いてるナイフならあるわ」
折りたたんでかなり小さくなるタイプのナイフだ。ポケットではなく懐の奥深くに隠してあるので、奴らも気付かなかったようだ。
「それ貸して?」
「何でよ?」
「手錠かドアの取っ手かどっちか壊せないか試してみる」
「……無駄だと思うんだけどね。まあ、いいわ。一応試してみて」
そう言って、私は雪にナイフを手渡してから、一人静かに目を閉じる。
この状況を解決するのに必要なのは、隣で無駄な努力を開始した冴えない男の力ではない。
同じ人生を共に生きる、仲間達だ。
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