五章
第二十二話
……ザメヨ。
声が聞こえた。
……メザメヨ。
私(四季・第四人格)は真っ暗な棺桶の中で目を覚ました。視界は暗黒に包まれており、ただ冷たい鉄の感触と錆びたような臭いがするだけだった。
決して居心地の良い空間とは言えなかったが、それでもそこは安らぎに満ちた場所のはずだった。コックピットに座り、日々の人間関係のやりくりに神経を使う必要もない。将来への不安も現状への憂いもすべて他の連中に押し付けにして、ここで目を閉じていればそれで済む。わたしはそんな安らぎを手に入れた、はずだったのに。
……メザメヨ、シキ。メザメヨ。
棺桶の扉が開いた。途端、外の空気が棺桶の内部に侵食して来る。森と土の匂いと眩い星空の明るさと冷ややかな夜風が、私に降り注ぐ。
今の声は何だったのか? 声の主を探して私はあたりを見回した。そこは天使様の囚われている山頂の小屋の傍らしく、私の眠っていた棺桶の隣にはもう一つ、一子の眠る棺桶が設置されている。開かれた私の棺桶とは異なり、それはいつものように固く閉ざされていた。
「天使様?」
私は小屋に向かって呼んだ。
「天使様。あんたが私を起こしたの?」
返事はない。だが私は私の心にあんな風に話しかけ、棺桶から解放する存在に他に心当たりがなかった。天使様はこの精神世界でおおよそ全能の存在だ。これまでになかっただけで、ああして声を掛けて来ることがあり得ないという訳でもない。
「そもそもの話……『この世界』で何が起こってもおかしくないのは、天使様絡みに限ったことじゃないのよね」
私は呟いた。そうだ。ここはあくまでも一子の脳内の世界だ。一子の……私達交代人格全員の妄想が作り上げた空間と言って良い。誰の性格を反映してかその在り方には厳格なルールが存在するが、それでも妄想であることに違いがない以上、何が起こるかなんて誰にも分からないのだ。
私は一人山を降りて城へと向かった。
長い道のりを超えて城の扉を開けると、飽きる程見慣れた四つの交代人格達が、いつものようにバカ面を下げて玄関に集合していた。
何があったのだろうか? 見れば六花が膝に顔を完全にうずめて表情を見せないまま身を震わせており、それを五木と三浦が取り囲むようにして剣呑な顔を浮かべていた。二葉はそんな三人の傍に立って何やらおろおろした様子を見せている。
「……四季さん?」
その二葉が私に気付いて反応した。
「どうしてここにいるんですか? 棺桶に封印されていたはずじゃ……」
「あんたらが解放してくれたんじゃないの?」
「違います。あの、どういうことなんでしょう?」
「きっと天使様が気を利かせてくれたのさ」
五木が肩を竦めて私の方を見た。
「どっち道、こちらから解放しに向かうつもりだったんだ。手間が省けて助かったと言える」
「どうして私を解放する気になったのかしら?」
「真犯人が発覚したからさ」
「それってどういう……」
その時だった。
コックピットから大きなアラート音が鳴り響いた。城全体どころかこの世界全体に響き渡るような大音量のそれは、鳴る度に私達に激しい頭痛を齎すものだ。
この音が鳴り響くということは、眠っていた一子の肉体が強制的に覚醒することを意味する。自然に起床する際は私達の誰かがコックピットに移動してコントローラーの電源を入れることになるが、何らかの刺激によって叩き起される際はこの音が鳴る。肉体には強制的にスイッチが入れられ、誰かしらがコントローラーごとコックピットに瞬間移動させられるのだ。
今回は一体誰が出るのかしら? なんて思う間もなく私はコックピットへと飛ばされた。
さあ一体、何が起きているのか。
目を覚ますとそこは近所の廃ホテルだった。数日前に男の死体と共に目が覚めた、忌まわしい記憶が想起されるあの場所だ。
異常なことに、私の右手には金属の黒い手錠がかけられていていた。手錠の反対側はドアの筒状の取っ手に繋がっていて、それによって私はその場から逃げられなくなっている。そして私のすぐ隣、肩が触れ合う位置に雪がいて、耳が痛くなるような大声で喚き続けていた。
「誰かーっ! 誰かいませんかー! 誰か来てくださーい! 誰かーっ!」
キンキンとした高い声。男がどうしてこんな高くてみっともない声を出せるのか疑問なくらい、それは騒然とした喚き声だった。
「誰かー! 誰か来てー! おーい! おーいおーいおーい誰か! 誰かーっ! 助けてーっ!」
本当にうるさい。雪の腕には私と同じような手錠が嵌められていて、それが私と同じドアの取っ手に繋がっている。
「あっ。一子ちゃん! 一子ちゃん起きた? 起きた?」
雪は目に涙を貯めたおよそ頼りになるとは言い難い情けない表情で私を見詰めた。
「大丈夫だよ一子ちゃん僕がいるからねっ。僕がきっとこの異常な状況から助けてあげるからねっ。大丈夫だからねっ。ねっ!」
「うるさいよ!」
私はとりあえずそう言って雪を黙らせてから、状況を把握する為に黙考を開始した。
どうやらこの雪の大声で目が覚めたらしい。その所為でここ数日間棺桶に封印されっぱなしだった私が出る羽目になったという訳だ。忌々しい。
この状況も良く分からない。何故廃墟に手錠で繋がれているのだろうか?
やがて足音がした。私達が繋がれているのとは別の扉から、唯人が現れて私達に近付いて来る。驚きと納得の入り混じった感情で呆然と見つめる私に、唯人は妙に女性的な仕草で手を口元に持って行き、奇妙な程にあどけなく小首を傾げた。
「目が覚めたかな? 助かろうとして大声出しちゃう気持ちは分かるんだけど、無駄だと思うな。こんな近くに山と水路しかない廃墟で喚いても誰も来ないし、そうでなくともこの建物は大きいからね。そうそう声なんて外に出て行かないよ」
「唯人さん! ねぇ、これどういうことなの?」
そう尋ねると、唯人は妙に間延びして高い声でと喋り方で答えた。
「仲間から申し送りは受け取っていない? 六花ちゃんからは、いつもそうやって他と記憶を共有してるって聞いたんだけど」
「確かにそうだけど、今回はそんな暇がなくって……」
なんて言いながら、私は唯人の言葉に違和感を覚えた。
「ちょっと待って。申し送りのことを唯人さんに話したのって、私でしょう? 六花から聞いたって……どういうこと?」
「あーしが申し送りのこと聞いたのは六花ちゃんだよ。あなたが申し送りのことを話したのは、アルファ」
「アルファって……何を言って」
「あーしはベータ。鈴木唯人の交代人格の一人で、苦痛の管理者なんだ」
そう言って、ベータと名乗った唯人はその場でぺこりとアタマを下げた。
「十二歳の女の子だよ。こんな大きな体で、口や腕や脛に毛も生えてて、おちんちんも付いてるけど、それでも正真正銘女の子なんだ。笑わないでね?」
「ちょっと唯人さん。これは一体何の冗談で」
「あんたも多重人格者なのか?」
口を挟んだのは雪だった。先ほどまでのようには取り乱してはおらず、冷静な口調だった。
「そうだよ雪さん。あなたに会ってたのはほとんどホストのアルファだから、あーしはお初にお目にかかる感じかな? 窓からいつも見てたけど……本当に美青年さんだね」
「おかしいとは思ってたんだ。あんたの絵ぇだけ見れば、まあまあ良い技術も知識も持っていそうなのに、講義の内容は無難っていうか正直ヘボいからさ。授業担当と絵を描く担当がそれぞれ別の人格だって言うのなら、納得が行く」
目の前で行われているやり取りに、私は困惑し続けていた。
唯人が多重人格者だった? そしてベータとかいう交代人格がいて、そいつは六花と既に会っている? しかも六花はそのベータに私達の秘密を話した?
「あなたはどの一子さん?」
ベータは尋ねた。
「四季よ」
「四季さんはもう封印されたってさっき六花ちゃんに聞いたよ?」
「でも四季なのよ」
「蘇ったの?」
「そのようね。気が付いたら棺桶の外に出てた」
「そっちの世界の封印は結構いい加減なんだね。こっちだと皆でバットとかナイフとかで動けなくなるまでグチャグチャにするから、一度消した人格は基本復活とかしないんだけどな」
剣呑なことを無邪気な口調で話すベータに、わたしは息を飲んで尋ねた。
「……ねぇベータ。街で人を殺して回って、私の身の回りに遺体の一部を置いていたのは、あんたなの?」
それは質問だったが実際のところ答えは分かっていた。交代人格の他の誰が分からなくとも、他でもないこの私だけは、強い確信を持って真相を捉えていたのだから。
「そうだよ」
ベータはこともなげにそう答えた。
私は胸の奥が底冷えするような感覚に陥った。
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