第二十話

 俺(三浦・第三人格)はコックピットを交代するなり目の前の女を睨んだ。

 雪とその姉がいる。姉の方を見るのは初めてだった。

 「……腕は胸の前か頭の上で組む。両足は開くか右脚を左脚の上に乗せる。拳は必要以上に硬く握る。視線は相手を威圧するかのように下から睨み付ける。……夏彦にちょっかいを掛けた子を暴力で遣り込めた人格ね。あなたが守護者なのかしら?」

 「うるせぇよ」囀る女……雪の姉……に俺は低い声で言った。「てめぇ。どこまで分かってるのかは知らねぇが、余計な真似をすると良くねぇぞ?」「余計な真似とは?」「何があっても俺達のことを他人に話すな。それがあんたが平和に暮らし続ける唯一の方法だ」「あなた達の許可があるまで誰にも話すつもりはありません。それは約束します」「何があっても許可しねぇよ」

 俺はそう言って鼻を鳴らしたが、雪の姉は特に気にした素振りも見せず、柔らかな声で続ける。

 「あなたは自分達が抱えている状況をそのまま維持すべきだと考えているのですか?」「他にどうすることが出来る? 俺は消えたくない」「あなたは自分達の症状が人に知れれば、それが自分が消えることに繋がると考えているのですね?」「そうだろう。五木の奴がそう言っていた」

「イツキというのは?」「俺達の身内の一人だ。いけ好かない奴だが、アタマが良い」「人格にはそれぞれ名前が付いているのですね」「ああそうだ。ないと不便だ」「あなたの名前を教えてもらえますか?」「三浦だ。男は何故か苗字なんだ」「イツキさんというのは男性ですか? 女性ですか?」「男だよ」「五本の木と描くのですか?」「さあな。確かそうだったと思う」「名前に数字が入っているのに意味はありますか?」「あるぞ。主人格が『一子』だから、番号が名前に入るようになった。俺は三番目だ」「あなたがたまに暴れるのは、それがあなたの役割だから?」「そうだ」「あなたは強い?」「俺達の中では一番な」「人にケガをさせる時はいつもあなた?」「ああ。何人も病院送りにして来た。その所為で仲間に迷惑を掛けるが、俺はそういう役割だから仕方ないんだ」「人格にはそれぞれ役割がある?」「ある」「他の人格のすべてをあなたは知っている?」「ああ知っている。俺達みたいな奴で、お互いがお互いを把握していないなんてケースはあるのか?」「ありますよ。むしろ、その方が多いようです。百を超える人格があって把握しきれていなかったり、数はそれほどでもなくても互いの存在に気付いていなかったり、様々です」「へえ。そりゃ面白いな」

 「あんたと話すと喋り過ぎるな」俺は忌まわしい気持ちで言った。「余計なことまで言ってしまいそうだ。いや、言わされているんだろうな。そういう奴と話すのは俺は苦手だ」

 「では他の方に代わりますか? 先ほど話に出た五木さんですとか」

 「あいつ次第だな。だが話したがるような気はする」

 「聞いてみませんか?」

 「そうすっかな」

 俺はコックピットの受話器を手に取った。


 〇


 「やれやれ」ぼく(五木・第五人格)は肩を竦めた。「どうして話す羽目になっているんだか」

 やはり二葉は余計なことしかしない。いつもそうだ。長子だとか言って、本来なら自分の裁量にないような決断をしたがるのだ。

 「すぐに頬杖を突きましたね」雪秋穂は言った。「両肘を着いて、もう片方の手は開いて前に掲げている。脚は軽く開いて踵のところで交差させる。目線はフラットに、相手の目をしっかりと見る。あなたが五木さんですか?」

 「そうさ。いちいち講釈をぶらなくても、あんたがぼく達の仕草を一人一人見抜いていることは分かっているよ」ぼくは言う。「いや、見抜いたのはあんたの弟だったか。痴愚魯鈍の類だと思っていたら、意外と洞察力があるもんだ」

 「あなたはどういう役割の人格なの?」

 「頭脳労働が担当だ。主に勉学、特に理系科目が得意だね。探し物や調べ物なんかも」

 「他にどんな役割があるのですか?」

 「二葉は苦痛の管理者、三浦は守護者、六花の奴は手先が器用だ。四季って奴も前にいたんだが、そいつはホスト役だった」

 「どうして四季さんはいなくなったのですか?」

 「それは答えられない。ぼく以外に聞いてもそうだと思うよ」

 「今挙げた四人にあなたを加えた五人が人格のすべて?」

 「そうだね。一子ってのもいて主人格なんだが、今は深い眠りに着いている。他に天使様ってのもいて、それはいわゆる保護者かな? 彼はコックピットに座ることはない」

 「コックピットというのは?」

 「ビリー・ミリガンでいうところの『スポット』さ」

 「あなた達は普段どうやってやり取りをしているの?」

 「アタマの中にぼく達の済む世界があって、その中にある城に住んでいる。コックピットはその城の中央さ。その中にいる間中、人格達は肉体を操れる。定員は一名」

 「人格同士の関係性は良好?」

 「仲良しこよしではない。とは言え、他の解離性人格障害の奴らと比べれば、遥かに協調出来てるんじゃないかな?」

 「あなたは同じ疾患を持つ他の人達のことも調べているんですね?」

 「図書館とかネットでね。服部雄一は一通り読んだ」

 「『守護者』とか『苦痛の管理者』とか、そういう単語はそこから学んだんですか」

 「ああ」

 「名前に含まれる数字には何かルールがある?」

 「生み出された順番さ」

 「なら交代人格としては、二葉さんという方が最初に生まれた?」

 「ああ。あんたもセラピストなら分かるだろうが、多重人格に至る経緯には似通った蛍光がある。肉体の人格は女性が多くて、ほとんどの場合幼い頃に酷い虐待を経験している。その苦痛を肩代わりさせる為に、最初の交代人格が作り出されるのさ。ぼくらの場合、それが二葉だった」

 「二葉さんはどんな人?」

 「余計なことばかりするアバズレさ。ぼくはそいつが疎ましくてしょうがないが、しかしこれが頼りになる時もたまにはあるんだな」

 「六花さんはどんな人?」

 「アタマの悪い子供」

 「四季さんはどんな人だった?」

 「思い出したくもないね」

 「記憶の共有はあるのかしら?」

 「直接はない。代わりに、申し送りというのを互いに描いて共有している。しかしこれには嘘が描けるのが困りものでね。実際のところは、他の奴の見てないところで誰が何をしているのかは分かったものじゃないな」

 「あなたは症状を人に知られれば人格が消えることになると三浦さんに言ったそうですね?」

 「解離性同一性障害の治療っていうのは、ようするに人格の統合だろう? 誰かを救済人格に立ててそいつを中心に一つになるんだ。それっていうのはつまり、ぼくという固有の魂が消滅することを意味する。そんなことはごめんだね」

 「今のままで一子としての人生を生き抜けると思う?」

 その質問は踏み込んだものに感じられたが、ぼくは正面から受けて立つつもりで相手の目をじっと見据えた。

 「可能だよ。さっきあなたの質問に答えたように、ぼく達は他の多重人格者と比べて、遥かに協調できているんだ。秩序と役割を持って明日を生きる為の自己修養の努力もしている。精神医学の世界では解離性人格性障害は確立された疾患なんだろうが、患者本人が日々の生活に支障を感じていないというのなら、一セラピストでしかないあなたにとやかく言われる筋合いはないはずだよ」

 「本当に生活に支障はないのですか?」雪秋穂はさらに鋭く踏み込んで来る。それは明らかにセラピストとしての職分を超えていたが、雪秋穂に迷いはないようだ。「三浦さんが人を傷付けるのは問題ですよね? 四季さんを失うことになったのにも、何もなかったとはとうてい思えません」

 「いずれも乗り越えていける問題さ。医者や心理士は人格の統合を個々の魂の喪失ではないと説明するそうだが、それは他人事だから言えることなんだ。当事者のぼくらにしたら、そうそう割り切れる問題ではないよ」

 「一つの肉体を、人生を分け合うのはつらくはない?」

 「つらいよ。でも、今ここにいるぼくが消えるのよりは余程良いことだ」

 「それは全員の共通認識?」

 「おおむね。望んであんたのところに来たんなら、二葉が余計なことを考えている可能性はあるが、それはぼくが黙らせる」

 「三浦さんは消えるのを怖がっていた」

 「そうだろうね」

 「六花さんはどうなのですか?」

 「怖がっているだろう」

 「その六花さんとお話させて貰えませんか?」

 「ああ。いいさ」ぼくはコックピットの受話器を手に取った。「ここまで来たら全員と対決してもらおう。子供だからって、奴一人を仲間外れにするのは気が引けるしね」

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