第十四話

 僕(五木:第五人格)はそれぞれの人格達を順番にコックピットに座らせて、六つの絵画の原典を見せた。

 反応はそれぞれだったがそこについて触れることはしない。それぞれのリアクションの後で、ぼく達五人は皆一様に深刻な表情を浮かべ、集会所と化している玄関前で顔を突き合わせていた。

 「良く解けたよね。謎解きを五つとも」六花が感心した風でもなく口にする。「あたし『本』しか分からなかったよ」

 「そうですね。わたしも分かったのは『本』と『水子』だけです。ダメですね」二葉は気持ち胸を張った。自虐風に言ってはいるが、その実二つは分かっていたんだぞと言いたげでもある。「流石は頭脳労働担当と言ったところでしょうか。すごいですね、五木さん。尊敬です」

 媚びるような視線を向けて来るが、ぼくはいつものように無視をする。そしてこいつは懲りずに傷付いたような顔で俯くのだ。鬱陶しい。同じ身体を共有する相手だからと言って、誰とでも仲良く出来る訳じゃないしその義務もないということを、こいつはいつになったら理解するのだろうか?

 「問題はあの絵を描いたのがこの中の誰かということだ」ぼくは改めてその場にいる四人の仲間達を見回した。「この中に、あの絵を見たことがあるという者は?」

 誰も手を上げなかった。ぼくは質問を変える。

 「この中に、誰かがこっそりと、隠れて絵を描いているのに感づいた者は?」

 ここでも誰も手を上げなかった。四季がけだるげな声を出す。

 「その気になれば絵の六枚くらいなんとでもなるんじゃない? 申し送りには嘘だって描けるんだし、こっそりと絵を仕上げていくことは誰にでも出来るわよ」

 「しかしあの絵は半端な時間では描くことが出来ない」

 「時間を描けて少しずつ仕上げれば良いじゃない」

 「絵の保管はどうするんだ?」

 「上手い隠し場所があるんでしょ。というか、それを考えるのが、それこそ頭脳労働担当のあんたの仕事じゃない?」

 「違いない」ぼくは肩を竦めた。「確信はないが、一番怪しいのは四季、君だと思っている」

 四季は微かに鼻白んだような表情を浮かべたが、すぐに攻撃的な表情になり、ぼくを睨み返した。

 「どうしてそう思うのかしら?」

 「ぼくらの中でもっともコックピットにいる時間が長いのはホストである君だ。ダントツで一番多いと言って良い。そして暫定的にはリーダー格と言って良いくらいの発言力を持つ君は、誰がいつコックピットに出るかについて、かなりの部分まで意見出来る。隠れて絵を仕上げるというタスクをもっともこなしやすいのは、間違いなく君なんだよ」

 四季は憮然としている。構わずにぼくは続ける。

 「ここ一か月程の全員のスケジュールを思い浮かべて見ても、六枚の絵を完成させるほどの時間的余裕がある者は、君を除いて一人もいない」

 「だから。小さな時間を集めて行けば、私以外にもどうとでもなるわ。手の速いあんたや三浦は猶更ね。私を怪しむのは分からなくもないけれど、何か証拠があって行っている訳じゃないんでしょう? 違う?」

 「違わないね。だが、君の申し送りを見ながら、怪しい点を精査し、本当にその通りに行動していたのか、聞き込みなどで調査することは簡単にできる」

 「好きにすれば良いじゃない」

 「そうさせて貰うさ」

 そう言って、ぼくはいい加減にその場を収めようとした。毎度毎度険悪な議論をしているのも、流石にうんざりして来たからだ。

 皆も同じ気持ちだったのだろう。弛緩した雰囲気が全体に流れる。

 その時だった。

 「あのぅ。ちょっと良いですか?」

 二葉だった。

 ぼくは思わず剣呑な表情を向けてしまう。自分で先を促すのも嫌だったので、ぼくは三浦あたりが反応するのを待った。

 「どうした?」と三浦。

 「いえその。……あの絵を誰が描いたかって話をするなら、それは絵を見れば良いんじゃないのかなって、思うんですけど、その……」

 「はあ?」四季が攻撃的な声を発した。「そんなのに意味があるなら最初からやってるわよ?バカじゃない?」

 「な、なんで意味がないんですか?」

 「言いがかりの吹っ掛け合いにしかならないからよ。誰の描いた絵に見えるとか見えないとか、そんなの所詮ただの印象に過ぎないじゃないのよ」

 「……でも参考程度にはなるかもね」六花が小さな声を挟んだ。「あたし達、画風にはそれぞれ違いがあるし。皆、一応、絵は上手いし、審美眼も、そりゃあちょっとは、ある訳なんだし。誰の絵に見えるか、言い合ってみる?」

 四季は眉間に皺を寄せて六花の方を見詰めた。六花の方は怯えた様子を見せつつも、四季とは目を合わさず膝に顔をうずめた。

 「俺は分からんぞ」と三浦。「上手い絵だなとは思う。だが、誰の画風とも異なっているように見える。絵だけを見れば、俺達の誰のものでもない絵だと言われた方が、信じやすい」

 「同感だね」ぼくは言った。「おそらく画風は変えてあるんだろうね。本来の画風から離れてこんな絵が描けるのなら二葉かもと思うが、しかし二葉ならむしろもっと良い絵を仕上げて来るような気もする」

 「どっちにしろ分かんないんでしょ? ほら見たことか」四季は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。「言っとくけど私も何も分かんない。六花はどうなの?」

 「…………」六花は膝に顔をうずめたまま沈黙し、か細い声で言った。「分かんないけど」

 最初から分かっていたことだった。明確に誰かの画風に似ているのなら、誰ともなしにそれは指摘されたはずだ。何せぼく達にだってそれぞれある程度の審美眼はあるし、嫌でも常に一緒にいて一緒に絵を描いて来た仲間同士でもある。いつもの画風を用いて描けば、それはあっさりと看破されたはずだ。そうでないということは、それは端からバレないように描いてあるということだ。

 しかし。

 どれだけ画風を変えて描いたとしても、ある程度までの審美眼の人間を騙し果せたとしても、それでも欺けない相手というのは存在する。

 「わたしは四季さんの絵だと思うんですけど」

 二葉はあっさりとそう言ってのけた。

 四季は忌まわし気に歯噛みしながら、三浦は無表情に、六花は目を丸くしながら、それぞれ二葉を見詰めていた。

 「そうなのか?」

 ぼくは言った。いつも二葉のことを無視しているぼくだったが、それは聞き捨てならなかった。他のすべてが邪魔だとしても、こと絵に関する能力だけは、ぼくもこいつを信用していたのだから。

 「は、はい。そう見えるんですけど」

 「どのくらいの確信を持ってそう言えるんだ?」

 「確信っていうか……だってどう見てもそうじゃないですか?」

 「具体的に説明してみろ。ぼくらを納得させるんだ」

 「だってどう見ても……」

 四季が二葉の胸倉を掴んだ。「言いがかりはやめなさい」

 「うぇえええ。ギブギブギブ!」二葉は四季にタップした。「ごめんなさいごめんなさい。でも絶対そうじゃないですかぁ?」

 「どのあたりが四季の絵に見える?」

 三浦が端的に問う。二葉はぼそぼそと説明を始めた。

 「色使いとか線の引き方とかモチーフの配置の仕方とか色々……」

 「それで分かるかよ。具体的に言え」三浦は呆れたような声だった。

 「あの、わたし、他人の絵を批評とかするのすごく嫌で……」

 「批評をしろと言っているんじゃない。相似点を言えと言っているんだ」

 「…………三浦さんや六花さんは主題を分散させるのがお好きですけど、四季さんはテーマをドカンと配置しますし。そこに関しては五木さんも似てますが、でも五木さんは他をあくまで背景として扱うことで主題を際立たせるのに対して、四季さんは主題以外もちゃんとモチーフとして扱いはするし、全体の調和とかもすごく考えられてて」そこまで言って二葉は急に青ざめて言い訳がましくなる。「す、すいません皆さん。比較してる訳じゃなくって、違いを述べているだけで。みんな違ってみんな良いんです。本当です」

 「良いから続きを話せ」

 二葉は絵についての論評をたどたどしく口にして言った。それはとても面白く、そして感銘を受ける時間でもあった。こいつは日頃どんな絵を見ても『上手』とか『素敵』とか以外のことを言わない。こいつが皆の絵についてそれぞれどう考えているのかを知れるのは、とても興味深いことだった。

 「……だから、あの棺桶の配置の仕方は絶対に四季さんで、箱状のものを描く時の線の引き方だって四季さんらしいとは思いませんか? あんなに細かく緻密に色のグラデーションを考えるのも四季さんですよね? 六花さんはもっと感性に従って大胆な感じですし、五木さんは色彩学にひたすら正確で、三浦さんはグラデーション自体をあまり作らないので」

 二葉が何か言う度に皆は順番にコックピットに向かい、絵を確認しては戻って来た。二葉の講釈は小一時間程に及んだ。本人は「だってどう見てもそうじゃないですか」ですべてを片付けたがっていたが、ぼくらがそれを許さなかった。ぼくらの一人一人が、四季さえも、二葉の言葉に興味を持ち二葉の言葉に耳を傾け続けていた。

 「……決定的じゃないか。おい」三浦は眉を大きく歪めながら言った。「いちいち言ってることが腑に落ちるぞ」

 「……流石にね」ぼくは肩を竦めた。「こうして説明されてみると、自分でそれに気付けなかったことが情けなく思えて来る程だ」

 「……うん。良いと思う」六花は頷いた。「あの絵を描いたのは四季さんだよ。二葉さんが言うことに、間違いはなかったんだ」

 四季は顔を引きつらせながら腕を組んでいる。その顔は青ざめていた。これが警察による調査なら、画風の相似なんぞは何の証拠にもならないはずだ。しかしぼくらは皆絵描きであり、正確に行われる寸評に対しては誠実だった。それは四季自身も同じであり、二葉の看破に対してぐうの値も出せないはずだった。

 「……あんたね。あたしが犯人だって言いたい訳?」

 四季は震えた声で言った。

 「いえ……そうではなくて、あくまであの絵は四季さんの絵だなぁって」

 「それはあたしを犯人扱いしてるってことだと分かるでしょ?」

 二葉は黙り込んだ。目が泳いでいる。それはただその場をやり過ごす為の、如何にもこいつらしい沈黙だった。

 「それで四季」ぼくは嘲るような声で四季に言った。「いつの間にこんな絵を描いていたんだ?」

 「さあね。自分で考えてみれば?」

 「申し開きをしろと言っているんだ。しらばっくれるよりそっちの方がまだ君にとって可能性がある。この絵が君の物だってことは最早誰も疑っていないのだから」

 「良く言うわね。二葉が余計なことしなけりゃ、誰もこれが私の絵だって分からなかった癖に」四季はどこか開き直るかのような露悪的な態度だった。「あんたの言う通りよ。ホストの私には皆の何倍も自由な時間があった。その時間をちょっとずつ使って仕上げたのよ」

 「何故人を殺した? 何故こんなことをした?」

 「別に?」

 「なんだそれは?」

 「説明する義理なんかありゃしないわよ。自分で考えてみれば?」四季は偽悪的な笑みを浮かべる。「それに私はこの絵を描いただけよ。人なんて殺してないわ。本当よ」

 「なるほど。犯人は四季さんがこっそりと描いた絵を盗み出して犯行に利用しましたが、そこに四季さんは関わっていないんですね」

 二葉は得心したように頷いた。本気で言っている。相変わらず浮世離れした考え方をする奴だが、最早用済みのこいつにぼくは反応せずに、あくまで四季を弾劾する。

 「ぼくらに隠れてこんな洒落にならない絵を描いた理由はなんだ? そしてそれがどうして犯行に使われている? どうやって犯人は君の絵を入手することが出来た? 答えて見ろ」

 「だから、説明する義理はないのだわ。ふふふふっ」四季は捨て鉢な笑い声をあげた。「あはははははっ。五木、あんたって思ったより賢くないのね。いつもいつも偉そうなことばかり言ってる割に、何も分かってないんじゃない。最後の解決だって結局二葉を頼りにした。バカじゃないのよ。あははははははっ」

 四季は笑っている。笑い続けている。

 「そりゃあそうよね。だってあんたは私と同じ『虹川一子』なんだもの。知ってる? 人間は自分より賢い人間を創造できないのよ! あんたは私達の中で一番賢いというキャラクターを与えられているから、日頃私達にだけそういう風に扱ってもらえるだけで、実際にはまったく大したことはないのだわ」

 笑い続けた四季はとうとう腹を抱え始める。

 「それは誰だってそう。二葉だって三浦だって六花だってこの私だって、皆同じ。我慢強いのも喧嘩が強いのも手先が器用なのも社交的なのも、実際には一子の持つしょぼい能力の一部に過ぎないのに、自分はそれが得意だという思い込みから綱渡りで役割をこなしているだけのことよ。いつかボロが出るわ。ううん。いつだってボロが出ている。だから私達はいつか破綻するし、今だって十分に破綻し切ってるのよ。だって人を殺しちゃったくらいなんだものね! 良い気味だわっ! あははは。あはははははっ。あははははははははっ!」

 「…………犯人でないというなら説明してみろ。申し開きをする義務が、君にはある」

 「ないわよ。あんたに対して、あんたらに対して私は何の義務も義理もない」

 「何故そう言える?」

 「あんた達は私の敵だからよ。時間や人生という限られた貴重なリソースを奪い続けるただの敵。そんな奴らに何を説明してやる義理があるというのかしら」

 「確かに、ぼく達は極めて厄介な状況に置かれている。互いを疎ましく思うことも当然ある」ぼくは自分がかつてなく冷ややかな目をしていることを自覚した。「だがだからこそ協調と秩序が必要なはずなんだ。人格が六つあるという『この状況』を今後どう扱うにせよ、『この状況』がいつまで続くにせよ、日々を生き延びる為に今はやむを得ずとも結託せねばならないはずなんだ。それを妨げた君は看過しがたい大罪人なんだよ」

 「そうかもしれないわね。で、だったらどうするの?」

 「前に言っただろう? 天使様頼んで君を棺桶に封印させてもらうのさ。今すぐにね」

 「待て。それは反対だ」三浦は言った。「そいつからはまだ何も聞き出せていない。棺桶に入れるのは時期尚早だ」

 「そ、そうですよ」二葉が声を震わせた。「第一、四季さんが犯人だとして、封印は本当に必要なことなんですか? 一緒に罪を償いましょうよ」

 「もう、何言ってるの二葉さん」六花は彼女にしてははっきりとした声を出した。「一緒に罪を償うって何なの? みんなで刑務所にでも行くの? 三浦さんも。その人今すぐ封印しとかないと何するか分からないよ。また人殺すよ?」

 「今すぐ尋問すりゃ良いだろうが。五木の推理によれば、『協力者』とやらがいる可能性が高いんだろう?」

 「そいつはどうせ何も話さないさ」ぼくは言った。「話しても話さなくても封印は免れないのだから。これほどまでぼくらに敵意を剥き出しにしている以上、親切に自分の行動を説明してくれるとは思えない。それに」

 ぼくは四季の方に挑発的な表情を向けた。

 「協力者の目星はついている」

 四季は息を飲みかけたようだが、すんでのところで表情を変えてしまうのは免れたようだ。

 「あまりぼくを侮らない方が良い。確かに君の言うとおり、ぼくの持つ思考力は所詮虹川一子の能力の一部さ。だがそれにしたって、それが誰なのか分からない程に鈍くはないのさ」

 「どちらにしろ、現時点で四季を封印するのは不可能なはずです」二葉は口を挟んだ。「誰かを封印する為には過半数の票が必要ですが、今賛成に投じられた票は二票だけですから」

 「そうでもないさ」ぼくは唇を鋭く持ち上げて、居直ろうとする四季に言う。「現在投じられた票は賛成2で反対2だ。そして四季、君だって投票権を失った訳じゃない。キャスティングボードは他でもない君自身が握っている。さあ決断してくれ。君は君自身を今すぐに封印することに、賛成かな? 反対かな?」

 四季は屈辱をこらえるように歯噛みした後、覚悟を決めたように目を反らした。そして言ってのける。

 「賛成ね」

 酷く退廃的な表情を浮かべていた。

 「そう言うと思った」ぼくは勝ち誇った。

 「本当に忌々しい奴ね、あんたは」

 「四季さん……どうして」二葉は目に涙を浮かべている。

 「あんたらと同じ空気を吸うくらいなら消滅した方がずっとマシ。まあ、消えられる保証はないみたいだけど、最低限度深い眠りが保証されるのならね」四季は首を横に振った。「あんたもさっさとそうしたら? ずっと嫌な思いをすることばかり肩代わりさせられて、正直参っているでしょう? あんたが眠りを望むなら、それを叶えるのに一票投じてやったって良い。五木の奴も投票してくれるでしょうから、それで楽になれるわ」

 二葉はそれに答えずに、涙を拭いながら最後の言葉を告げる。

 「あなたの絵はとても上達していました。本当にすごいです」

 四季は微かに面食らったような表情を浮かべたが、最後には笑顔を作った。

 「ありがと」そして大きく腕を上げ、伸びをする。「ああ。ようやく静かに眠れるのね、私。良い気味だわ」

 息を吐きだす。

 「せいぜい頑張りなさいよあんた達。心の底から疎んでいるけど、かと言って、別に軽蔑していた訳でも嫌っていた訳でもない。あんたらは私自身だけれど、愉快でおもしろい奴らだと思ってたわ。本当よ。……じゃあね」

 手を振った四季のその表情には、確かな安堵があるようにも見えた。

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