第十一話
部屋のテレビを点けるとニュースが流れている。
山中で二つの遺体が発見された。一つは首を切られた女性の遺体。警察の調査によるとその身元は専門学生の峰高好美(20)であり、数日前学校に行くと言って外出するのを家族が確認したキリだった。もう一つの遺体は会社員の香久山正雄(57)の物であり、彼もまた数日前から行方不明になっていたらしい。そして香久山の遺体からは肘から先が消えている。警察はこれらの遺体を親指を切り取られた鈴木崇高(44)と一連の犯行と見て調査を進めている。
俺(三浦・第三人格)はそれらのニュースを見て舌打ちをした。そして机の上に置かれた血濡れの新聞紙を見詰める。中には浅黒い色をした人間の右腕が包まれていた。それが香久山正雄のものであることは最早疑いの余地はない。その手の中に握られていたメモ用紙には、いつものように人を馬鹿にしたような謎解きが記載されている。
道化の棺の鍵は私。
私はあなたと共にいた。あなたと出会う願いが叶う時、私はあなたに殺されていた。
「ふざけるなよ」俺は舌打ちをして湯の入ったカップ麺をテーブルに置いた。香久山の腕を右手で観察しながら左手と口で割り箸を割ると、三分測ることせずにラーメンを啜りこんだ。麺は固く味がしなかった。元よりどのラーメンを食っても美味いと思うことはなかった。所詮それらは安い食い物で塩辛くて単調なだけだ。それでも食うのは、物を口に入れて嚥下すれば微かにだが充実した気分を味わえるに過ぎない。一度食った商品を二度と買わないのも、新しい味を楽しむ為ではなく、単に飽きないようにする為だった。
机に置かれた香久山の腕を眺める。会議は嫌いだ。長いからだ。だからこれについて仲間に報告することを思うと憂鬱だった。とは言えそれは後でも良いだろう。何が起ころうと何が見付かろうと、今は俺の時間だった。わざわざコンビニに寄ってまで購入したラーメンなのだから、これを食うくらいの権利はあろうものだ。誰にも文句は言わせない。
特に急ぎはしなかったが、俺はラーメンを数分で平らげてコックピットを出た。
いつも会議の時にするように皆を玄関前に集めると、四季がいきなり二葉の顔を平手で叩いた。二葉は面食らった顔をしたが、すぐにいつものようにへどもどした顔になって、上目遣いに問うた。
「どうしたんですか?」「どうしたんですかじゃないわよ」四季は二葉の胸倉を掴み上げた。「あんたねぇ何を思い上がって唯人さんの前で裸になんてなった訳? はしたない女だと思われたらどうするの? しかもあんな野外で! 警察呼ばれたっておかしくないんだからね」きりきりと二葉を締め上げる四季。「うぇえええギブギブ」目に涙を浮かべて四季の両手を掴む二葉だったが、四季の方が力が強くまともな抵抗になっていない。
俺は溜息を吐いて二人に近付いた。「ちょっと三浦こんな時までこいつを庇う訳? 今回のことはいくら何でも……」四季が言い終える前に、俺は二葉の横っ腹を蹴り飛ばしていた。
四季に胸倉を掴まれていた二葉はそれで数メートル吹っ飛んで廊下の壁にぶつかった。四季は思わず手を放したがそれでも巻き込まれるように体制を崩し床に転がった。俺は二葉に近寄ると、顔を青白くして震えている二葉の髪を持ち上げ、壁に押し当てた。
「男に抱かれたがるのは持って生まれたおまえのサガだ」俺は言った。「俺が短気ですぐに暴れるのと同じだ。最初からそのように作られているし、自分ではそれを制御できない。だからそれをコントロールするのは俺達自身ではなく、周囲の連中なんだ」俺は二葉の顔面を続けざまに二回殴った。唇と目元がそれぞれ切れて血が滲んだ。強く殴ったので大きな青痣になるはずだった。二葉は顔を顰めて許しを請うようにこちらを見詰めたが、俺は容赦せず今度は腹を殴った。
崩れ落ちる身体から俺は手を放して床で休ませてやった。「身体で覚えろ。俺達に迷惑がかかるからじゃない。おまえ自身が痛い思いをするんだ。良いな?」
「……はい」蚊の鳴くような声が聞こえた。俺は身を引くようにして悄然としている四季達に視線を送ると、『これで良いか?』とばかりに首を捻った。
「庇ったつもりか?」これは五木だった。「それだけ派手に痛めつければ、いくらそいつでも同情される。そうやってそいつの立場がこれ以上悪くなることを防いだつもりなんだろう」
俺が答えないでいると、五木は冷笑的に鼻を鳴らす。「抗いがたいサガをコントロールするのが周囲の役目というのなら、君が二葉を暴力で躾けたように、君だって罰を受けなければならないだろう」「何故だ」「無暗に暴れ回って敵を作ったからさ。あれがぼくらを守る為に必要な暴力なら良かった。でも雪の絵を守るのは守護者の責務に含まれない。今回六花が襲われて二葉が盾にならなければならなくなったのは、元を正せば君の所為なんだよ」「六花か二葉が俺に代われば良かった。そうすれば簡単に決着がついた」「だからその二人が悪いというのか?」
「やめようよもう」座り込んだ六花が膝に顔を埋めながら言った。「ないけどさ。仲良しじゃなきゃいけないなんてこと。そんないちいちギスギスする必要までないじゃない。喧嘩する為に集まりたくないよ」
「喧嘩の為に集まったんじゃない。机に置かれた右腕について議論する為だ」五木は言った。「机に置くのが可能そうなのは家を出る時にコックピットにいた四季か、帰った時にコックピットにいた三浦だろう。だが協力者がいるのだとすれば、複製された家の鍵を受け取っていて、留守中にそっとテーブルに腕を置いておくことも出来る。可能性だけなら、誰にでも犯行は可能だと言えるだろうな」
「そもそも、わたし達の誰かが犯行に関わっているという前提は、確かなのでしょうか?」
ダメージから回復しつつある二葉がよろよろと立ち上がった。先ほど殴った顔の箇所が早くも腫れて来ている。二葉は壁に手をやってなんとか直立したが、すぐに諦めたようにその場に座り込んだ。
「わたし達も被害者の一人だったのです。殴られたり血を掛けられたりした人格は、犯人から脅されているとか、何かしらの訳があってそれを黙っているのですよ」
「黙っているなら共犯と同じでしょ」四季は忌まわし気だった。「知ってることを白状させなくちゃ」
「もしぼくらの内の背徳者が、既に共犯者としての役割と終えているのなら、特定は難しいかもしれないな」五木は溜息を吐いた。「直接手を下す役割がそいつの手から離れ、ただ遺体の一部と謎解きの描いたメモを受け取るだけなのだとしたら、尻尾を出す余地はほとんどない」
「天使様にお願いして、誰が犯行に関わっているかを知ることは出来ないの?」六花がそこでバカげたことを言った。
「何言ってんの」四季は首を横に振った。「出来る訳ないじゃない」
「……気持ちは分かるのですが、そうですね。無理だと思います」二葉は気まずそうに目を反らした。「あの方は『この世界』においてほとんど万能ですが……意思疎通がまず図れませんからね」
「でも、一応会いに行ってみたら」と六花。
「本当にそれが出来るんならとっくにやっている。君だってそれを分かっているから、今の今までそれを言い出さずにいたんじゃないのかい?」五木が肩を竦めた。「溺れる者が藁を掴むかのような提案だな、それは」
俺は何も言わなかった。
過去に一度だけ、俺は六花と二人で天使様に会いに行ったことがある。
大昔のことだった。まだコントローラーを四季が管理しだす前のことだ。
その時六花はコントローラーを紛失して困っていた。何をしていて失くしたのかは知らない。子供のやることなんだから理屈なんてない。子供なりの理屈があったとしても興味などない。ただいずれにせよそれは過失であり、過失である以上何かしらの罰が与えられる可能性はある。それを恐れて六花は城の外の川原で泣いていた。俺はそれを見付けた。偶然だった。どうしたと声を掛ける俺に六花は泣きながら事情を話した。それは俺を信頼してというより、どうせバレることになるからと観念したような様子だった。
「天使のところに行こう」
六花の説明を聞き終えて俺はそれを提案した。六花は驚いていた。それはそうだろう。天使様の力を使うには人格同士の協議の末過半数の支持が必要だった。個人的な過失の埋め合わせに天使様の力を使うというのは本来考えられることではなかった。
「どうせコントローラーはなくちゃ困るんだ。協議すればどうせ天使様を頼ることになるのは明らかだ。だったら、俺達で行っても何も変わらないよ」
俺は六花を伴って川沿いを上がり山を登った。道のりは長く険しかった。山林は深く視界はおぼつかず、頻繁に足元を取られて転びそうになった。やがて頂上にたどり着くと一つの小屋があった。俺達はその扉を開けると、中には鉄製の小さな檻があって一つの肉塊が横たわっていた。それが天使様だった。
天使様は大きな目玉の付いた肉の塊で、その重量は自動車程もありそうだった。横たえられた四角柱のような形状で一目には巨大な燻製肉の塊に見えた。皮膚は備わっていたが茶黒い色をしていてその全体が垢めいていた。その巨体の中央に大人の顔程もある巨大な眼球が一つだけあり、それは俺達が近づいたのに気付くとぎょろりとこちらに視線を向けた。
「コントローラーを紛失した。新しいものを用意して欲しい」
天使様は何も言わなかった。身じろぎ一つ瞬き一つ、およそレスポンスと呼べることは何一つしなかった。天使様は口も利かないし何の意思表示も行わなかった。だから何かをお願いする時も一方的にこちらから話すだけだ。だがその要求は聞き入れられたようだった。いつの間にやら新しいコントローラーが俺達の前に現れた。それはそれまで使っていたものと寸分変わらぬ外観をしていた。足元に落ちていたそれを拾い上げると俺は六花に渡した。
「……これ。まずいんじゃないかな」六花は言った。「何がだ?」「コントローラーが二つになっちゃった」「それがどうした?」「あたしが失くした方のコントローラーをもし誰かが見付けたら、それを使って悪さをするかも」
「そうか」俺は頷いた。「なら。今まで使っていた方のコントローラーから、機能を消し去ってもらうことは可能か?」
天使様は何も言わなかった。だが俺はそれを了承の合図だと受け取った。何を言っても何をしても、天使様は何のレスポンスも返さないのだから合図も何もないはずだったが、それでも俺は天使様がそれを了承したように思えた。
俺達が山を下りるとコントローラーを所定の位置に戻した。それで六花の過失は誰も知るところではなくなった。コントローラーが入れ替わっていることに気付く者はいなかった。
数年か経ったある日、二葉が川原で砂に汚れたコントローラーを見付けて俺に見せて来た。
「こんなの見付けたんですけど」「そうか。機能はしてるか」「いえ。どこを押しても、うんともすんとも言わないんです」「貸してみろ」
二葉の言った通り、コントローラーのどこを置いても何の反応もしなかった。
「ゴミだな」
俺は機能を失った古いコントローラーを川に投げ捨てた。川の流れは古いコントローラーを流し去ってどこに行ったのかも分からなくした。「何をするんですか?」と二葉は抗議したが、俺は何も言わず、事情を説明することもしなかった。ただこのことは黙っていろと言い含めただけだった。
天使様は万能で、俺達の為に必要な便宜を図ってくれる。
だが向こうからは何も言わず、質問をしても答えることはない。
それが俺達の身体を使って人を殺している犯人のことであったとしても。
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