第15章「静かな再出発」
翌日の放課後、瑛士と千紗は胸の奥で小さな鼓動を感じながら視聴覚室へ向かった。南野が古いテープをデジタル化してくれたはずだが、その中身が使えるかどうかは分からない。廊下を歩くたび、足音がやけに大きく響く気がする。
視聴覚室の扉を開けると、薄暗い部屋の中で南野は小さなモニタを前に座り込んでいた。画面には、ノイズ交じりの白黒映像が止まっている。南野は振り返って笑みを浮かべる。
「来たかい。とりあえず再生はできたよ。もう何十年も前の映像だから、画質は期待しないでね」
彼の声には安堵の響きがある。どこか、保存されていた記憶を甦らせることができた達成感を感じさせる。
千紗と瑛士はモニタの前に立ち、南野がキーボードを叩くのを見つめる。再生が始まると、ノイズの向こうに祭りの夜らしき風景が浮かび上がった。提灯らしき光、揺れる人影、そして聞き取りづらいが低く響く年配の男性の声——それが昔語りをしている場面なのだろうか。
「音声は不明瞭だけど、確かに何か語っているね。ここに町の伝説や昔の風習について話している箇所があるようだ」
南野が説明する。
映像には、簡素な屋台の側で円座になって聞き入る子どもたちが映っていた。時代を感じる服装。くすんだフィルムの色合いが、まるで遠い夢の残滓のようだ。その中で、老人がゆっくりと、祭りの由来らしきものや、かつて商人たちが何を願って山車を飾ったのかを、断片的に語っているらしい。
細かな言葉は判別しにくいが、千紗は画面に見入った。昔語りの会が、かつては生きた伝承として存在した証拠がここにある。実際に語り部はいなくなってしまったけれど、この映像を補足すれば、現代に甦らせることができるかもしれない。
「これをどうやって今年の祭りで活かそうか」
瑛士は考え込む。素材としては古く、聞き取りづらい箇所が多い。だが、これをそのまま流すだけでは意味が薄いだろう。
「例えばこの映像を、私たちが今撮っている祭りの準備映像と組み合わせるのはどうかな? 昔の記録と今の人々の姿を交互に見せながら、テロップかナレーションで補足すれば、過去と現在が繋がっていることを感じてもらえるかも」
千紗が提案する。その目は輝いている。
南野は満足そうに頷く。
「いいね。それが映像編集の醍醐味だよ。過去と今を対話させることで、失われつつある伝統を新たな形で提示できる。映像は記録であり創造でもあるんだ」
その言葉に瑛士ははっとする。前回のクラス映像は日常の断片を繋ぎ、青春を可視化した。今回はさらに一歩進んで、過去の痕跡を拾い上げ、現在と結合させて意味を紡ぐ。映像表現の可能性が深まっていることを実感する。
南野からテープのデジタルコピーを受け取り、二人は視聴覚室を後にした。廊下を歩く足取りが軽い。目的が見えてきた気がする。
放課後の校舎を抜けると、淡い西日が差し込み、グラウンドには部活動を終えた生徒が数人談笑していた。二人は昇降口を出てから、駅前商店街へ急ぐ。安藤や商店街の人々に、この成果を伝えなくては。
商店街に着くと、秋祭りを数日後に控え、提灯が半数以上飾られ、山車も磨き上げられている。人々は忙しそうだが、どこか嬉しそうでもある。
安藤を探していると、彼女は花屋の店先で新しい鉢植えの位置を確認していた。声をかけると、安藤は振り返り、びっくりしたような笑顔を見せる。
「おかえりなさい。どうだった?」
「はい、完全じゃないけれど、昔語りの映像が残っていました!」
千紗が報告すると、安藤は手を合わせて喜ぶ。
「それは良かったわ! じゃあ、それを今の祭りの映像と組み合わせれば、昔語り自体ができなくても、過去からのメッセージを伝えられるかもしれないわね」
安藤の目には希望の光が映る。失われかけた伝統を、若い世代が新たなかたちで蘇らせる——それは小さな奇跡だろう。
「あと、ナレーションかテロップをつけて、何を語っているか補足します。お年寄りが語っていた内容は不明瞭な部分があるので、私たちなりに資料を調べて補完します」
瑛士は計画を口にする。初めての本格的な編集作業になりそうだ。
安藤は少し考え、
「もし必要なら、郷土資料館の館長に問い合わせて、昔の祭りに関する文献や写真を貸してもらうこともできるかも。私が紹介状を書いてあげるわ」
そう言ってくれる。まるで町全体が、二人を後押ししているような感覚があった。
日が沈み、提灯に明かりが灯される。商店街がほんのり赤い光に包まれ、秋の夕闇が柔らかく町を包む中、二人は静かな決意を固める。
「この編集、結構大変そうだね」
瑛士が苦笑する。
「うん。でも、失われていたものを繋ぎ直すんだから、そのぐらい努力してもいいよ。私たち、ここまで来たんだもん」
千紗は揺るぎない声で応じる。
前回のクラス映像と違い、今回は長い時間軸が関係している。過去の記録を発掘し、現在と結び、人々に届ける。そこには単なる感動とは異なる、文化的価値や伝承という深みがある。
瑛士と千紗は、この新たな試みに胸を躍らせると同時に、再出発のような静かな感覚を味わっていた。前回得た経験や自信は、ここにきて別の形で活かされようとしている。
家路につく途中、千紗がふとつぶやく。
「もし成功したら、映像は過去と今を繋ぐ架け橋になるんだね。誰もが忘れかけたものをもう一度灯すことができるかもしれない」
「そうだね。俺たちがやってることに、ちゃんと意味があると実感できる」
瑛士は頷く。進路や将来に迷いながら、今ここでできることを重ねていくことで、ほんの少しでも世界を良い方向へ導けるかもしれない。
静かな夜風が二人の間を抜ける。学校生活と地域社会を結び、映像というツールで失われかけたつながりを取り戻す試みは、まるで一歩ずつ踏み固める新たな道のようだ。
声高なアピールではなく、地道な編集作業と調査が求められる。だが、それが終わった先には、もう一つの「今」と「昔」が出会う瞬間が待っているだろう。
こうして二人は、自宅での編集作業に取り掛かることを心に決める。週末には資料館を訪れ、映像に足りない情報を補填しよう。深夜にパソコンの前で頭を悩ませ、試行錯誤を重ねるだろう。
それでも、彼らは自分たちの行為が無意味ではないと知っている。静かな再出発は、すでに始まっているのだ。薄暗い街灯の下、二人の影は寄り添い、揺らめくように伸びている。
暁に揺れる花影 マイステラー @x-mythteller
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