第23話 敦盛

 ――永禄三年五月十九日未明。


 宿直とのいである俺は近侍きんじの若い侍たちと交代で仮眠をとっていた。

 うとうとしていると遠くで馬の走る音が聞こえた。


(来たか!)


 俺はむっくりと起き上がり、タライの水で顔を洗い着物を整えた。

 短時間だが眠ったことで、頭は冴えている。


 まだ暗い。

 午前三時頃だろう。


 五月の尾張とはいえ、夜は少々冷える。

 冷たい空気を震わせて馬が清洲城に近づいてくるのが分かった。


 馬のいななき。

 続いて大きな声が響く。


「申し上げます! 今川軍が丸根砦、鷲津砦に打ち掛かりました! 丸根砦には松平元康まつだいら もとやすが率いる三河みかわ衆が! 鷲津砦には朝比奈泰朝あさひな やすともが率いる遠江とおとうみ衆が仕掛けております! 敵は大軍にてお味方苦戦!」


 俺は急いで殿の下へ向かう。

 既に宿直の若い侍が、殿の部屋の戸を開けていた。


 殿は上体だけ起こし両の拳を握りジッと黙している。

 ともし油のあかりを反射した殿の眼光は鋭く、赤く燃えて見えた。


 俺は殿にそっと声を掛けた。


「殿。今川が動きました。丸根と鷲津。両砦に三河衆と遠江衆が仕掛けました。指揮するのは松平元康と朝比奈泰朝です」


 殿は暗い部屋の一角をジッとにらんでいる。

 やがて低い声が部屋に響いた。


「義元は……?」


「おりませぬ。恐らく両砦を松平と朝比奈に任せ、夜が明けたらゆるゆると進むのでしょう」


「うむ……。爽太よ。お主の言った通りになっておる」


「はっ……」


 俺はブルッと震えた。

 急に不安に襲われたのだ。


(本当に桶狭間に来るのか?)


 ここまでは俺の知る歴史通り。

 しかし、今川義元が桶狭間に来るのだろうか?


 ――保証はない。


 ひょっとしたら歴史にない俺の存在が歴史を狂わせているかもしれない。

 義元が歴史と違う行動を取るかもしれない。


 そんな風に考えたら怖くなった。


 織田家の領民、兵士、浅見隊の隊員たち、藤吉郎、又左……。

 俺の敬愛する殿――織田信長。

 そして最後にお市様の顔が浮かんだ。


 彼ら彼女らの運命を俺が握っている。

 助けることが出来るだろうか?

 俺は床の一点を凝視し、ギュッと裾を握る。


「爽太よ。どうした?」


 殿が俺の様子に気付いた。

 俺はハッとして、思考を打ち切り殿の目を見る。

 殿の目は迷いなく澄んでいた。


「少々怖くなり申した」


「戦がか?」


 殿が首を傾げた。

 俺は首を横に振る。


「いえ……。殿に献策した責任を感じておりまする。今川軍の動きは、それがしの予想通り。ですが……、本当に今川義元が討てるか少々不安になり申した。十中八九、義元は桶狭間に来るでしょう。しかし、もしも……」


 俺が胸中を吐露すると殿は笑った。


「ふっ……たわけ! 爽太は我に勝ち筋を示した。十分じゃ!」


 殿の言葉の終わりに感謝の気持ちがにじんだ。

 責任など感じずに良い、勝ちが見えただけで良いのだと、殿は俺に感謝してくれている。


「殿……」


「命を賭けるには十分よ!」


 殿はすくっと立ち上がった。

 そして扇子を持つと朗々と歌い上げながら舞を舞った。


「人間……五十年……」


 俺はハッと息をのむ。


 ――敦盛あつもり


 これは歴史上有名な出来事、織田信長が出陣前に舞った敦盛だ!


「下天のうちを比ぶれば……」


 俺の目の前で織田信長が舞っている。

 朗々とした声が響き、灯りに照らされ白い障子に黒い影が映し出される。


「夢幻の……如くなり……」


 敦盛は人の世のはかなさを歌っている。


 人の世では長い五十年でも、神々の世界ではわずか一日。

 人生は夢や幻のように儚い一瞬の出来事に過ぎない。

 一度この世に生まれ、死なぬ者などいない。


 俺は敦盛の一節の意味をかみしめる。


(殿は一世一代の大仕事に打って出る! 覚悟は決まっているのだ! 献策した俺が臆してどうする!)


 俺は殿の敦盛を五臓六腑にしみわたらせた。

 ブルリと武者震い。


 殿は舞終ると、スッと扇子を下ろし力強く叫んだ。


「出陣じゃ!」


 殿の下知にボーッと殿の舞を見ていた近侍たちが動き出した。


「具足を持て!」


「出陣! 陣太鼓鳴らせ!」


「殿ご出陣! ご出陣!」


 ドンドンドンドンと陣太鼓が鳴り響き、清洲城のあちこちから出陣と声が響き渡った。


■―― 作者より ――■

地名の並びは下記です。


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