転生のホムンクルス ~俺だけ錬金術が使える世界で生まれ変わる~
杉戸 雪人
第1話
トラックとの衝突、女神との遭遇、異世界への転生。極めてありふれた生まれ変わりを果たしたような気がするのに、どうしてだろうか。
俺はまだ、闇の中にいる。
むにゅ
未知との遭遇――この手が何かを掴んだ。
知らない感触。不思議な感触。なのになぜだか懐かしい。
(なんだこれは……!)
ちょうどいい……大きいが、なんとか手に収まりそうなサイズ感。ずっと触っていたい、そう思わせる魔力が謎の物体『むにゅ』にはあった。質感の良い薄い布のような何かの向こう側に、究極のやわらかさと張りが共存しているような何かがそこにはある。
「んっ……んん……」
こらえるような女性の声……多分、かなり若い。
誰か、近くにいるのか。だが、今はそれどころではない。
この手が揉んでいる得体の知れない物体の方が重要だ。
「……あぁっ、ん……!」
奇妙なことに、夢見心地で物体『むにゅ』をいじっていると少女(仮)の声もそれに合わせるかのように変化していた。
それに、声がする度、頬にさらさらした何かが触れてくすぐったい。
うっすらと目を開けて見ると、ぼんやりとした影が俺を見下ろしている。
(これは……!)
だんだんと鮮明になってゆく視界。俺を見下ろす影の正体は、女の子だった。身に纏う黒いフードローブはわずかに青みがかっており、その裾や袖口には呪文らしき紋様が刺繍されていた。まさに魔術師、といった姿に見える。
どうやら、俺の頬に触れていたのはフードの隙間からこぼれた髪だったらしい。彼女が少し揺れるたび、長い舌がくすぐってくるようだった。
(綺麗な髪だ)
その大半は深みのある赤色で、光の加減で炎のようにもルビーのようにも見えた。一方で右目を隠している左側の髪は、炎を育てる石炭のように深い黒色をしている。
思わず触れたくなるようだが――
(――手が離せない)
もういい加減、俺も察していた。俺が触っていたのは……いや、揉んでいたのは――
(――おっぱいだ)
物体『むにゅ』は彼女のおっぱいだった。今さら、『触っていた』などという遠回しな表現を使いたくはない。
揉んだ事実をもみ消すな。それこそが世界ルール。
誰に言うでもなく馬鹿げたことを考えていたその時。
つん
何かに頬をつつかれた。
指だ。少女の繊細な指が、遠慮がちに俺の頬に押し当てられている。それでいて、輪郭をなぞって入念に確かめているようだった。
(そうだ……これこそが触れるということじゃないか)
……だからどうした。
俺は今、前世で積み重ねたであろう徳を、今この瞬間、全て使い切っているんだ。
(もう、これで終わってもいい)
頭がどうにかなりそうでいると、少女の動きが止まる。
「薄目を開けおって。ばれてないとでも思ったか」
少し強気な口調でいて、その言い方は柔らかい――この手に揉んだ感触のように。
彼女の声は先ほどまでの高い声とは打って変わった。落ち着きのある、ほんの少し低めの声……こちらが通常の彼女らしい。
「貴様はいつもそうだな。このむっつりスケベ」
責めるような目、耐えるような口元、真っ赤に染まった頬。
彼女の表情を見て俺は思う。
(返す言葉もございません……!)
……すぅ。
「こら、目を閉じるな」
今からでも、偽装睡眠は間に合うか。大切なものを手放して、目を閉じてみた。
(『むっつり』なのは紳士の証。『スケベ』なのは男の証――)
――ただ、分からない。
『いつも』とはどういうことだ。俺はいつも彼女を揉んでいるのか? 妄想も大概にしろ?
「こら、起きろ」
「あ痛い」
デコピンを食らったらしい。が大して痛くはなかった。痛くもないのに「痛い」と言うのは人体の不思議だ。
俺は目を大きく開け、改めて少女の顔を直視する。
やっぱり、かわいい。
それでいて美人だ。
可愛らしさと美しさ、少女と大人の境界にある顔つきをしている。なんだこの欲張りセットは。
(こんな美少女、今まで出会ったことがない)
その髪よりも赤くきらめく瞳が、俺をじっと見つめていた。
(いや、どこかで見たことがあるような――)
――気のせいか。行ったり来たりする思考に、自分でも呆れてしまう。
まあ、そんなことは些細なことか。俺にはもう、彼女の顔としっかりと隠された胸元を、さりげなく交互に見ることしかできない。
ジト目で「なにか言うことはないか?」と聞かれて、俺は頭の中をフル回転させた。
「悔いはありません」
「ばかもの」
男ってほんと馬鹿。全世界の男たちを自分の愚かさに巻き込みながら、俺は今いるこの世界を見渡してみる。
壁際にベッドらしきものが複数並んでいて、その上に人が寝ていた。こんな硬いベッド――クッション性ゼロ――に寝かされて、可哀そうに。
そう思いつつ、俺は目の前の少女に向き直る。
「ここは……病院……ですか?」
初対面の少女相手に言葉遣いを探っていると、
「どうした。私と貴様の仲であろう? まるで初対面の頃のようではないか」
と言われてしまった。
「俺と君は、揉み合う仲……?」
「な……ぬかせ、ばかもの……!」
……抜かせ? いや、これ以上はいけない。期待を込めて尋ねてみたが、どうやら違ったようだ。
少しずつ彼女との関係を探っていく必要がある。
「ここがどこか、と聞いたな? それは私にも分からない。ただ、少なくとも病院の類ではないだろう。立てるか……?」
そう言って、俺が返事するよりも先に彼女は身体を支えようとしてくれた。あまりに優しくて、思わず目頭が熱くなる。
(俺はこんないい人になんて愚かなことを……)
だが、彼女の支えは甘んじて受け入れることにした。支えなど必要ないくらいに身体は元気だったのに。
彼女が小さな声で「温かいな」と噛みしめるように言う。俺には、そのままの意味で受け取ればいいのか分からなかった。特に寒くもなかったのだから。
二人して並んで立つと、自分の方が彼女よりも背は高かった。こうしてみると、彼女は大人びた雰囲気もあるが幼さも残しているように見える。
と、立ち上がってみるとずいぶんと視界が広がった。
どんな場所なのか確かめようと見回すと、すぐにおかしなことに気がつく。
「これは……!?」
全員同じ顔の少女だ。8人の少女がそこにはいる。白髪に白い服、肌も透き通るように白い。そのまばゆいほどの白さとは対照的に、漆黒のローブが着せられていた。
俺が寝ていたベッドを包囲するように、扇形に並べられたベッドの上で少女たちが寝ている。一つ真ん中のベッドに空きがあるのは、俺の隣に立っている彼女が寝ていたのだろうか。
(息をしているようには見えない……まるで人形だ)
息を呑んで見つめていると、隣に立つ少女が身体を寄せてきた。距離感がおかしい……だが、不思議と緊張はしなかった。それが当たり前のように思えるのは、なぜだろう。
彼女の横顔を眺めていると、その口が動いた。
「まるで人形のようだろう? 私も目覚めてから驚いた」
「君もあの空いているベッドに……?」
「そうだ。もっとも、ベッドにしては温かみに欠けるがな」
「あはは……間違いない」
少女に促され、俺は彼女が寝ていたベッドの方に向かう。
「これを見るんだ」
彼女が指さした先にあったのは見たことのない文字だった。
「
知らない文字が読める。意味が分かるのに、分かる理由が分からない。
いや、それよりもホムンクルスってつまり……ホムンクルスなのか……?
俺はどこかでかじった知識を思い起こす。
錬金術というものがある。それは価値の低い卑金属から価値の高い貴金属を生み出す術で、漫画やアニメではそれを応用して戦いに活かされることも珍しくはない。場合によっては釜でパイを作ったりもする。そんな馬鹿な。記憶違いに違いない。
ともかく、ホムンクルスとは錬金術によって生み出される全知全能だったり不老不死だったりする超常的な存在だ。
この子もそうなのか? 隣に立つ少女の顔をうかがうと、彼女が口を開いた。
「どうやら私は、ホムンクルスとやらになってしまったらしいな」
「なってしまった?」
「やはり貴様は、覚えていないのだな」
少女はわずかに微笑んだ。嬉しそうに見えて、どこか苦し気だった。
「これまでの反応を見ればわかる。ふふ、頭でも打ったようだな」
これまでの反応……。
(エッチなことしか浮かんでこない)
俺は黙って彼女に頭を下げた。
それに気づいているのかいないのか、少女は続ける。
「リオン=ラズグリッド。この名を聞いて、何か思い出さないか」
「……リオン……ラズグリッド」
「まだ足りぬのか?」
さらにぐいと顔を寄せてきた。何かを思い出す以前に、近い。距離感に困っていると「何を照れているのだ」とくすりと笑われてしまう。ああ、情けない。
それにしても、リオンか。リオン……リオン……あともう少しで思い出せそうな気がするんだが。
俺がうーんと唸っていると、リオンが俺の正面に回り込んだ。
「もう一押ししてやろう」
そう言って、彼女は俺の頬に両手を添えて言う。
「お前の名はソール。ソール=アウレアスだ」
ソール=アウレアス……それは確か、俺が生前プレイしていたやりかけのRPGの主人公の名じゃないか。ということは、俺は今、ゲームの主人公に……?
(何かがおかしい)
俺が知っているリオン王女は人間だった……はずだ。断じてホムンクルスなどではない。
「まさか……!」
俺は自分が眠っていたベッドの方に急いで戻った。
『
そこに刻まれた言葉の意味……その全ては分からない。
だが、これで明らかになったのは――
俺は転生者であり、
ゲーム世界の主人公であり、
ホムンクルスである
――ということだった。
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