第22話 ハマりそう

「きゅうけーい!もうむりぃー!!」


 グデーっと机に突っ伏した瑞月。


「まぁ1時間集中したから上出来か」

「だよね!私頑張ったよね!!」

「もうちょっと頑張ってほしいんだがな……?」

「やーだ!猛勉強したくないー!」


 唇を引き伸ばす瑞月は体を起こし、グビッと口にジュースを含む。


「ってことだけど2人はどうする?続けるならこいつの相手しとくけど」

「まるで私が子どもみたいに……!」

「子どもだろ」

「ふーん?祐希くんったらそんなこと言っちゃうんだー!ふーん!」


 膨らませた頬をそっぽに向けた美結に、苦笑を浮かべながらシャーペンを置いた美結は大きく伸びをして紡ぐ。


「私もそろそろ終わろっかな?家でもやるつもりだったし」

「んじゃ俺も終わる」


 美結に続くようにシャーペンを置いた匠海もそそくさと教材をカバンに戻す。


 そんな中、俺と美結はどちらからともなくくっつけていた足を離して靴を履く。


「……なんでみんなそんなに集中できるの……?」

「瑞月が集中できなさすぎだな」

「……私だって頑張れば集中できるし……」

「んなら勉強でも集中してほしいものだ」

「それとこれとは話が別です!」


 やっとこっちを向いたかと思えば、再度ぷいっと顔を逸らしてしまう瑞月。


「まぁでも、瑞月は飲み込みが早いからな。教える側としては楽だぞ?」

「……お世辞じゃなくて?」

「お世辞なんて言わねーよ。飲み込みが早いのは事実だ」

「やっぱり祐希くんは私のこと分かってるー!大好きー!!」

「はいはい俺も俺も」


 刹那に俺の腕にしがみつく瑞月。


 チラッと美結のことを見てみれば、顔には薄く睨みが広がっている。


「とりあえず瑞月はその辺片付けような」

「私の優先順位はイチャつく方が上なの〜」

「後でならいつまでもやっていいから1回片付けような?」

「……わかったよ」


 美結の睨みを避けるように話を逸らしてみれば、ブーっとまるで子どものように不貞腐れる美結は腕から離れる。


「……祐希も片付けてないけどね」

「これから片付けるんだよ」


 謎に揚げ足を取ってきた美結までもが顔を逸らす中、心のなかで小さくため息を吐いた俺も教材を片付けた。


 そんな中、真っ先に片付けを終えた匠海はポケットからスマホを取り出し、なぜか瑞月に画面を向けた。


「機嫌が悪い少女よ」

「……なに?」

「この写真を見たら一発で元気になるぞ?」

「…………この写真?」


 眉間にシワを寄せながらも画面に顔を覗き込ませた瑞月は――大きく目を見開いた。


「こ、これ……!」

「この前祐希と銭湯行った時に隠し撮りしたやつだ。これ見て元気だしな」

「……おい。なんちゅうもん見せてんだ。というかいつ撮った……」

「祐希が服脱ぐ瞬間」

「……そういえばあの時シャッター音が鳴ったような――っておい瑞月!」


 俺が声を張った頃にはもう遅かった。


 机の下に潜り込んだ瑞月は小柄な体を利用してそそくさと匠海の隣へと位置ついた。


「ねね匠海くん!他にはどんな写真があるの!」

「結構なんでもあるぞ?なにが見たい?」

「それじゃあ……祐希くんの寝顔は!?」

「もちろんあるぞ」

「見せて!」


 分かりやすく頬を緩ませた瑞月に俺の声なんて聞こえていないのだろう。


 未だに目を見開く瞳は画面にへばり付き、匠海との距離の近さなんて気にしていない様子。


「…… 祐希のほう行ってるよ?」

「了解。あ、瑞月って美結の写真持ってる?」

「もちろん!寝顔探してる暇に見せてあげる!」

「まじ?サンキューな」


 今目の前にいる実物よりも、珍しい写真1枚のほうがいいのだろう。


 俺たち2人に顔を見せることもない瑞月と匠海はスマホの画面に釘打ち。


「……あれ止めないの?」

「止めた所で、だろ」

「それもそっか」


 右側に腰を下ろした美結と俺の間には人一人分とは言わないが、それほどの距離が開いている。


「え!祐希くんの寝顔可愛い!」

「え待って?美結のピース姿もいいな」


「……正直なところ、あれを止めようとしないのは瑞月に褒められるのが嬉しいから?」

「…………かもな」


 対面の2人を見やる中、一瞬言葉を詰まらせた俺の右手に被せてくるのは、温もりを帯びた美結の左手。


 目一杯開かれた指と指の間は俺の人差し指を捕まえる。


「美結はそもそもあれを止める気はあったのか?」

「んー別にないかな?だし」

「匠海が彼氏で良かったな」

「ほんとにね」


 きっと、美結が言っているのは匠海に対してではないのだろう。


 2人を見守る俺たちの指の全てが絡まり、美結が言った通り『求める』ように手に力を加える。


 さすれば美結も力を込め返し、その手を隠すように肩を近づける。


「(瑞月の手と私の手、どっちがいい?)」


 不意に小声で紡がれるのは地獄のような選択肢。


「(……悪魔か?)」

「(どっち?)」


 逃さまいと言わんばかりに更に力が込められる。


「(…………美結だよ。言わせんな)」

「(ありがと。私も匠海よりも祐希のほうが安心する)」


 ゾクゾクっと背中に這い上がるのは背徳感。


 彼女が目の前にいるというのに。美結の彼氏が目の前にいるというのに。

 俺たちは一線を越えている。


 ――その背徳感が堪らなく、気持ちい


 きっと、俺は道徳心に欠けているのだろう。

 こんな状況に快楽を見出してしまうほど、俺は変態なのだろう。


「(……祐希。好きだよ)」


 そして、美結も俺と同じように道徳心に欠けていて、俺と同じように変態だ。


「(うん、俺も大好きだよ)」


 更に背中に張り巡らされる背徳感と――優越感。


 彼女の写真で舞い上がっている彼氏の前で、俺はその彼女と手を繋いでいる。


「(……これ、ちょっとまずいかもね……)」

「(ん?なんで?)」


 不意に紡がれる言葉に、首を傾げる。


「(……ちょっと、この背徳感にハマりそうな自分がいるから……)」

「(あー……。なるほどな?でももうここまで来たんだから考える必要なくないか?)」

「(そうだけど……)」


 俺とは違って美結にはまだ理性があるらしい。

 けれどなぜ、その理性があるのにこの手に力が宿り続けるのだろうか?


 そんな疑問に答えを紡いだのはすぐのこと。

 クイッとその手を引っ張った美結は俺の筆箱に肘を当てて地面に落とす。


「あ、ごめん」


 なんともまぁわざとと言わんばかりのその声だが、写真に集中してる2人は軽く返事を返すだけ。


 そして美結は頭を机の下へと潜らせる。


「俺の筆箱は丁重に扱ってくれよ……」

「だからごめんってぇ」


 続くように俺も頭を下げ、チャックの開いていない筆箱に手を伸ばし――


「……ん」


 ――突然感じるのは昨夜、幾度となく味わったあの感覚が頬に広がった。


 慌ててその頬を抑える俺は美結の顔を見やるが、その顔はなんとも赤面で――そしていたずらに笑っていた。


「(このままハマったら私、こんな風に歯止めが効かなくなるよ)」


 喉に唾液を通すことすら頭からすっぽ抜けた俺は筆箱から手を離し、そっと赤くなっている美結の頬に添える。


「(……その不意打ちはダメだって……)」


 頬にあった俺の手が美結の顎を掴む。

 そして顔の位置を合わせるようにその顎を上げ――


 ――ドンッ


「いっった……!」


 不意に頭上に痛みが響き渡るのは机に頭を打ったから。


 慌てて顎に添えていた手を離した俺は頭を抑え、対面の2人が机の下を覗く前に体を上げた。


「ゆ、祐希くん?どしたの?」

「机に頭ぶつけた……」

「え!?大丈夫!?」

「軽くだから大丈夫……」

「冷やすもの店員さんに頼もうか!?」

「いやホント大丈夫……」


 あたふたとスマホを片手に右往左往する瑞月に、筆箱を片手にやっと顔を上げた美結が冷静に口を切る。


「大丈夫だよ瑞月。そこまでの強さでは打ってないから。……なんならとどめを刺したいぐらい……!」

「え?美結?すっごい殺気が溢れ出てるよ!?」

「別にそんなことはないけどなぁ……!でも期待さしといてこんな終わり方したもんなぁ……!!」

「こ、後半なんて言ったの?ごめん声がちっさくて……」

「んーん……!なんでもない……!!」

「それにしては殺気立ってるけどね!?」


 多分、後半は俺にしか聞こえていない。

 ……というか多分、俺にしか聞かせるつもりがなかったのだろう。


 グググッとあからさまに力が込められる美結の手は声こそ堪えているが、普通に痛い。


「祐希くん!?美結になにかした!?」


 かっぴらいた目をこちらに向けてくる瑞月だが、当然首を横に振ることしかできない俺は苦笑交じりに言う。


「俺はなんにもしてないよ」

「ほんと!?じゃあなんで怒って――」

「うん……!祐希はなんもしていない……よ……!」

「いや美結のその感じ明らかになんかあっただろ」

「やっぱり彼氏目線でもそう思うよね!?」


 歯を食いしばりながら紡ぐ美結の行動がダメだったのだろう。


 今の今まで無言で見ることしかしていなかった匠海が前かがみに紡ぐ。


「いやほんと俺はなんもしてないよ」

「じゃあなんで美結が怒ってる?」

「……知らねーって」


 俺を第一に疑っているのだろう。

 眉間にシワを寄せる匠海は更に体を前かがみにしてくる。


 正直、このままじゃ逃げ道はないと思った。

 美結も怒りを収めるつもりはないみたいだし、2人の疑いも晴れる事はなさそう。


 ……だから、俺は最終手段に手を伸ばした。


 体の力を抜くように小さくため息を吐いた俺は、肩を竦めながら紡ぐ。


「――生理でも来たんじゃね?」


 刹那、『バチンッ』というすっごい衝撃が頬に加わった。


 先ほど感じた柔らかな唇など跳ね除けるように。ほんっっとうに力強く。


「うわぁ…………」


 対面に座る少女が分かりやすく頬を引きずる。


「…………ごめん。俺が詰め寄ったのが悪いな……」


 前かがみにしていた少年は申し訳無さそうに体を戻す。


「バカ!ほんっとバカ!!デリカシーの欠片もないバカ!!!」


 隣にいた元カノは勢いよく繋いでいた手を離し、腰を上げたかと思えば対面の席へと移動する。


「……はい。バカです」


 やり方を間違えればヒーローは悪役になる。

 きっとこれはその良い例だろう。


 良い子のみんなは絶対に女性に対して俺みたいなことを言うんじゃねーぞ?

 絶対にだ。


 ヒリヒリと痛みを訴える頬を撫でながら苦笑を浮かべる俺は、チラッと横目に対面にいる3人を見る。


「えーっと……こんな状況だけど、この後どうする?」

「…………お前この状況でよく喋れるな」

「メンタルの強さは磨かれてるからな」

「私も結構メンタル強い方だと思ってたけど……祐希くんには負けちゃうかも……」

「そりゃどうも。んでどうする?」


 悠々と頭を下げながらお礼をする俺に冷笑を浮かべる2人はお互いの顔を見合わせて紡ぐ。


「……とりあえず祐希と美結の家行くか。…………このまま明日に持ち込ましたくないし、慰めてくる」

「……だね。私も祐希くんを説教しないといけないし」

「了解。美結は――」

「知らない!行くなら早く行こ!!」

「おっけ」

「…………お前ほんとにメンタル強者だな」

「どうも」


 感謝をひとつ返した俺はグビッとジュースを喉に通し、カバンを手にとって立ち上がる。


 そんな俺に続くように腕を組んだ美結も腰を上げ、横目に俺を見たかと思えば「ふんっ!」と顔を逸らしてしまう。


「……家では気まずくならないように慰めとく……」

「頼んだ」


 匠海にひとつ返事を返した俺は、同じく立ち上がる他の2人に目を向け、そして伝票を片手にレジへと向かった。

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