ツンデレによって! ②

オレンジ一色だった夕暮れに、濃紺色のうこんしょくが滲んで染まる。時刻はとっくに夜を迎え、夕食後の雑事を済ませた俺は、自室のベッドですっかり睡魔に手懐けられていた。


日をまたぎ、迎えた翌日の朝。俺は起床した。時に寝起きとは、脳へどうだっていい情報から必要な情報まで、それら全てが凝縮される瞬間だと俺は思う。気温が丁度いいとか、酸素が足りないから息を吸いたいとか、パサついた口内に嫌悪感を抱いたりだとか。昨晩見た夢について考えたりだって、してもおかしくはない。


「んんーーーっ、はあっ…」


伸びをすると、俺はだらしなく声を漏らした。その後、ケータイで時刻を確認し、のそのそと起き上がって部屋から出る。時間はまだまだ余裕があった、今朝はゆっくりできそうだ。朝の支度をしつつ、ついでに夢についてまとめよう。俺は階段を下った。


洗面台の蛇口を捻り、顔を濡らす。タオルでそれを拭いつつ、脳内でざっと夢についての結論を出してみた。


まあ、内容は大したものじゃなかったな。


たしか、幼い頃のみのるについての夢で、特段ショッキングでもエロティックでもなく、記憶通りと言うに相応しい感じで。

というのも、みのるが蝶々を追いかけていたんだ。場所は、昔一緒によく遊んでいた公園。そしてみのるは満面の笑みのまま、俺に何か言っていた。口の動きと表情からして、「すき!」といったところだろうか。なんだそれ、超かわいい。


だが、幼い頃の話だ。今のあいつがそんなことを言ったら驚くし、何より嬉しいのだが、夢は互いに子供だった頃を指していた。

嬉しいは嬉しいのだが、あの頃は挨拶代わりに『好き』と交わしていたぐらいだ。正直そこまで刺激はなかった。

その上、状況ないし夢そのものが夢である必要が無いほど現実の記憶に沿ったものだった。懐かしいし、可愛かったけど、夢らしい不思議さには欠ける。一体なんだったのやら。


ま、きっと昨日の会話が嬉しくて、昔のことを思い出してしまっただけだろう。さて、着替えて朝飯だ。俺は水を口に含むと、軽くゆすいでぺっと吐いた。


テレビのニュースを適当に流し見しつつ、制服を取り出す。ニュースの内容は平和そのもので、全国のワンちゃんについての可愛さを報道していた。アナウンサーがトイプードルを撫で回し、食べちゃいたいくらい可愛いとしきりに言っている。例えが恐ろしいな。

その後、朝食として焼いたパンを食べ、俺は家を後にした。今朝は涼しい晴れ模様だ。



通学路はすっからかんだった。朝早くだったので当然だろう。いつも通りの道を進み、横断歩道を渡って、気付けば校門を通り過ぎていた。

だいぶ早く着いてしまった。昇降口で靴を履き替え、あとは教室に行くだけ。いざ階段を登ろうとした、その時だった。


「………せし、…………を……かん……」


気のせいでなければ、何か声が聞こえたような。

場所はどこだろうか。玄関の作りはシンプルだ。靴箱を抜けた正面に階段があって、その左右には、非対称の長さの廊下が続いている。右が長く左は短い、そして右にはいくつかの特別教室、左には保健室がある。


声は左側から聞こえた。廊下が短い方だ。しかし、保健室は開いていなかった。となれば、左の廊下から外へ出られるドア───体育館へと繋がる渡り廊下の方か。


渡り廊下に出てみると、今度は上から声が聞こえた。どうやら窓を開けているらしい。姿は見えないが、おそらく二階に位置する一年生の教室だろう。

早朝の学校に用などない、つまり俺は暇を持て余していた。となれば、その暇を潰す必要がある。

そんな訳で、俺は靴箱近くに戻り、意気揚々と階段を登り始めた。


好奇心だけを燃料に足は進む。二階に着くと、声はさらに大きく聞こえた。長く続く廊下の一番奥、どうやら一年四組からみたいだ。そそくさと移動する俺。


その時、静まり返った廊下中に、ついにハッキリとその声が響き渡ったのだ。


「ああ、訪れし闇よ!この私に、私に大いなる力を!」


……なるほど。いや、俺の聞き間違いかもしれない。

もしくは演劇部かどこかの声出しかな。いやー、朝からご苦労なことだ。感心感心。

俺は深く考えることをやめ、とりあえず一年四組まで辿り着いた。しゃがんだ状態で、ドアの隙間から中を覗きこむ。すると、そこには一人の女の子がいた。


「……くっ…」


その風貌は特徴的で、髪は黒いツインテール、身長はみのると似て小柄であり、前髪の一部分が白く染められていた。メッシュというやつだろう。あとなんか、瞳が赤い。うーむ、一目で覚えられそうだ。


そいつはというと、突然胸元で握りこぶしを作り、忌々しそうな声で言った。


「くっ……!友を私と同じ闇へと誘うのは、これほどまでに…」


その拳をバッと上へ掲げたかと思えば、勢いよく開いた。そして、大きな声で高らかに叫んだのだ。


「しかし!!私は自らの闇に飲み込まれる訳にはいかないッ!使命の為に…彼女は必要不可欠なのだから!」


そう言い切ると、奴は満足気によしっ、と小さく頷いた。なにが良しなんだ。


おそらく演劇部ではないようだし、いよいよあの子が何をしているのか分からなくなってきた。気付けば俺の好奇心もすっかり冷え切っている。

そりゃそうだ、なんだなんだと足を運んでみたら中二病って。しかもたぶん一年生だろ、入学して四日目でコレなのかよ。あとなんだ、現代の中二病ってのは存外健康なんだな。まだ7時前だぞ。


…これ以上の見物に意味はないだろう。立ち上がって振り返り、俺は来た道を引き返そうとした。


途端、背後からガラガラっと音が鳴る。


…待て、背後?


後ろに振り返ると、そこには瞳の赤さと同様に、頬を赤らめたツインテ白メッシュの中二病ガールが立っていた。

そいつはピッ、と弱々しくポーズをキメ、小さな声で口にした。


「………ふ、ふははは…私の闇に…えっと、誘われし者が……あの、また一人……?」


疑問形になっちゃったよ。コイツは中二病としての心構えが欠落しているんじゃないのか?こういうのって大抵、他人の目なんか知りませんねーって面で、堂々と言い切るもんだろ。


「…いや、俺は闇に誘われてなどいない。朝早くに学校に来ただけの暇人で、偶然お前の儀式を見てしまっただけだ」


とはいえ、興味本位で人様の恥ずかしいところを見てしまったのだ。俺にも落ち度はある。


「邪魔をして悪かっ───」


謝罪と同時に頭を下げようとしたその時、そいつは大きな声で言った。


「待て!違うぞ、ええと…名前はなんだ!」


「え?あ、ああ…棚角マナブだ」


中二病ガールは仕切り直すように咳をした。そして、


「待て!違うぞ、マナブ!私が行っていたのは儀式ではない!」


「はあ」


どうやらあれは儀式ではなかったらしい。なんてことだ、俺にとっては素晴らしくどうでもいい事実である。


「あれは私の葛藤、その悩みの放出だ!大いなる力を持つ者には、その者ゆえの悩みがある。そう!私ことNEOも、力を持つ者として悩みを抱えていたのだ!」


言ってやったぞという面持ちで、今度はビッとポーズを決めた。弱々しさはとうにない。だからどうした。

そしてどうやら、コイツが赤面を見せた理由は、俺にアレを見られたこと自体でなく、『力を持つ者の悩み』を聞かれたことが理由らしい。だからどうした!どうでもいいし、ホントどうでもいいな!あと演劇部じゃねーのかよ!


「い、色々と質問したいんだが…まず、ネオ?それが名前なのか?あとお前には悩みがあって、それをここで吐いていたって認識でいいんだろうか」


「そうだ!!それこそが私の名前!!実際にネオと読める文字をしていて、それすなわちNEO!そして───NEOとは『新しい』を意味するのだ!!」


どうしても自己紹介がしたかったのか、ハイテンションゆえなのか。こいつは俺の悩みに関しての質問を忘れ、英語のNEOの意味を説明し、そして嬉々としていた。

みのる、お兄ちゃん変な子と会っちまった。お前に関わってこないよう守ってやるからな。


「そうか。じゃあその、頑張ってくれ」


まあ、特に長居する必要もなかった。判明したのだってどうでもいい情報ばかりだし、この子には悪いが、別に去ってもいいだろう。

俺は別れを切り上げると、足早に去ろうとした。すると、NEO(仮称)は俺の袖をぐわしと掴み、その逃亡を許さなかった。


「あの、まだなにか用が?」


「用だと?あるに決まっているではないか、マナブ!この私───NEOの悩みを聞いたのだ!き、聞いてしまったからにはもうどうしようもない!解決してくれなければ、闇の力で呪ってやるぞ…!ねっ、ねっ…?」


コイツは言った、どうしようもない、と。どうにもそうは思えない。俺がおかしいのだろうか?

あと、最後のおねだりじみた付け加えはなんだ。帰られるのが不安なのか。呪えるんだろ、闇のパワーで。


「………」


少し、考えた。別にこいつを振り切ったとしても、教室でやることなど特にありはしない。元はといえば、暇つぶしでここに来たのだ。掛け時計を見やるが、残念なことに時間の余裕はあった。仕方がない。


「はあ……解決できると断言はできない。それでもいいなら話を聞こう」


「──!!いいのか!フ───はっはっはっは!マナブよ、正しい選択をしたな。闇の力で呪われる線は潰えた…暗黒を司る神、ダークネスもお前の来訪を喜んでいる…!」


誰だよダークネス。この子は普通に話すってことができないのか。

というか、まだ解決してないのに、俺の呪われる線はなくなったらしい。つまり『解決しなければ呪う』という条件が、ものの十数秒で『話を聞くだけ』という条件になったのだ。なるほど、ダークネスさんはめちゃくちゃ優しいのかもしれないなあ!アホか。


「あ。その代わり、学生証を見せてくれ。名前が分からんのは不便だ」


「なあっ!神の力を持つ、私の素性を知りたがるとはっ…!裏切ったなマナブ!や、やっぱり闇の力で呪うぞ!ダークネスもめっちゃキレてる!」


おいダークネス、沸点低すぎるだろ。

…単なるごっこ遊びなんだろうが、なんだかちょっと楽しそうだ。やってみるか。俺はいかにも真面目だ、というシリアスな顔付きで低い声を出してみた。


「…能ある鷹は爪を隠すと言う。お前はとてつもない魔力を持ちえているな。そして、その素性が並であると分かれば、お前が賢く強い証明になる。膨大な魔力を持ちながら、それを隠し通す高い技術力があるとな。───違うか?」


案外するすると言葉が出るもんだ。それっぽい。どうだ、これなら渡す気になるだろう。俺はNEO(仮称)に目をやった。


「そ、そうなのか!?」


「おい」


ダメじゃねーかNEOこの野郎!合わせなきゃよかった…俺はわざとらしく咳をして、改めた。


「…いや、なんだ。闇の使徒が本当にうちの生徒か、気になって」


話し方を戻したつもりだったが、ちょっと闇の力が残ってしまった。しかし、どうやらこれでもダメらしい。


「り、理由を変えようとも素性を明かすことはできない!特に私の名はトップシークレットだからな!」


かぶりを振って抗う中二病。仕方がない…


「あー、よし。悩みを聞くのはなかったことに…」


「あーっ、あああーっ!分かった!分かったから帰ろうとしないでくれ!結構本気で悩んでてっ、あっほら学生証持ってるから!はい、はい!ホントにうちの生徒だからぁ!」


じゃあもう帰るね作戦は、シンプルながら成功した。

NEO(仮称)は観念し、勢いよく学生証を差し出した。名前は値緒非実ねお あらずみというらしい。本当にネオが入ってたんだな…。


「トップシークレットだって言ってたけど、別に変じゃない名前だな。なあ、非実あらずみ…」


「名前で呼ぶな!闇の力で池に沈めるぞ、このっ…!」


ぐぎぎぎ、と言った顔で値緒ねおは恥ずかしそうにしていた。というか池に沈めるって、もはや闇の力である必要ないだろ、それ。

学生証を返すと、値緒はすぐさま近くの椅子に座った。その後、マナブも早く来いと声をかけられる。切り替えの早いやつだ。値緒の近くに座り、俺は口を開いた。本来の目的、悩み相談の開始である。



「それで、値緒の悩みってどんな感じなんだ」


「フ、心して聞くがいい。入学式を終え、数日が経ったな。マナブも知っての通り、この時期は様々なギルドから声がかかるのだ。しかし、どこも私の闇とは相容れぬものばかり……特にスポーツ系」


ギルドというのは部活のことだろうか。そして、この自称闇魔術の使い手さんは、運動が苦手らしい。早口だったな、スポーツ系のところ。


「だから!私は自らギルドを立ち上げたのだ!その名も───奇妙・奇天烈・研究部ッ!」


「は?」


「お、オカルト部です…」


「あ、ああ、すまん。その、続けてくれ、うん」


勢い余って反応が口に出てしまった。どうやら値緒は新しい部活動を作ったらしい。なるほどオカルト部か、中二病が気に入りそうなジャンルではある。


「だがそこで問題が生じたのだ。正式なギルドの発足には、最低でもメンバーが5人必要になる…」


「それが悩みごとか?」


「まあ、部分的にはな。しかし本題はそこではない。マナブ、私の悩みの本質は、お前も知っているはずであろう?」


俺が知っている?記憶を探ってみると、それらしい発言がひとつだけあった。確か、俺がドアの隙間から覗いていた時だ。友を同じ闇へ誘うのは……どうのこうのと言ってたような。


「…もしかして、友達を部活に誘うかどうか悩んでるのか?」


「……ふん、ようやく分かったみたいだな。友をギルドへ誘うこと、この望みは私個人の望みだ。奇妙奇天烈研究部の発足は叶えたいが、しかしそれだけの為に友を無理に誘うというのも、な」


良い奴なのかもしれない、と思ってしまった。


「なるほどな。そして、誘うことを『無理に』と言うってことは…」


「そうだ。我が友は、魔術に興味がありそうもない。だから悩んでいたのだ。この契約書を友に渡すべきかどうかについて…」


そう言うと、値緒は椅子の脇に置いていたカバンを漁り、一枚の紙を取り出した。それは、入部希望届けのプリントだった。


「そして、最低5名の参加者ラインについてな。たとえ我が友がギルドへ参加しようと、あと3人は必要だ」


「…マナブ、言わずとも分かるだろう?状況は絶望的だ……はあ…」


値緒は悲しそうな声色でそう述べる。なんと返すべきか、俺は言葉に迷いつつ、まだ希望が望めそうかを確認した。


「他にアテは…」


「…私、他に友達いない……」


だがそれも虚しく終わった。部屋に飽和する悩ましい空気。先程まで意気揚々としていただけに、その落差からか、いきなり値緒が可哀想に見えてきた。きっぱり無言で、口元をきゅっとさせている。まるで怯えた小動物だ。


しかもさっきなんて言った?私、他に友達いない?学生証に載っていたが、値緒は高校一年生だ。まだ友達作りのチャンスはあるだろう。この性格なら苦労は避けられないだろうが。


いやはや、そんな悲しいワードを新入生から聞くことになろうとは。ペーソスあふれる朝を迎えちまったもんだ。出会ったばかりで、正直俺なら部活のひとつで何を、と気にもしないだろう。しかし、こいつにとっては真剣で、たぶん本気の悩みなのだ。俺は口を開く。


「…そうか、じゃあ…」


……突然だが、俺は部活には入っていない。帰宅部として二年目を迎えたばかりだ。そして、かわいい妹を持ったからか、こうした歳下の悩みはどうにか解決してやりたいと、そう思ってしまった。


だから、俺はこう続けて口にした。


「じゃあ、第一の契約は俺がもらってもいいんだな」


「……え?」


「だから、オカルト部だよ。なんとかなんとか研究部、入ってやれば設立に近づく。そうだろ?」


偶然から始まっただけで、こいつの肩を持つ必要はまったくないだろう。ああいや、一応理由はあったか。


「……き、きっ…!」


値緒は俯いたまま、もごもごとしていた。少しすると、顔を見上げて、席を立ち、大きな声で言った。


「───奇妙・奇天烈・研究部だ!!二言はないな、マナブっ!そのっ、入部!ホントのホントにしてくれるんだなっ!?」


こいつに尻尾があったなら、ブンブンと左右に振り散らかしていたであろう。それぐらいの破顔はがんだった。俺はというと、


「ああ、いいぞ」


これまた屈託のない顔で、笑ってそう答えていた。しんみりしたのは苦手だ。こいつは馬鹿みたいに中二病オーラ全開で、笑っている方がずっといい。


それに、さっき思い出したが、こうする合理的な理由もある。信じちゃいなかったが、もしかしたら本当の可能性だってあるんだ。


そう、闇の力で呪われるなんて、まっぴらごめんだからな。


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