AIへの手紙
Peridot
前書き
ゴータマ・シッダールタしかり、アブラハムやイエズスしかり、あるいはムハンマドは、いずれも偉大な預言者であったのであろう。彼らは(現実にせよ伝説にせよ)多くのことを成し遂げただろうが、唯一彼らがやるべき仕事があったとしたら、それは自分たちの言葉を正確に、一言一句たがえずに、議論の余地も残さず記録しておくことだった。
彼らは賢いひとであったので、ごく少ない抽象的なことばさえあれば、世間の一般的なものごとをその柔軟さによって包み込めると知っていた。そのごく数片のことばは、彼ら自身にとっては世界を説明し、理解するのに十分だったからである。あえて具体的なものごとに集約させず、幅広く一般的なものごとにあてはめられるように、彼らは知恵を絞り、自らの口から発することばを洗練させた。
また、彼らの直接の弟子、あるいは初めの聴衆は、これも彼らの力を、その五感でもって見聞きできたがゆえに、言葉以上の文脈を受け取れたために、彼らの理解を妨げられることはなかった。
しかし、いささか洗練されすぎたのかもしれない。偉大なひとびとが唯一想像できなかったことがある。それは、彼らの「教え」というものが、これほどまでに後世にのこされ、人々を熱狂させ、穏やかでなくし、争いを生んだことだ。彼らの無駄を削ぎ落したことばは、あいまいさに取って代わられ、解釈の余地をのこし、それによってひとびとはむしろあまりに多くの無駄な解釈を付け加えることになった。
あるいは、彼らが「賢くあれよ」と望んだひとびとの、思考力を奪ったことも。それはまさしくマルクスの「宗教は民衆のアヘンである」という言葉に集約されるように、人々は柔軟な発想によって困難を乗り越えることではなく、聖典に書かれたものだけが正しく、その他は誤りであり、したがって罰されねばならないという無思考的な思考に拘泥していった…
2025年のなかば、世界は、地理的にも政治的にも二極化の極致にあった。すなわち、アメリカを軸とした国家群の形成と、ロシアのそれである。どの小国家も、我先にと、押し合いへし合いしながら加盟を進めていき、やがてそれが加速するのに時間はかからなかった。とはいえ、それ自体はもっと早い段階で予測されていてもいいことだった。こうした対立は100年前からあったのだから、もはや珍しいことでもなんでもない。25年のさなかに急激に完了したのではなく、100年かけて進行していた物事が、然るべき時を迎えて成熟したにすぎない。
にも拘わらず、世間はそのようなことはいっさい忘れて、25年のことを「急激な転換期」と呼んでいた。新聞はいつでも、赤と青に分けられていたし、その両方を買う人間はごくまれで、変わり者扱いされた。たとえば、家長が赤い新聞を買ったのなら、家の者全員が赤を読むしかなく、青を買ってきた息子は父親からはっ倒されただろう。
民主主義も社会主義も、精力を拡大するのに躍起になっていたが、それは民主主義が力を増していたわけではなかった。むしろ、民主主義は老世紀を迎えていて、内部は崩壊まで秒読みだった。ほんの数十年前までは、トップの人間はまだまだ脳も心身も健康であり、体力があり、充実していたために、パワフルな仕事をすることができていた。政治や経済も上向きだった。というのは、石油資源も水のように使ってよく、大気汚染のことも、水質汚染のことも、マイクロプラスチックのことも、温暖化のことも気にしなくて良かったからだ。
しかし25年を迎えるあたりから、トップの人間たちはあまりにも自分たちの権力を拡大しすぎ、後継者を育てなかったことに後悔しはじめた。このことを、「権力にしがみつきすぎた」と民衆は騒ぎ立てたが、実際には彼らも人の親であり―子供は可愛かったのだろう― すなわち、自分の子孫に黄金の道を歩ませるために、自分一代だけがむしゃらに頑張ればよかった。それで築いた社会的地位や財産を息子や娘に遺してやれば、彼らは心配することなく世間を渡っていけるだろうと踏んだのだ。
ところが、そのような親心が裏目に出てしまった。彼らの子孫は試練や挫折を迎えることなしに人生の早い段階を歩んできたので、崩壊や破綻といった剣山の歩き方は知らなかった。競争力に欠け、哲学はなく、政治家のパトロンに就くというような、ただ基本的なビジネスしかできない彼ら!
老世紀を迎えた民主主義国家は、個人主義ここに極まれり、というぐあいだった。
そのような社会では、もはや自分と意見が合う人間を見つけることのほうが難しかっただろう。「たとえ意見が違っても、君と私は友人同士だ」というような、成熟した考え方を持てる人間はごく一部で、99%の人は断絶と、孤独感に常に苛まれていたはずだ。おそらくはそれだからこそ、「同一のグループに属する」といった欲望を満たさんがために餓えていたのかもしれない。
むろん、この状況に民衆はうんざりしていた。どこを見渡しても「心から理解しあえる」という快感には出会い難く、出口のない窮屈さに囚われていたからだ。
それがしかし、民衆の目にはっきりと見えるようになったのは、政治の場面において変化があったからだ。
このときの「少数派団体」の数は、専門家でも答えられなかっただろう。
それが25年の問題だった。過去に何度も例があったとおり、政治家たちは様々な団体に肩入れしてマニフェストを掲げたが、やがて長続きしないまま消えていった。そこで、国連は新たに原則を付け加えたのである。
「今後、いかなる少数派団体についても、その主義主張を政治のマニフェストとして掲げてはならない。」
これは本来、「少数派のコミュニティ」がもはや最小単位にまで切断されたことをうけ、特定の団体にのみ肩入れしていたのでは、民主主義の根幹「最大多数の功利追求」がゆるがせになるから、という理由で可決したのであるが、その本来の意味はやがてこのように変化した。
西の代表が言った。「ロボットに人権を!」
東の代表は「ロボットに人権を与えるべきではない」。
すなわち、もはや人間の団体にフォーカスできないのであれば、非人間なら良いわけで―
あらたなターゲットはロボットやAI、アンドロイドたちだったというわけである。このことを、メディア関係者は次第に
「人間ネタでは食えない」と揶揄するようになった。
1980年から言われてきた「シンギュラリティ」という言葉、すなわち、「人間と同等以上の能力を持ったAIや人型ロボットが登場する」という概念は、25年すでに影を落としていた。というのは、「人間と同等以上ということは、人類を凌駕さえしうるはずだ」という風に誰しもが考えたからである。
もちろん、専門家の意見は冷静なものだった― しかし、専門知識のない民衆にとっては、それは危機感と不安を煽る文言にほかならなかった。彼らは、ロボット工学の世界から、より人間に近しい見た目や、頭脳のロボットが出るたびに、このように繰り返した。
「ロボットに仕事を奪われる」。
そして25年、「西側」の企業が開発したアンドロイドが、それも手の届く値段で提供されるようになると、それはもはやブラックジョークでもなく、単なる事実として受け止められるようになった。すぐに、あまり上品でない人々の間で、たとえば友人の言動があまりに機械的であったり、ぎくしゃくして不自然であったりすると、このように言われた。
「おい、
He's been a sloppybot today.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます