エピローグ


「いや全っっっ然ダメだったな、お前達! まるでお話しにならんかったわ!」

「そ、そんなにダメだったの、お姉ちゃん!?」

「ああダメだな、先ずを以って音響や環境も糞だったが、お前等浮かれ過ぎだ! 手元の狂いも含めてミスが目立つし歌がまるでなってない! 小鳥のさえずりかと思ったぞ!」

「手厳しすぎるよぉ……!」


 ご立腹なままに騒ぐのは我が姉こと宮本ミヅキだった。


 ライブ後、未だに複数のバンド演奏は残っているが、それ等を他所に僕は姉の下へと駆けていく。

 彼女といえば最早用はないといった感じで、既に帰りの途中にあったが、なんとか校門前で追いついた僕は姉に肉薄し、どうだったかと感想を求めた。

 そうすると彼女は怒り心頭で、あんな程度で息巻いていたのかと憤怒の形相だった。


「というかアキラ! お前、歌にかまけてギターの練習サボってたんじゃあないのか!? 以前に聴いた時より下手ッピだったぞ!」

「うぐっ! そ、それは、そのぉ……」

「ふん、まぁ一応は頷ける程度の腕前だったがぁ……それでもまだまだ修行が足りん! これからは一日十時間の練習をすることだなぁ!」

「いやいや学校もあるから無理だよ!」

「無理じゃあなーい! 根性だ、根性があればなんとでもなるのだぁー!」

「根性なんかで解決出来る問題じゃないよ!」


 ぎゃんぎゃんと喚く姉の無理難題にどうしたものかと困惑するが、そんな最中に背後から質量が迫り、それは密着すると僕に覆い被さる形になった。


「なぁにを騒いでんだこのスケはよぉ、しかも内容といえば前時代的にも程がある。これだから時代錯誤の老害ってのは糞だよなぁ?」

「あぁん!? 誰が老害だボケ、というかアキラから離れろ糞ガキこらぁ!」


 覆い被さってきたのはサイコで、彼女は汗の香りを纏ったままに密着し、少し湿った肌の感じに不覚にも胸が高鳴ってしまった。

 そんな彼女の台詞に姉は激怒するが、今度は大柄な人物が二人の間に割って入ってくる。


「まぁまぁ落ち着いて、宮本さん……サイコもわざわざ煽るなよ、折角観にくれたんだぜ?」


 その人物は虎徹先輩だ。

 彼は今にも取っ組み合いを始めそうな二人をどうにか宥めようとするが、さして効果的でもない様子だった。


「はぁん? 誰も頼んでねーし、そもそも上から目線なのも糞程ムカつくんだけどぉ?」

「お前も素直じゃねえよなぁ……気難しいファンもいたもんじゃねーや」

「は? だからファンじゃねーけど?」

「い、いいからどいてよ、サイコ……! そろそろ重いよ……!」

「おうそうだ、とっとと離せ小娘! アキラを独占していいのは私だけなんだよ!」


 こうして僕達が姉と対峙するのは二度目だ。

 如何に肉親とはいえ、相手は超絶の勢いを誇るバンドのリーダーにして世を騒がせる人物、宮本ミヅキだ。

 その事実からして、この光景は生意気な若人が圧倒的な立場を持つ絶対者に噛みついているようにも見えるだろう。


 実際、それで正しいとも呼べる。

 あれ程姉の曲を愛するサイコは攻撃的だし反抗的だ。

 それを相手取る姉もサイコを敵として認識しているし、恐らくこの関係が解消されることは今後ないだろう。


 姉は僕のバンドを見て散々な感想を口にした。

 実力も糞もなく、ミスが目立つし、お話にすらならないとまでいった。


 けれども僕に不快感はない。

 例え誰に何をどういわれたって二人は僕の自慢のメンバーだし、僕にとってこれ以上に誇れる友達だっていない。


 それに、姉は嘘を吐く人物ではない。

 それは常々本心を意味する訳だが、先の文句の中で具体的に名が挙がったのは僕だけだ。

 故に、彼女にとって二人は実力者足り得る立ち位置になったと僕は確信する。


 姉は滅多に褒めない。それこそ相応の矜持を持つが故でもあるが、少なかれダメ出しがなかったとすれば喜ばしい事実だった。

 僕個人は散々な評価だけれども、それでも笑みが自然と零れるくらいに認められた二人のことが誇らしかった。


「おい何をニヤニヤしているんだ、アキラ! 兎角だぞ、今後は甘やかさんからな! 泣いたって強制的に練習だ、例えどれだけ可愛らしく懇願されてもな!」

「だ、だから状況的に無理だよ……というか、お姉ちゃんだって忙しい身なんだし、常々目を光らせておくことは不可能でしょう? というか今日きたことも驚きだし……」


 そもそも僕は彼女から何も聞かされていなかったし、ここ数日はレコやインタビュー等に忙しく奔走していた。

 そんな彼女がサプライズのようにお忍びで我が校にきて、しかもライブを観るとなれば覚悟の程もまた変わっただろうが、それにしても抜き打ちのような真似は中々に人が悪くはないかと僕は文句をいう。


「なんだ、事前に伝えてほしかっただと? それ程の覚悟がなければ臨めんとでもいうつもりか? おぉん!?」

「いやそうじゃないけどさ! ただ、その……恥ずかしいでしょ、突然にその場にいると分かると。一瞬だけど、僕、我にかえっちゃったもん」


 思い返しても言葉の途中で「あっ」はない。あれは酷い。

 すかさずにサイコが何とかしてくれたけど、あの間抜けな反応が実に無様で、思い返したサイコと虎徹先輩も「ありゃ面白かった」と同時に呟いた。


「アタシは端から気付いてたけどな。やっぱ視野が狭くなってたんだろうねぇ」

「まあ初めてのライブだしな、当然だろうよ。つってもあれは笑えたわ、くくっ……」

「もう、笑わないでよ二人とも! 僕だって予想外な出来事だったんだもん!」


 わいわいと騒ぐ僕達。

 そんな様子に姉は何かをいおうとするけれども、それを思い直したのか口をつぐみ、僕達に背を向けてしまった。


「まったく、呆れた奴等だな、実に! その実力不足も早々になんとかしろ、つまりはもっとライブをしろ! そして練習もだ! 最低でも週に七回はライブと練習をしろ!」

「いやいや無理に決まってんだろ? やっぱり頭のイかれた奴ってのは――」

「何せそうでもなければ相手にもならんのだ。当然の感想だろうが、小娘」


 振り返った姉はサイコを睨む。

 互いの瞳にはやはり同じ程度の狂気があって、もしかしたら邂逅かいこうから真っ先に、互いは似た者同士だと理解していたのかもしれない。


「へぇ、相手にしてくれんのかよクソアマ。お眼鏡に叶ったのかい、アタシ等ってのは?」

「馬鹿をいえ。先からいっているように雑魚の中の雑魚でしかない! だがしかし、その内に秘める熱量や魂というのは、存外に悪くはない……それが私の感想だ、小娘」


 姉の言葉にサイコは目を見開いて驚いた顔になり、それを見た姉は笑みを浮かべた。


「だが軽く褒めてやるとこれだ。歳相応のガキみたいな反応をしやがって……貴様も修行が足りん、もっと場数をこなせ、小娘!」

「は、ははは、マジで上等じゃねーかよ、クソアマぁ……!」

「それと……そこの巨人くん! 君も悪くはなかったぞ! もしかしたら一番評価出来るかもしれん! が、やはり修行不足だ! もう少しリズムに拘るといいぞ! まだ甘い!」

「こんな簡単にトップの人から評価を貰えるのかよ……へいへい、分かりましたよ大将」

「おぉ、私を大将と呼ぶとは分かっているじゃあないか!」


 そんなやり取りをしている最中に門前に一台のセダン車が停車した。

 黒塗りのそれは一見して怪しい印象を抱かせるが、そんな黒塗りの車両の扉を開いたのは我が姉で、彼女は当然のように座席へと腰を据える。


「うおぉ、ヤクザかと思ったら寧ろそれより遥かに恐ろしい感じの車だな……」

「事務所の車かぁ? よっぽど好き放題してんのに、簡単に迎えがくるのが特別視の証拠だよなぁ。すげえムカつくわ」

「あ、あはは、本当にね……お姉ちゃんってば無茶苦茶過ぎるからね、皆振り回されてて大変そうだよ……」

「おい散々にいうじゃあないか、お前達! これでも私は凄い人間なんだぞ! 敬え!」


 やはり我が姉は問題児で、その破天荒っぷりは誰が見ても呆れる内容ばかりだ。

 それでも、そんな姉の立場は事実として国内トップの人気を誇る超絶のアーティストだ。


「おう、クソアマ」

「あん? なんだクソガキ」


 そんな姉に認められるのは中々に難しいことだし、気難しい人間でもあるから滅多なことでは頷いてくれない。まして音楽となれば尚更だろう。

 それでも僕は僕の仲間を自慢に思うし、例え何をどういわれようが気にもならない。


 何故ならば――


「次に会う時があったらよ、その時は覚悟しとけよ? それこそ小便漏らす程に、圧倒的な差ってのを実感させてやるからよぉ」

「……ははは。やはり貴様が一番生意気だな。まあ当然か、さもなきゃ私の胸倉を掴むこともせんだろうし、あの狂気を醸すプレイスタイルも成立せんのだろう」


 サイコも虎徹先輩も、超絶にイかした、最高に格好いい人たちだからだ。


 車に歩み寄ったサイコは窓越しに喧嘩を売り、それを受け取った姉は面白そうに笑う。


「ならばとっとと駆けあがってこい。そんなところで燻っていたら、私は手の届かない位置にまでいってしまうぞぉ……?」

「……ひっひっ。いいぜ、上等だクソアマ……その首洗って待ってろや……!」


 未だ若い芽、されども摘むには惜しい芽――姉の言葉の裏にそんな意図を感じ、僕達は彼女を見つめる。


 互いは敵ではない。でも味方でもない。

 音楽は競争ではないし、競技でもないから勝ち負けや上下なんかもない。

 だけど、負けたくないという気持ちと、越えてやりたいといった気持ちがあるから、それは欺瞞だろうけども、建前としては必要な言葉だろう。


 僕達は姉にとって相手取るに値しない立場だ。

 けれども僕は今も夢を見ている。

 未だにその光景に心を奪われたままでいる。


 あの日、姉に誘われた時――「お前もこっちにこいよ」と囁かれた日、僕は頷いた。


 我武者羅に練習を続け、音楽と向き合い、こうして仲間が出来た。

 全てはここからだ。ここから僕達のバンドは始まっていく。


「ああ、けれども〈青い雨〉というバンド名だけどな……」

「え?」


 セダン車が動きを見せ、姉を乗せた車は発進しようとするが、その去り際に、姉は呟くように言葉を残した。


「悪くないセンスだ。そこだけは褒めてやるぞ……お前達!」


 走り去るセダン車を僕等は見送る形となり、姉の台詞を反芻すると、僕等は互いを見合って大きな声で笑い合った。


「な、名前ぇ!? 名前しか褒める部分がなかったの、お姉ちゃん!?」

「いやありゃ自己陶酔とうすいだ、間違いねぇ! 〈時雨、泣く〉にかかってるネーミングだからだ、ぜってーそうだわ!」

「ははは、はははっ! マジであの人よく分かんねーな、あれを完全に理解しようってのは無理だ、無理! がはは!」


 それは思い描いたような青春の光景に思えた。


 僕達は各々でまったく違った外観で、凡そ音楽とは無縁に思えるような風だけれども、それでも僕達は出会い、バンドまで組めた。


「おーい、アキラ、サイコぉ! お前らどこ行ってたんだよ、探したぜ!」

「あれ、美鈴? どうしたの、こんなところにまで」

「いやどうしたのじゃねーよ、そりゃこっちの台詞だって! 皆お前らを探してんだよ!」

「はぁ? アタシ等を? 何でさ?」

「そりゃあんな凄いライブを見せつけられりゃ誰もが気になるだろって! あ、先輩ですよね? さっきは凄かったっす!」

「え? あ、うん、ありがとさん」

「ああ、虎徹先輩、この男子は僕の幼馴染の美鈴です。初めてですよね?」

「はぁ、綺麗な名前だなぁ……にしても時の人の扱いか、やっぱ恥ずかしいなぁ」


 一歩を踏み出す勇気はとても大きい。

 誰もが皆、強い訳じゃないし、その越え難い壁を越えることが出来る人だって多くはない。


 それでも僕は一歩を踏み出して、彼等の差し伸べてくれた手を取ることが出来た。

 それはきっと、とてつもなく幸せなことで、望んだからって簡単に手に入れられるものでもないだろう。


「ん? どしたね、アキラぁ? 何をモジモジしてんのさ?」

「う、いや、だって……ほら、僕、泣いちゃったでしょ、ライブで……しかもお姉ちゃんにも散々いわれたし……」

「そんなことを気にしてんのかよ? アキラってばガキみたいなことをいうねぇ……」

「ガ、ガキって何さ、サイコ――」

「だってさぁ。あんた最高にかっこよかったんだもん」

「えっ……?」


 全てはここからだし、まだ道は描かれたばかりだ。

 その遥か先に待つのは憧れの人物でもある我が姉だが、そこに到達するのが全ての答えという訳でもない。


 ただ、僕達は僕達の思い描くことを形にしていくだけだ。

 それは実際、とても難しいことで、形にしたからって多くの人々を納得させられるような確証だってない。


 それでも僕達は構わずにそうするだろう。

 ギターを弾いて、ベースを弾いて、ドラムを叩いて、歌を叫ぶだろう。


「涙が零れる程の激情を否定出来るもんか。それを青いだとかクサイだとかさ、真正面から受け止められない奴に語る言葉なんて用意しなくていいんだよ」

「そ、そういうものなのかな……」

「ああ、そうさぁ……それこそ泣きゃいいんだ。何せ時雨っつーのはな、落涙らくるいを意味する言葉でもあるんだ。だからさぁ、アキラ――」。


 僕の少し先を歩くサイコは振り返り、僕を真っ直ぐに見つめてこういった。


「泣きゃいいんだ。時雨泣しぐれなくように感情を誤魔化さず、真っ直ぐにさ。それに皆は胸を打たれたんだから、その青さも、涙も、誰にも否定はさせねえ。そうだろう、テツコ?」

「当然だろ。そもそも否定出来る程の熱量を持つ奴がどんだけいるんだって話しだぜ」

「いっひっひ、ちげーねーや」

「二人とも……」


 僕は立ち止まり、そうしてから空を見上げた。

 言葉を途中まで紡いだけれども、その先を口にするのが難しい。


 だって今、僕は時雨のように涙が溢れそうで、それを堪えるのに必死だから。


 それでも、ただ一言。

 僕は呟くように、それでもちゃんと届くように祈りながら咽喉のどを震わせる。


「ありがとう……!」


 誰に認められなくても。

 褒められなくても。

 馬鹿にされても。

 それでも尚に前へ、前へと。


 僕は出会えた。

 最高の友達と。

 イかした仲間と。


「ひっひ……しっかしアタシらがヒーローの扱いかよ、不慣れ極まるぜぇ?」

「つっても客は大量に確保出来た訳だ。これから忙しくなるぞ、アキラ?」

「うんっ……ライブ、もっとやろう、いっぱいやろう……!」

「そうそう、その意気だぜアキラぁ。したらさぁ、先ずはどこの箱にするよ、テツコ?」

「そうだなぁ、だったら先ずは、あのライブハウスで――」


 間も無く、先々の予定を考える僕達は大きな大喝采に包まれることになる。

 そんな空気に僕達は困惑の表情で、寄せられる数多の感想に頬を掻くしか出来ない。


 だから、僕達は詰め寄る生徒達に背を向けて一斉に外へと逃げ出した。


「やっぱり日陰の方がお似合いだよな」と笑い合い、皆の感想も全て置き去りにして駆け出し、僕達の笑い声は高い空に大きく響き渡った。



 終

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