第2話 邂逅


 結局、その日も僕は軽音部に顔を出さなかった。

 正確には「出せなかった」が正しいけれども、僕は夕暮れの景色の中、生徒の去った教室で無為に時を過ごしていた。


 遠くから聞こえてくる楽器類の音色――ギターやベースやドラムを聞き、それが音楽となっていくと羨望せんぼうが生まれる。


 けれども同時に足が留まる程の恐怖心が生まれた。


 また馬鹿にされるかもしれないし、笑われるのかもしれない。

 仮に軽音部の内でバンドを組むとしても、もう誰も相手にしてくれないかもしれない。


 全ては憶測だし、それらは不安からくるものだとも分かっている。

 それでも僕は諦めたように俯くと通学カバンとギターケースを背負い、昇降口へと向かい、帰路を辿っていた。


「情けないなぁ、僕……」


 それは自己嫌悪だったかもしれないが、踏み出せないのであれば、やはり目標だったバンド活動は外部で組むのが現実的なのかもしれない。


 軽音部に入部する勇気がなかった僕に外部で出来るのか――そういった気持ちもある。

 或いは外で僕の技量というのは認められるのか――そういった不安もある。

 様々な気持ちが浮いて出てきて、僕は俯くばかりだった。


「いや、ダメだダメだ。兎に角、行動しなきゃ。美鈴も応援してくれてるんだから……!」


 払拭ふっしょくするようにかぶりを振り、家に向かう筈だった足を別の方角へと向けた。

 向かう先は普段利用している楽器店で、バンド募集の張り紙でもないかと探しにきた。


 今時はインターネット上でのやり取りが普通だけど、楽器店での張り紙募集も珍しい訳じゃない。数は減ったけれども、何も零という訳でもない。


 だから僕は勇み足でやってきて、目的の掲示板を前にするけれども、視界に入る情報には全くといっていい程に〈ギター募集〉という単語が存在しなかった。


「そ、そんなぁ……なんで……?」


 呟くけれども、これは自然なことなのかもしれないという気持ちもあった。


 楽器人口の内で最も数が多いのはギター、次点にベース、最も人口が少ないのはドラムだ。だから往々の募集パートでギターを求める数は少なく、仮にあったとしても即座に枠は埋まってしまう。


 何せ人口が最も多いから競争率は自然と上がる。

 とはいえこの状況は予想外で、よもや運すらもないのかと僕は肩を落とす。


「はぁ……何も買わないのも冷やかしみたいだし、弦くらいは買っていこう……」


 ため息交じりにパーツ類のコーナーへと向かい、普段から愛用している弦を発見する。

 複数パックの物と個別で売られている物とを見て、折角だからお得な方を買おうと思い、僕は軽く背伸びをすると複数パックの方へと手を伸ばした。


「ん? あ、あれ?」


 ところが空ぶる程に位置は高かった。

 普段から位置は低く設定していたと思っていたのに、どうやら位置関係が変わっていたようだった。


 どうにか届かないかと幾度と試すが、やはり僅かに届かない。

 こうなると心底恥ずかしいことだけども、何か台のようなものや、最悪は店員さんにお願いでもしなければにっちもさっちもいかない。


 厄日だろうかと再度嫌な気持ちが顔を覗かせて、本日何度目か分からない溜息が零れる。


「ほら、これ」

「え?」


 そんな時だった。

 ふいに背後から誰かが迫ってきて複数パックを手に取り、それを僕へと寄越してきた。

 突然の出来事に驚いたけれども、背後から渡された商品を手に取ると、お礼をいう為に振り返り親切な人物を見上げた。


「あ……あれ? 君は……」


 そこには今朝に見た人物が立っていた。

 高身長で、長い黒髪には紫の色が隠れていて、時折覗ける耳には複数のピアスがある。


 それは僕の通う高校ではサイコの異名で知られる女生徒だった。

 僕は驚きのままに大きな声をあげるけれども、そんな僕を見下ろすサイコ――野間彩子は首を傾げた。


「あん? 何その反応?」

「あ、いや、ほら、制服! 僕と同じ高校の!」

「あ? あー……そうか、同じ学校の人か。さっぱり知らんけども」


 お互いの着るブレザーを交互に指し示すと、彼女は成程と頷き、面倒臭そうな顔をした。


「なんか要らん親切だったかもね、悪い悪い」

「え、いや、そんなことないよ! 助かったよ、ありがとう!」

「ならよかったけどよ。小さい子供が困ってる風に見えたから、つい手助けしちまったぜぇ」


 流石の不良少女といえども子供を前にしては優しい気持ちを抱くようだった。

 子供扱いに慣れたとはいえ、はっきり真正面からいわれると中々に容赦がない。


 けれども彼女の反応は往々の馬鹿にした言葉とは違うものに感じた。

 見下げたような感情を一切感じることがなくて、屈託のない、素直な感情だという印象を受けた。


「しっかし何だ、楽器やってんだ、君。あー……名前知らんけど」

「あ、えっと……僕の名前は宮本アキラだよ。同じ一年生だよ」

「へぇ、そうなんだ。それにしても楽器をやる風には見えんけどねぇ……」


 これも侮蔑に近い言葉だけど嫌に思うことはなかった。シンプルな感想だったからだ。

 驚愕の表情を浮かべる彼女を見て、分かり易く、真っ直ぐな人物だと思った。


「あはは、そう見えるかもしれないけど、その……ギターが好きなんだ、僕」

「ふぅん、いいじゃん。かっけーよ」

「え?」


 彼女の口から予想にしない言葉が紡がれ、僕は驚きのままに顔を跳ね上げる。


「だからかっけーじゃんって。いいよねぇ、ギター。真っ直ぐに好きっていえるのもさぁ」

「あ、ありが、とう……?」


 困惑する程に、僕にとっては衝撃的な言葉だった。


 だって大勢の級友達は僕を笑うばかりで、認めてくれる人物だって親友の美鈴くらいだった。

 だのに今し方初めて会話をした彼女は、安直にも思える程、分かり易く「いいね」といってくれた。


「おーい? どした? 何を急に黙り込んじまってんの?」

「あやっ、あわっ、いやっ、そのっ、嬉しくて……!」


 背を屈めて顔を覗き込んでくる彼女は、やはり真っ直ぐな瞳をしていた。

 彼女は僕の言葉を聞くと「よく分からん奴だ」といいつつ朗らかな笑みを浮かべる。


「んじゃま。問題は解決したみたいだし、そんじゃね」


 疎通はこれで終わりだと告げるように彼女は背を戻すと、僕の見ていた一覧と少し離れた位置にある弦へと手を伸ばした。

 それを見た僕は意外な気持ちを抱くけれども、自然と疑問を口に出来る程に、何故か穏やかな空気感があった。


「ベース、弾くの?」

「ん? あー、まぁ……ちょいとね」


 彼女が手に取ったのはベース弦だった。それも五弦のタイプで、意外な事実に僕は少しの驚きと共に、どこか納得してしまう気持ちもあった。


 曰くはサイコと呼ばれる〈退学候補生〉の彼女は、見た目は派手だし教師の説教を喰らっても凛としていて、どころか怒鳴り返す程に問題のあるような人物だった。


 けれども、そんな彼女が五弦ベースを構える姿を想像すると不思議なくらいにマッチして、僕は興味を隠しきれないままに歩み寄ると、彼女を見上げて言葉を紡いだ。


「絶対に、野間さんのベースは格好いいよ」


 観てもいないし聴いてもいない。だのに、僕はそんな感想を口にした。

 それを聞いた彼女は元より大きな瞳を更に開いて、数瞬の沈黙を挟み大きな声で笑った。


「あっはっは! なんだ、新手のナンパかぁ? 宮本っつったか、いやアキラでいいな! 存外にシブいこというじゃんよ!」

「いやいや、ナンパじゃあないよ! だって、絶対に似合うだろうなって思ったから!」

「それで観てもいないし聴いてもいないのに、アタシをかっけーって?」

「う、うん……!」


 抱腹ほうふくする勢いで笑っていた彼女は再度身を屈めて、僕の視線と合致する位置にまでくる。


「いやぁ、背が低いねぇアキラ。身長いくつよ?」

「ひ、百四十五センチだけど……」

「あはは、マジで女児みてーだな!」

「の、野間さんは?」

「アタシは百七十八センチあるけどぉ? ひっひ」

「何を笑ってんのさ……」

「いやぁ別に。それとな、アタシのことはサイコでいいよ。そっちの方が馴染みがある」

「え? でもそれって、あんまりよくない呼び方に思えるけど……」

「元々は近しい奴等が呼び名にしてたんだわ。いつしか蔑称べっしょうに変化してたけども……まぁそれはいい。兎に角さ、アキラ。あんた面白い奴だわ。おもろい。うん、おもろい」


 なぁ、と彼女は僕を真っ直ぐに見つめる。


「アタシ、今からライブなんだけども。くる?」


 その言葉に心臓が高鳴った。

 会話をしたのは今日が初で、その会話の内容だって大したものじゃない。

 絆を抱く程の時間を共有した訳でもないし、彼女の情報なんてものはベースを弾くくらいしか分からない。


「うん、観たい!」

「やっぱいいわぁ……おもろいわ、アキラ」


 だのに、僕は彼女のその提案に強く頷く。

 彼女は僕を見つめると愉快そうに笑った。


 僕は両肩にかかるギターケースのストラップを強く握りしめると、今夜、彼女がステージに立つ事実を実感し、自身の血液が滾るような熱を帯びるのを感じた。

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