To be to be ten made to be

来るたびいつも思うが、保健室というのは中途半端だ。

病院の、無機質で完璧ともいえるあの安心感はない。ここにはしょせん、学校内の限られた設備しかないから、仮に腕を切断するような大怪我を負ったらその時点で詰みだ。

だからといって、学校のようなあたたかみがあるわけでもない。保健室というのは誰にでも等しく優しくなければならない。当然、全校生徒ひとりひとりに振り向けられる愛情には限りがある。俺の悩みを包み込むには、すこし頼りない。


お堅い家系だ。

別に無理矢理勉強をさせられているわけでもなく、お前の好きにしなさいと言ってくれる程度には、和気藹々とした家族だと思う。

それでも父も母も兄も医者とあっては、俺だけが取り残されるわけにはいかない。

必死こいて机にかじりついて、周りのあらゆるものを無視し続けた結果、俺の糸はあと一押しでちぎれそうになっていることに、いやでも気が付かざるを得なかった。

箱入り息子もそれなりに思春期をやっていると笑い飛ばせればどんなにかよかったかわからないが、陰鬱としたまま教室にいられなくてなんとなく、気がつけば保健室に居着く生活が始まってしまった。


「そうじゃねえんだよなあ」

俺は眉をしかめる。

いくら言っても、目の前の女は俺の話を理解しようとはしない。

狭まった視界でも否応なしにわかる、色鮮やかな髪。

目の前に座る女のスカートは、恐ろしくも脚全体の4分の1さえ覆っていないようだった。

「いーから、保健委員君仕事してよ、あたしそんなの気にしないって言ってんじゃん」

お手本のような逸脱で身を固めた女の、脚に大きなすりむき傷がある。ケガの下部をティッシュで押さえてはいるものの、深紅のダムは今にも決壊しそうだった。

今どきは小学生でもここまで大きな怪我はすまい。俺も含めて近年の子どもというのは、本当にお上品に育てられすぎていて、生傷の絶えない時代だったと言っていた親父の言葉は、歴史の教科書と同じくらい遠い昔のことに思えてしまう。

このきゃんきゃんとうるさい孔雀の世話を俺に押し付けて勝手に出ていった養護教諭の先生あいつは、まだ帰ってこない。

「それ俺の仕事じゃねえって。第一、勝手に治療とかしたらだめだろ」

「そんなこと言ってるうちにさー、あたしの足にばい菌入って、めっちゃ紫色とかになったらどうしてくれんの?あたしまだ死にたくないよ」

「バカなの?」

擦り剥き傷程度で死人が出るというなら、ここは今頃保健室ではなく霊安室になっているだろうなとは思いながら、一方でこのままケガを放置していることがなんらのメリットももたらさないことは分かっていた。

自分でやれと言うには、このギャルは不器用そうに見える。俺がやるしかない。

神よ、あなたを呪います。なぜこんな仕打ちを俺に与えるのか。


「じゃあ、まあ、消毒から」

「あいあーい、よろー……ひゃっ!しみる!」

「しょうがねえだろ、ちょっとおとなしくしてろ」

「わ、わかってるってぇ……んっ!んぅ……」

神よ、今一度チャンスを与えます。どうか俺に平常心を恵み給え。

ああ本当に厄日だ。

バカバカしい、バカバカしい、と般若心経のように唱えなければ、俺があまりに卑小な人間であることを自覚してしまうじゃないか。


「足、上げてくれ。包帯巻くから」

「ん……」

しおらしい返事とともに、孔雀は丸椅子にふくらはぎを横たえた。

さっきまでの威勢はどこへ消えてしまったのやら、人間というのはこうもすんなり心を入れ替えられるのかと感心してしまう。

たかが擦り傷でも、俺はあたかも女の脚が深刻な火傷でも負ったかと言わんばかりに、肌に触れぬよう、慎重に包帯をあてがっていく。一巻き、二巻き、三巻きと輪を重ねるこの時間が、永遠に続いてほしいような、ほしくないような……と思いながら。

「ほら、終わったぞ。」

「おー、すごい!やるじゃん、アズマ」

ふいに横面を張られたように、俺の体がぐらつく。こいつの距離感はどうなっているんだ。

はじめて、血のつながっていない人間から、苗字ではなく名前を呼ばれたことに、俺はどうしようもなく心がざわついていた。

「さっすが、保健委員なだけあるね!や、才能あるよ、うん」

「だから保健委員じゃねえって……」

「てかさー、ここの先生正直包帯とか巻くの下手じゃね?ユリっぺも前ケガしたときさー、あたし見せてもらったけどめっちゃグシャグシャで超心配だったんだよね、でもアズマの包帯って、なんての?安心感?マジパない。今度から先生じゃなくてアズマに巻いてもらおっかなーとか言って」

「意味わかんねー……けど、まあ、そういうんなら、先生いないときだけなら、な」

不器用な気持ちを成形できずに、あふれたものをそのまま吐き出してしまった。行ってからすぐに、後悔で喉の奥が締まる感覚を得る。

「マジぃ!?ちょーラッキー!アズマがいればここも安泰だねっ!」

しかし孔雀は、俺の悩みさえも跳ねのけるように、満面の笑みを向けてきた。

この鮮やかで眩しくもある光は、きっと、俺の混沌さえも照らし出してしまうのだろう。

「あっ!チャイム鳴った!アズマまだここにいる?」

「あー……俺は、どうしよ」

「ごめん!うちみんなと約束あるから行かなきゃだ。今日ありがとね!今度なんかお礼する!」

そういうと孔雀は、包帯もおかまいなしに、弾かれたように部屋を飛び出していった。ほのかな化粧の香りのする風を残して。


孔雀は笑う。人の愛を受けて輝く、虹のように。


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