武勇神シャクラ

1.四方征服戦争

 シャクラは武術に優れ勇敢なデーヴァ族の若者であった。彼も己の力を誇りとし、武によって天界の為に尽くすことを望んだ。彼の初陣は、その頃神々と敵対していた悪鬼ダスユ族との戦いであった。

 この若者の戦いぶりには敵味方の誰もが目を見張った。後に彼が高い地位を得た時、ダスユとの戦いを覚えていた者は賛辞として、シャクラが剣を閃光の走るような勢いで振るう度に血飛沫と共に敵の首は落ち、弓を取れば唸りを上げて飛んだ矢が刺さる衝撃だけで数多の敵を粉砕し、槍を一薙ぎすれば彼の前に立つ敵は残らなかった、との言葉を贈った。

 ダスユ族の城塞が落ちるまでに時間はかからなかった。シャクラは意気揚々と城塞の屋上に立ち天帝の旗を高く掲げた。

 無論、彼一人のみが優れた戦士であったわけではない。もう一神、シャクラの相棒となり戦功を上げた若き神がいた。風を操る力を持って生まれ、尋常の目には捉えられないその刃でダスユ族を切り刻んだそのデーヴァの名はヴァーユといった。

 彼ら二人が晴れわたる青天の下で胸を張り神々の都に凱旋した時、天帝は七宝で飾られた煌びやかな玉座から身を乗り出してこの勇敢なデーヴァ族の戦士達の姿を見た。既に長い黄昏の道を歩みだしていた天帝は、目映く輝く若者達を見た喜びと共にこう言った。

「此度の其方らの獅子奮迅ぶりは余の耳にも届いている。望みの褒美を取らせよう」

 先に答えたのはヴァーユであった。彼は天帝の言葉が終わるか終わらないかの内に口を開いた。

「それじゃ、もっと頑丈で速い戦車と鋭い剣やがっしりした弓をお授けください。俺達が勝つのを待っている神々と人間の為に、早いところ決着をつけてやりたいんです」

「聞き届けた。猛き風の神よ、其方に勝利があるように」

 天帝がそう激励の言葉を述べた後も、シャクラはしばし黙っていた。

「私は……」

 彼は顔を上げつつそう言いかけて、天帝と目を合わせた瞬間に再び口を閉じた。そして一度周囲を軽く見回して望む物を決めた。

「私にも、よい武器をお授けください。剣か、弓か、或いは戦いに勝つ術を」

 シャクラの望みを叶える為、天帝の任命により詩の神ブリハスパティが彼の師となることを命じられた。ブリハスパティの役割の第一はシャクラに魔術を覚えさせ更なる力を身につけさせることであった。

 この時、天帝が既にシャクラを自分の後継者として考えていたかどうかは、現在となっては知る術はない。ただし、ヴァーユではなく彼のみがブリハスパティに師事したことや、その過程で神々の内でも更に有力者にのみ知ることを許された数多の知識を得たことは確かである。

 彼とヴァーユは続く戦いでも並んで功績を上げた。彼ら二人は一つの戦車の主人と馭者となり、ダスユ族を敗走させ続けた。アスラとデーヴァを主人と戴くアーリアの民は大いに喜んだ。

 シャクラの武功は天帝からは一貫して高く評価された。都に戻る度に直々に労いの言葉を掛けられ、時には天帝の馭者を命じられる事もあった。当然、それを喜ばない者もいた。アスラ族の大将軍ヴェーマチトリンとその盟友である太陽の焦熱を宿す神ヴィローチャナである。後者は当時の宮廷では次期天帝の最有力候補と囁かれていたが、この時はまだシャクラが自分の地位を脅かす存在になるとは考えていなかった。

 一目置かれた当のシャクラはといえば、天帝の評価をありがたく受け取っていた。元より彼は神々の世界では珍しく父も母も知らず、子供の頃から戦士として育つよう軍隊に預けられた者である。彼は天帝に可愛がられて漸く父親というものを知ったと言ってもよかった。


 アーリアの神々の進撃は続いた。ついには地上の荒れた山のたった一つの砦へと追い詰められたダスユ族は、死に物狂いの反攻を企てた。彼らの首長であったヴリトラは、その身を巨大な蛇の魔物へと変える幻術の使い手であった。蛇身となったヴリトラの全身を覆う鱗は神と人の武器を凡そ通さず、また蜷局を巻いて山々を締め上げればその地のあらゆる川を堰き止め水を吸い上げる力を備えていた。

 天帝はダスユ族との決戦の為に兵を送った。当初、この戦いの総司令官はヴェーマチトリンであった。彼はラーフをはじめとするアスラ族の勇敢な戦士達、そして自分の息子ナムチとマヤを引き連れて意気揚々と向かった。この時、彼はデーヴァの戦士達を一人も討伐部隊には加えなかった。たかが砦一つに残る敵はごく僅かであると油断があり、決戦における勝利の栄光をアスラ族のみで独占したいという我欲もあった。

 無論、現在まで語られるとおりヴリトラは彼の認識を凌駕する難敵であった。ヴェーマチトリンとアスラの戦士達の剣や弓は蛇の鱗に悉く弾かれて折れた。幾百人もの戦士が生きたままこの悪蛇に呑まれた。

 ヴェーマチトリンは強大な魔術の使い手でもあったが、ヴリトラは彼が生み出した千万の刃、鱗の隙間を狙う億の銀の針の雨、穴という穴目掛けて放たれた那由多の光明の矢をも耐えた。それどころか、放たれた魔力を食って我が物とした。かれにとって太陽の力を根源とする敵の呪術は実によき糧であった。

 ヴリトラが反撃として噴き出した灼熱の吐息はアスラの陣営を火の海に変えた。息子マヤの半身の焼け爛れた様を見て、ヴェーマチトリンは遂に撤退を決めた。彼には息子の命は何物にも代え難かったのだ。

 ヴリトラの反攻は止まらなかった。砦を出て山脈を這い回り、峰という峰から水を奪った。地上は旱魃に見舞われた。下界から水が還ってくることのなくなったトラーヤストリムサも同様であった。神々は大いに苦しんだが、人と鳥獣はそれと比べ物にならぬほどの飢餓に喘いだ。


 さて、大敗退したヴェーマチトリンは恥と怒りで肩を震わせながら神々の都に帰還した。彼は天帝の前で事の次第を奏し、天帝は瑞々しさを喪った唇から溜息を吐きつつ全てを聞いた。

「ヴェーマチトリンよ、そしてヴィローチャナよ。ヴリトラを滅ぼす策はあるか」

 そう尋ねられ、二人のアスラは互いに顔を見合わせた。先に答えたのはヴィローチャナであった。

「かれもまた太陽の力を宿す悪鬼に違いありません。我らアスラ族の持つ太陽の魔術では太刀打ちすることは困難でしょう。かの悪蛇は天地から水を奪い旱魃を引き起こす呪いをかけ、我が友ヴェーマチトリンの魔術を容易く破ったのです」

 盟友がそう奏するのを聞いたヴェーマチトリンは苦々しそうに言った。

「そ、そうであるが……ヴィローチャナよ、私は、いや我々は勝たねばならんのだ。如何なる戦い方をすればあれを破れるか、それを答えてくれ。陛下もそれをお望みのはずだ」

 更に口を挟んだ者がいた。アスラ族の王にして法の神であるヴァルナであった。

「ヴィローチャナが太陽の力で勝てないと判断するならば、別の力を用いればよいだろう。風か、水か、それとも月か。資質のある神であればアスラに限る必要もない。陛下と神々、そしてアーリアの民は勝利を欲している」

「余もヴァルナに賛成する。一度シャクラを向かわせてはどうか。かの若き神はダスユとの戦いで瞬く間に幾つもの勝利を収めてきた」

 天帝は静かにそう言った。ヴェーマチトリンは直ちに反駁した。彼には自分か、少なくともアスラ族のいずれかの勇者が手にする筈の栄光をデーヴァ族の若造に横取りされてなるものかという強固な対抗意識があった。

「あれはシャクラ如きが敵う相手ではございません。あの男がこれまでに偶々守りの薄い砦を幾つか攻め落とせたからといって、過信してはなりませんぞ」

「ではお前達は、敵わぬ相手に策も無く再び挑むのか。はっきり言っておくが、神々とアーリアの民が必要としているのはヴリトラに勝利を収める者だ。それが誰でなければならないか論じる意味はない」

 ヴァルナがそう制すると、ヴェーマチトリンは険しい顔をしつつも引き下がった。神も人も、アスラの王の目が届くところで不善を為せば恐ろしい罰が下されることをよく知っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る