第20話 本館じゃなくて古びた別館に泊まることになった

 こちらへ、と美織たちの前に出てきたのは着物姿の若い女性の仲居さんで、彼女についててくてくと歩いていくと、エレベーターを通り過ぎ、奥へ奥へと進んでいく。「別館にご案内しますね」とのことだ。


 裏口から外に出たのだが、どう見ても関係者専用という雰囲気で、ビール瓶の黄色いケースが積み上げられており、壁際には、何かの催し物で使うのだろうペンキを塗ったベニヤ板や安っぽい看板が雑多に立てかけてある。


 そんな通路を行くと敷地の端あたりに出て、雑草の茂る斜面に土を削ってつくった階段が見えてくる。それを上がった先に別館があるという。仲居さんの後ろを黙って続く美織とヒコ。二人とも口にしたい感想はいくつもあるのだが、目配せするだけでいた。


 段差の脇にはステンレスの手すりが設置してあるが、雑草が足場のほとんどを覆っている個所もあり、とても整備してあるようには見えなかった。


 着物でこんな場所をあがっていく仲居さんには同情してしまう。階段を上がりきる頃には美織は息があがり、汗がにじんでいた。


 別館はこぢんまりとしていたが三階建ての木造だ。出迎えに数人の男女が並んで待っていてくれたのだが、自分たちの他に宿泊客がいる様子はない。中に入ると全体的に薄暗く、古風な雰囲気があるものの、布を覆って隠している場所もたくさんある。


 煤けたような色の廊下を進むと、あちこちで軋む音がした。「雉の間はこちらです」と案内してくれたのだが、襖の立て付けが悪いようで、ぐっと力を入れるようにして開けている。


 雉の間だけあって、雉を描いた掛け軸が飾ってある六畳ほどの和室だ。座卓で向かい合う形で座ると仲居さんがお茶を入れてくれ、食事の時間を決め、大浴場の利用についてなどの説明を受けた。そうして仲居さんは去り、二人だけになると。


「あのさあ」


 美織はやっと口を開いた。


「何?」

「何、じゃないよ。どうなってんの。っていうか、私ら神原夫妻になってんだけど、あんたそう言ったの?」

「……最初にそこが気になるわけ?」

「なるよ、ムカつく」


 美織はお茶に口を付ける。お茶請けには地元名物のおまんじゅうが置いてあったので、それに手を伸ばして包を開け、もぐもぐ。


「あ、中に栗が入ってる!」

 美織は嬉しそうに感想を述べたが、瞬時に表情を一転させヒコをにらむ。

「奥さまとか嫌な感じ。仕事で来たんじゃないの?」

「相談所から来ましたって、俺、ちゃんと言ったよ。でも向こうが勝手にご夫妻にしたんだもん」


 ヒコも茶をすすり、おまんじゅうを手に取る。


「でもいいじゃん。他人同士だと一緒の部屋に泊まるとややこしくならない?」

「そーお?」

「なると思うなあ。だからってもう一部屋用意してもらうのも悪いじゃん」

「用意してくれなくていいよ。本館じゃなくて、この別館で、でしょ?」


 美織はキョロキョロと天井から障子、入り口の襖まで見やる。


「金縛りになる部屋の隣も金縛りになりそうだし。それなら一人で寝るの嫌」

「だから良いじゃん、夫婦で。あんまり否定すると不倫旅行に思われるよ」

「なんでそうなんのよ。愛人も妻も嫌だわ」


 けっ、と毒づき、美織はお茶を全部飲み干すと立ち上がった。奥の障子を開けると縁側で、肘掛け椅子が対に置いてあり、中央に小さな籐の丸テーブルがある。窓から見えるのは素敵な庭園ではなく、わさわさ茂る緑の木々が迫るように生える雑木林だ。


「ここって別館っつうか」

 美織は椅子に腰かける。座り心地は悪くない。ズシリと沈み込む感じだ。

「旧館だよね。うちら以外に客いないし、絶対、閉めてたでしょ」

「……まあ、そうだろね」


 ヒコは正座してまんじゅうをもぐもぐしている。


 ——別館に案内される前。


 受付で騒いでいると奥から年配の男性が出てきて、詳しい話をするとか言ってヒコをどこかへ連れて行ってしまい、美織はラウンジでしばらく待たされていた。ヒコは十分くらいで戻ってきたのだが、「雉の間にご案内しますだって」と言うだけで詳しいことは言わない。それからさらに三十分待って案内の仲居さんが現れたのだが。


「あの時間で掃除してたんだよ。だからこの部屋以外は埃だらけとかなんじゃない?」


 美織は意地悪く天井や椅子の足元あたりに視線をやる。目立つ場所に蜘蛛の巣が張ってあったり、ホコリが積もっていたりする様子はない。くんくんにおいを嗅ぐと古びた建物の香りの中に洗剤の匂いが混ざっている……のは気にし過ぎが。


「で、結局さあ、受付ではなんだって? 奥に連れていかれて何を話したのよ」

「うーん、だからあ、まあ。予約がないって言われたけど、総支配人?みたいな人が出てきて、宿泊の手続きはしますぅ、みたいな?」

「あんた、ちゃんと相手の話を聞いてたんでしょうね」


 待てと言われて待っていたが、自分もついて行けばよかったと思う美織。ヒコは電気ポットのお湯を急須に注ぎながら言う。


「オリリン、もう一杯飲む?」

「ううん、いらない」


 美織は椅子から勢いよく立つと、部屋の隅に置いていたボストンバッグのファスナーを開ける。


「暇だし、温泉は本館のほうに入りに行けってことだったから、行ってくる」

「今から?」

「うん。だってここ湯めぐりできるんだってよ」


 美織は膝立ちで移動すると座卓に広げていたパンプレットを指差す。


「二十四種類の趣向を凝らした温泉を楽しめます、だって」


 写真が載っており、樽のようなヒノキ風呂に岩窟風呂、さらにはライトアップしたレインボー風呂もあるらしい。


「楽しそうじゃん。霊障が起こってるのは別館だけみたいだし、夕食まで向こうで楽しんでる。何かあったら電話して」


 浴衣やタオルは大浴場の受付で借りられるそうだから、美織はウエストポートだけ持ち、さっさと部屋を出て行く。


「二十四も湯めぐりしてのぼせない?」


 ヒコはパンフレットを引き寄せて詳しく読んでみる。男女で十二種類ずつ、翌朝五時に入れ替わりの全部で二十四種類楽しめるらしい。


「オリリンが喜んでるなら文句ないんだけど」


 ふう、と大きなため息が出てしまうヒコ。

 ひとまず予約の件はうやむやになったが、美織に事の次第をすべて話すか話すまいか……。


「オリリン、怖がるかなぁ、言わないほうがいいよなぁ」


 神原相談所に依頼の電話をしてきたのは、大女将のユキエだった。

 雉の間に宿泊すると金縛りにあう。これを解決して欲しい。

 しかし到着してみると、依頼の件は知らないと言われてしまった。

 でも。

 女将の名前を出すと状況が変わる。奥から出てきた男性は大女将の息子で、今は総支配人らしいのだが、彼との話合いの中で嫌なことを知ってしまった。


「大女将って先月に亡くなってるんだもんなぁ」


 はあ、とまた大きなため息が出てしまう。

 つまり、あの依頼電話は幽霊から、ということになってしまう。

 そんなこと、やっぱり美織には言えないじゃないか。幽霊がかけてくる電話があるなんて、相談所を出て行きたい要素が増えるだけだ。


 しかしまあ、それはそれとして。

 気にかかる要素はあるものの、依頼は依頼だからとヒコは気を取り直す。


 仕事しよ、っとリュックから護符を取り出すと、ぺたぺたと部屋の四方に貼った。

 それから叔父に報告するため、ゆっくり歩きながら部屋の隅々を動画で撮り始める。


 総支配人の話では、別館を閉鎖して三年程経過しているそうだが、霊障が起こるようになったのは、それより十数年前からだと言う。


 総支配人はヒコ達を嫌がらせ目的の客だと思ったようだ。大女将の名前も調べればわかるだろうし、霊障についてだって、知る人ぞ知るオカルト情報のようで、ネットで探れば出てくるとかなんとか言って。


 心霊スポットではなく高級旅館としてやっているのだから、ここで騒がれたら困るのだろう。でも自分たちは依頼されたから来たのに、とヒコはムッときた。しかし、ここでキレたらあとでオリリンになんて伝えたらいいか困るので、ゆっくり辛抱強く事情を伝え、それなりの理解は得たように思う。部屋だって用意してくれたのだし。まあよくわかんないけど。


 それでも、支配人のあの様子だと金縛りに困っていたのは本当のようで、大女将もずっと旧館が気がかりだったようで、どうにかしたいと、たびたび口にしていたそうだ。だから四十九日を迎える前に、ああして相談所に依頼してきたのでは、とヒコは思っている。

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