蛹の羽化を見守るバイト・3
虫籠を抱えたまま、最低限の雨風だけは凌げるオンボロアパートに帰宅する。家の周囲に闇金の取り立てがまだ屯しているのではないかと気が気でない。こんな安アパートに住んでいる人間の大半は訳ありとはいえ、あまり目立ちたくはない。
さて、世話といっても何をすればいいのやら。人目を気にしながら家の中に逃げ込み、居間に腰を下ろしたのはいいものの、皆目見当がつかない。これが蛹に変態する前、芋虫の段階であればとりあえず食事として葉っぱを与えればいいのだろうが、蛹の状態では何か食べるのだろうか。小学生の時分に蝶の飼育を真面目に行っていればよかったと後悔した。
それでも悲嘆することはない。今の時代、大抵のことはインターネットで調べればわかる。どれだけ生活が困窮していようが、スマートフォンという文明の利器だけは手放せなかった。合法なのかも判らない格安SIMと公共施設等のフリー回線さえあればネットに繋げられるのだからありがたい。
俺は早速、誰かの回線に勝手に繋げたスマートフォンで蛹の飼育方法を検索した。それによると推測通り、餌を与える必要はないらしい。また、蛹となっても全く動かない訳ではないようだ。特に、羽化が近くなると動くようになるらしい。糸で固定していた枝などから落ちてしまうこともあるから、注意するように書かれていた。
ネットの記事を一通り読み終えた俺は畳の上に寝転がった。
「見守るだけのバイト、か……」
成程、言い得て妙だ。これで成功すれば簡単に大金が手に入るのだから、ハナダではないがこれは楽勝な仕事なんじゃないか?
一夜が明け、虫籠の中を覗いてみたが蛹に変化はなかった。俺は再びバイト先の研究所へと向かった。
皆どこか緊張の面持ちで虫籠を抱えていた。俺を含めて十人、全員いる。流石に一日でバックれる奴はいないようだ。普通のバイトとは違い、大金がかかっているのだから当たり前か。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。確認ですが、羽化した方はいますか? ……どうやら、まだ蛹が無事に羽化した方はいらっしゃらないようですね。それでは引き続きご健闘ください」
眞藤が現れてから解散に至るまで、一分もかからなかった。集まる意味はあるのかと思ったが、所詮俺達は雇われた立場。文句は言えない。
一週間、そんな日々が続いた。俺の蛹は未だに羽化の兆しがない。だが、他のアルバイトが一人、二人と集まらなくなっていた。来なくなった奴らはとっくに羽化させたのかと思ったが、眞藤は成功した者はいないと宣う。更に眞藤は、バイトの数が減っても全く言及しない。それがどうにも薄気味悪かった。
ある日顔を出すと、とうとうハナダの姿も見えなくなっていた。残っているのは俺とあと一人だけ。俺は堪らず、何食わぬ顔で帰ろうとしている男を呼び止めた。
「あの、すみません。俺、同じバイトしてる羽生って言います。ええと……」
振り返った男が怪訝そうにこちらを見つめる。男は目がぎょろりと大きく、道化じみた顔をしていた。
「山田です。どうかされましたか?」
そうだ、確かコイツは山田太郎とかいうふざけた偽名を名乗っていた。ハナダ曰く、裏バイト界のレジェンドなのだとか。
しかし、コイツはこんな顔だったか? よほど印象が薄いのか、最初に見た顔を思い出せなかった。
いや、そんなことよりも。
「ハナダさんの姿が見えないようですが、何か知ってますか?」
「いいえ、何も。ですがこの様子だとハナダさんは失敗したんでしょうね」
「そんな……」
山田と一緒ならば大丈夫だと大言壮語を叩いていたハナダが失敗した。原因が解らなければ、俺もハナダと同じ道を辿ることになる。この仕事に失敗すれば、俺は海の藻屑と消える。それだけは避けたい。
「あの……俺、ちょっと疑問に思ったんですけど、この仕事は何をもって成功って言うんですかね。無事に羽化したらいいって言うけど、例えば家で羽化できたとしても、こうやって集まる途中で不慮の出来事があって来られなくなる可能性だってある。ハナダさんだって、ここに来るまでに何かあったのかもしれない。それなのに失敗と一括りにされるのは、あんまりじゃないですか」
「羽生さんは優しいんですね。でもね、失敗したらそれまでのことです。皆、それは承知の上で仕事に就いている。他人のことまでいちいち気にしていたら、得られるものも得られませんよ」
山田の言い分は冷酷だった。きっとこれは、百戦錬磨の裏バイターからのありがたい忠告なのだろう。けれど、俺は素直に受け取れなかった。険を込めた目つきで山田を睨む。
「アンタ……何でそこまでして、この仕事続けてるんですか」
「失ったものを取り戻すため……なんて言ったら大袈裟ですかね? でもね、多かれ少なかれ、皆そんなものですよ。この世界では皆、自分のことしか考えていないんだから」
山田が言う失ったものとは金のことだろうか。金のためなら人は非道になれるとでも言うのか。
……ダメだ、コイツとは解り合えない。俺は適当に話を切り上げると、山田から逃げるようにその場を立ち去った。
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