54:てのひらは君のため

 楽しいイベントはあっという間に過ぎるもの。

 一日目の文化祭が終わり、二日目の後夜祭――午後六時。


『後夜祭の時間になったら、ドレスに着替えて教室で待ってて。漣里を迎えに行かせるから』

 葵先輩からそんなメッセージを受け取った私は暗い自分の教室に一人、ぽつんと立っていた。


 この時間帯、生徒は体育館か講堂にいなければならない。

 教室にいるのがばれたらまずいため、電気はつけられなかった。


 後片付けの終わった無人の教室は、いつも通り綺麗に整えられている。

 教室に落ちる暗闇と静寂は、夕方まで行われていた文化祭がまるで夢だったかのように錯覚させた。


「…………」

 更衣室で着替えを済ませた私は、ピンクのパステルカラーのドレスを着ている。


 ふんわりしたフレアスカートに、腰にはリボン。

 頭には漣里くんがくれたヘアピン。


 足には踵のほとんどないパンプスを履き、顔には薄く化粧して、色つきのリップを唇に塗っていた。


 準備は万端。

 ……でも、肝心のお相手が来てくれるのかどうか……

 葵先輩が約束してくれたんだから大丈夫だろう、という気持ちと、あの照れ屋の漣里くんが本当にその気になってくれるのだろうか、という気持ちがせめぎ合っている。


 はあ、とため息をついたとき。

 廊下から足音が聞こえた。


 見回りの先生か、それとも漣里くんか。

 前者の場合は隠れなければならない。


 私は極力足音を殺して歩き、扉からそっとその姿を確認した。

 非常灯がぼんやりと灯る廊下を歩いてくるシルエットは――漣里くんだった。


 私はその姿を見て、瞠目した。

 漣里くんはタキシードに身を包んでいた。


 髪も掻き上げるようにして、ばっちり決めている。

 でも、漣里くんは不機嫌そうだった。


 ……あ。やっぱり、乗り気じゃないっぽい。


 来てくれたのはとても嬉しい。

 初めて見た彼のタキシード姿は、ますます彼を凛々しく見せた。


 でも、心が伴ってなければ意味がない。

 どんなに漣里くんが格好良く決めてくれたって、姿と心がちぐはぐなんじゃ、台無しだ。


 フレアスカートを揺らして廊下に出ると、漣里くんは目を軽く見開いた。


「……可愛い」

 思わず呟いた、という感じだった。

 その言葉はとても嬉しいけれど――漣里くんが嫌がっているとわかってしまったから、暗がりの中、私は曖昧に笑った。


「ありがとう。漣里くんも凄く格好良いよ。……それ、葵先輩が?」

「ああ」

 たちまち、漣里くんが面白くなさそうな顔つきになる。


「皆と講堂に移動しようとしたとき、後ろから腕を掴まれて。着替えさせられたり髪を整えられたりした後、真白が待ってるから行ってこいって送り出された」

 漣里くんは普段とは違う髪型が気になるのか、髪に手を置いた。


「……そっか。ごめんね」

 目を伏せる。

「嫌だってわかってたのに、私が葵先輩に頼んじゃったの」

「いや」

 漣里くんはかぶりを振った。


「真白の姿を見たら気が変わるって兄貴が言ってたけど、本当だった。恥ずかしいから嫌だって、俺の感情を優先してダンスパーティーに参加しなかったら、こんなに可愛い真白を見ることもできなかった。間違ってたのは俺のほう。真白がそんなに踊りたいと思ってたなんて思わなかった。ごめん」

「え、ううん、そんなこと……でも、漣里くんは本当は嫌なんでしょう? 不機嫌そうだったし……」

「それは……」

 漣里くんは言い淀んだ。


「タキシードなんて着るの初めてだし、この髪型だって、なんか……照れくさいというか……」

「え」

 不機嫌なのではなく、単純に気恥ずかしかっただけなの?


「大丈夫だよ、さっきも言ったけど、すっごく格好良いから。見とれちゃった、惚れ直したよ」

「……そう? なら良かった」

 私の言葉に安心したのか、漣里くんは表情を和らげた。


 嬉しい。

 私、漣里くんと踊れるみたいだ。

 花火大会のときは髪もぼさぼさで、転んで、泣いて、もう最悪の状態だったけど。


 いまはちゃんと、綺麗に身なりを整えている。

 一生懸命選んだドレスを着て、漣里くんがプレゼントしてくれたヘアピンを髪に差した、最高の状態だ。


「それじゃあ……。言っとくけど、いまだけは恥ずかしいっていう感情を封印するから」

「? うん」

 なんだかよくわからないまま、頷く。


 漣里くんは歩み寄り、すっ――と。

 私の前で、片膝をついた。


 そして、片手を差し出し、まっすぐに私を見つめる。


「一緒に踊ってくれますか?」


 真剣な眼差しに、心臓が大きく跳ねた。

 予想外の行動に唖然としていると、漣里くんが笑った。


 私を見つめて、優しく、笑った。

 胸の中で何かが弾けて、たちまちそれは身体いっぱいに広がって、隅々まで満ちていって――ああ、これが幸せなんだなって、実感した。


 目頭が熱くなる。唇が震える。

 あまりにも幸せで、涙の衝動が堪えきれない。


「……はい。喜んで」

 手の甲で涙を拭い、漣里くんの手に自分の手を乗せる。

 漣里くんが安心したように笑い、私の手を握ったまま立ち上がった。


 ふと、この場にいない人のことを思う。

 今頃、葵先輩はみーこと屋上で話しているんだろうか。


 そうであったらいい。

 いつだって最高の味方でいてくれた二人が、穏やかに笑い合ってくれていればいいと、切に願う。


「行こう」

「うん」

 指を絡め合い、歩き出す。


 ――さあ、行こう。


 ありふれた高校の体育館で行われる、賑やかでおかしなダンスパーティーへ。


 ううん、それが終わっても、どこへだって――そう、繋いだ手を離さずに。

 私の手はあなたのために。


 ――あなたに愛を伝えるために。


《END.》

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てのひらは君のため〜クールな年下男子と始める、甘い恋〜 星名柚花 @yuzuriha

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