38:ヒートアップ

「ついでに言うと、さっきの台詞、お兄ちゃんは結構感動した――よっ」

 葵先輩は最後の台詞で、野田の拳を振り払うように横へ弾いた。


 拳を止められただけで力量を悟ったのか、野田はすぐに標的を葵先輩へと切り替えた。


 憤怒の眼差しが葵先輩を貫く。

 でも、葵先輩は涼しい顔だった。


 いや――涼しく見えるのは表面だけで、内心は怒りの炎を燃やしているらしく、その目は据わっていた。


「何があったか知らないけど、誰がどう見ても悪いのは君たちだよね? 弟に何してくれてるの? 返答次第じゃ許さないよ?」

「てめえが許そうが許すまいが知ったことかボケ! いきなり現れて何説教かまそうとしてんだ、ああ!?」

 私は耳を疑った。

 先輩になんて口の利き方なの!?


「王子だかアイドルだかなんだか知らねえが、頭の悪い女子どもにちやほやされていい気になってんじゃねえぞ!」

「行く先々でハーレム作りやがって、目障りなんだよ!」

「ただの嫉妬だよね、それ」

 吠える野田と上杉に、葵先輩は冷静に切り返した。

 図星を突かれた二人の顔が赤くなり、野田は「上等だぁ!!」と叫んで葵先輩に殴りかかった。


「葵先輩――!」

「大丈夫」

 悲鳴をあげた私に、漣里くんが言った。

 絶対の信頼を置いているが故の、落ち着いた声で。


 漣里くんの言葉を証明するように、葵先輩はがら空きだった野田の腹部を一撃した。

 のみならず、腕を掴んでその巨体を回転させ、背中から地面に叩きつけた。

 続いて後ろから強襲してきた上杉の拳をかわし、手首を掴んで捻り上げ、投げる。


 ほんの数秒で二人は無力化されて地面に転がった。


 ……す、凄い。

 葵先輩、本当に強いんだ!!


 唖然としている間に、葵先輩は人差し指で眼鏡を押し上げ、最後に一人だけ残っている加藤を見た。


「ひっ!」

 加藤は情けない悲鳴を上げ、仲間であるはずの二人を置いて逃げた。


 勝敗が決した瞬間、背後から歓声があがった。

 驚いて振り返ると、いつの間にか私たちの後ろにはかなりの数のギャラリーがいた。


 ざっと十五人くらいで、男女比は女子が多く、その中には小金井くんの姿もある。

 傷だらけの漣里くんを見て、さすがに責任を感じているのか、彼は気まずそうに眼を伏せていた。


「大丈夫? 成瀬くん」

 息を弾ませ、駆け寄ってきたのはみーこだった。


「ああ、なんとか」

「漣里」

 葵先輩が歩み寄ってきたため、私たちは会話を止めた。

 みーこが脇にどけると、葵先輩は漣里くんの腫れた頬に手を伸ばした。


「手酷くやられたみたいだね……痛かったでしょう」

「別に……ていうか、なんでここに?」

「あの子が家庭科室まで呼びに来てくれたんだよ。漣里が危ないからとにかく来てくれって」

 葵先輩はギャラリーのうちの一人の男子を視線で示した。


 その男子――漣里くんと同じクラスの相川くんがぺこりと頭を下げた。


「……ああ、そう」

 漣里くんはなんだか複雑そうな顔。


「何か気に入らないって顔だね?」

「おいしいとこだけもってかれた気がする……俺だってやろうと思えばできた、あれくらい」

「何言ってるの。じっと黙って耐えたんでしょう、立派だったよ、漣里」

 葵先輩は微笑んで、弟の頭を優しくなでた。


「うん。凄いよ。本当に……本当に、偉かったよ!」

 私が同意すると、漣里くんは顔を背けてしまった。

「漣里くん?」

 心配になって問う。


「いや……俺いま、酷い顔になってると思うから。あんま見ないで」

「そんなこと……」

 私たちが会話する一方で、騒ぎを聞きつけたのか、さらに五人ほどギャラリーが増えた。

 えっ、ちょっとこれどうしたの、やばくない、などと女子たちが囁き合っている。


「とにかく怪我の手当てをしないとね。深森さん、保健室に連れて行ってあげてくれる?」

「はい。行こう、漣里くん」

 私が促そうとした、そのとき。


「なんだ、なんの騒ぎだこれは!?」

 生徒の群れをかき分けて、二人の男性教師が現れた。

 強面の男子の体育担当の松枝先生と、化学担当の道長先生だ。


 さすがにまずいと思ったらしく、ざわめいていた生徒たちが静かになる。


 一目で暴行を受けたとわかる漣里くんと、地面に転がっている野田と上杉、そして葵先輩を順番に見た後、先生たちは眉をひそめた。


「これは一体どういうことだ?」

 威圧感たっぷりの、松枝先生の詰問に応じたのは葵先輩だった。

「ご覧の通り、弟がこの二人から暴行を受けていたので、僕がやりました。全て僕の責任です。どのような処分でも受けます」

 葵先輩は真摯に答え、頭を下げた。


「止めろ、兄貴がそんなこと――」

「先生、成瀬先輩が助けてくれなかったら、成瀬くんはもっと酷い暴行を受けてました!」

 漣里くんの言葉を打ち消す声量で以て、私は松枝先生に訴えた。

 葵先輩が頭を下げる必要なんてない。


 弟を守っただけなのに、処分を受けるなんて間違ってる!


「その子の言う通りですよ! 私も見てました!」

 一人の女子が声を張り上げた。

 演劇部なのだろうか、彼女はよく通る声でその場にいた全員の注意を引き付けながら、興奮気味にまくしたてた。


「成瀬くんは弟くんを庇って、殴られそうになったから自分の身を守っただけです! これは完全に正当防衛です!」

「そうです、悪いのは野田たちです!」

「成瀬先輩が処分を受けるのは絶対におかしいです!」

 ありがたいことに、ギャラリーから次々に援護射撃がきた。


「しかし校内暴力は――」

「じゃあ先生は、弟が殴られても黙って見過ごせっていうんですか!?」

 気の強そうな女子が、松枝先生の反論を吹き飛ばした。


「まずは言葉で――」

「あいつらは言葉が通用する人種じゃないんですっ!!」

「先生は暴れ回る猛獣を前にしても言葉で止めろと説得するんですか!?」

 生徒たちは葵先輩を弁護し続け、先生方が何を言おうとも片っ端から否定し、打ち負かしていく。

 もはや私たちの出る幕はなかった。

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