4 ゼロ


 保健室。手当をしながら詩乃と青葉の事情を聞いた保険医は飛び上がった。そして、「もう、なんですぐ相談しないの!」とぷりぷり怒りながら、セカンドオピニオンとして通りすがりの先生方を3人ほど捕まえて怪異の影響について話し合った。


 最終的に「今できる対処はない」と結論づけた先生方は、「そしたら私、学長と1-C担任に話通してきます」「じゃあ、私は古賀先生に事情を聞きに行ってきます」「三上、先生のポケベル貸すから。使い方分かる? 分かるね? 何かあったら絶対に助けを呼ぶんだよ。あぁまた召集来たもうやだぁ」と賑やかに散っていった。保険医は「二人を寮まで送っていきたいんだけど・・・・・・」と言いかけて、保健室の扉を開けた頭から血を流した女子に飛び上がった。中等部の制服だから、中等部の子だろうか。


「いい? 二人とも、まっすぐ寮に帰ること! 今日は部活早退! 何かあったらポケベル! 夜になる前に早く! はいさよなら!」

 保険医は半分怒鳴るようにして女子を抱えて行った。保健室はいつも盛況なのである。

 青葉と詩乃は顔を見合わせて、速やかに帰路についた。ポケベルは詩乃にとって身近な連絡手段である。弱い電話系怪異は通話機能のないポケベルには干渉できないからだ。しかしポケベルは、青葉のクラッシュ対象ではある。詩乃自身が持っていたポケベルは、今月頭に札の張り替えで一時的に札無しになっていた青葉に不用意に触られて壊れていた。


 寮までの帰り道。まだ札無しの青葉に、「札、貼らなくて良いの?」と詩乃が聞いた。「いいの。またオルゴールが来るかもだし」「・・・・・・この前、ゲームの新作が出たって言ってたよね?」「ゲームはいつでもできるから」


 太陽が沈み、反対側から空が藍色に染まっていく。逢魔ヶ時。物騒な名前だが、空にグラデーションがかかるこの時間帯が、詩乃は結構好きだった。


 「そういえばさ、オルゴールの怪異っていつから来はじめたんだっけ?」

 「えっと、確かリスニングテストのスピーカー乗っ取ったのが始めでしょ?」

 「そうだった。あの時、スピーカーの画面に『左腕まで10』って書いてあったよね」


 詩乃は頷いた。青葉は歩きながら、「うーん」と唸っている。さきほど保健室で巻かれた包帯が、夕日に照らされてオレンジ色に染まっていた。


 「でさ、どんどん数字減ってるじゃん」

 「うん」

 「で、今日のプロジェクターで『左腕まで2』、さっきのスコアボードは?」

 「スコアボードには表示されてなかったけど、ビデオには『左腕まで1』って書いてあった」


 ビデオカメラの画面に書いてあった文字。一瞬だけど、そう書いてあった気がした。詩乃は、鞄にストラップのようにしてつけたポケベルをきゅっと握った。


 「カウントダウンしてくるやつって、ろくなやついないよね」

 「うん。カウントするだけして、何も起こさないやつもたまにいるけど」

 「でも、わざわざスコアボードにまで干渉してくるやつが、何も起こさないことってある?」


 太陽が、地平線に沈む。区切りとしては、夜。夏なのに、詩乃の背中にひやりとしたものが伝った。


 「『左腕まで1』でしょ?・・・・・・そしたら、」


 左腕を、奪いに来る系、だったりして?



 詩乃の手の中から、オルゴール音が鳴り始めた。



 詩乃はひゅっ、と息を呑んだ。詩乃の手の中、すなわち先生がくれたポケベルから音が鳴っている。壊れたオルゴールの音。もうお腹いっぱいだって。


 「詩乃!」


 隣にいる青葉に呼びかけられるけれど、なぜか身体が動かない。一歩踏み出しかけた間抜けな姿勢のまま、片手にポケベルを握りしめて固まっている。目だけは動かせるらしく、詩乃は視線をそろそろと動かして、前方を見た。そして、表情を凍らせた。


 「どうした・・・・・・、っ」


 ポケベルに触ろうとした青葉は、詩乃の微細な変化に気がついて、詩乃の視線の先をたどった。そして、同様に表情を凍らせる。


 バレリーナの、人形がいた。


 ボロボロの舞台衣装を纏って、整った顔立ちと髪型をして。お土産のオルゴールに付属していそうなかわいらしい見た目をしておきながら、2mほどの大きさと経年劣化と無機質さで、人形好きも裸足で逃げ出すレベルの姿をしていた。


 そして、それには左腕がないのである。


 詩乃は、バレリーナの右手にきらめくものを見た。確認しなくても分かる。刃物の類である。おそらく包丁。こういうやつは大抵対象者の左腕を切って持ち去って行くんだ。たぶん。


 そして、青葉もバレリーナを視認した瞬間から固まっていた。詩乃と同じように、動けないんだろう。連絡用に持たされたポケベルが怪異に利用されるわ、対抗手段を持つ青葉が封じられるわ、散々である。バレリーナは人形のようにギシギシいいながら近づいてきて、詩乃に向かって右手を高く振り上げた。どうやら、握っていたのは包丁だったらしい。詩乃、大正解である。どうでもいい。


 詩乃は、今日が命日か、と思った。ま、私たぶん中学の頃に死ぬ運命だったし。多少永らえたから良いかな。痛いのは嫌だけど。なんて思いながら、目を閉じることも出来ずに包丁を見つめて。



 ドカッ!


 次の瞬間、視界からバレリーナが消えた。


 「は?」


 思わず声が出る。そして声が出たことにも驚く。金縛り状態が解けていた。


 「はっはっは! 俺の後輩に手を出そうなど百年早いわ!」


 何となく聞き覚えのある声が、後方から発せられている。詩乃は振り返った。校内では珍しい、長めの金髪。腕を組んで謎に自信満々な制服姿。


 「兄貴、こっちが詩乃! あっちが青葉!」


 後ろから、狐を肩に乗せた海嶺かいれいがひょっこり顔を出した。ということは、もしかしなくても。


 「副会長・・・・・・」

 「うむ! そうだぞ!」


 副会長は鷹揚に頷いた。そして、「おっと、そいつを渡してくれるかな」と、詩乃の横に向かって手を差し出した。

 詩乃は首をかしげて横を見た。と、いつの間にか金縛り状態から回復していた青葉が、いつの間にか詩乃の手からポケベルを奪い取り、いつのまにか握りつぶそうとしていた。お前、いつの間に。


 「・・・・・・でも」

 「君の気持ちも分かる! だが、封印するには依り代を媒介した方が手っ取り早い!」

 「・・・・・・」

 「君の手中にあるのに、音が止まない。封印が最善手であることは、君も分かっているはずだ」


 青葉は、特に苦手なフレーバーの苦虫をかみつぶしたような顔で副会長にポケベルを渡した。副会長は朗らかに笑う。


 「うむ。しかと受け取った! これよ――」


 そして、言葉の途中で固まった。詩乃は後ろを振り返る。さっき吹っ飛ばされたはずのバレリーナが、詩乃のすぐそばまで迫っていた。後ろから「兄貴! 大丈夫?」と声が聞こえる。どうやら副会長も金縛られたらしい。これだから、聖沢家は残念な一族なのである。


 と、ふらりと詩乃の前に躍り出た人影があった。青葉である。


 「何やってんの!」

 「俺が、俺が何も出来なかったから詩乃は」

 「しょうがないよ動けなかったんだから!」


 詩乃はどかそうとするが、青葉は頑として動かない。フットサル部の体幹はすごいのである。どうせ狙われているのは詩乃なんだから、被害は最小限に抑えたいのに。再び包丁を振り上げたバレリーナを前に、詩乃はどうすることも出来ずに目をつぶった。


 ガリュッ!


 『あAaあ゛aあ゛!』


 悲鳴のような声が聞こえる。

 痛く、ない? 詩乃はうっすら目を開けた。


 バレリーナの首根っこに、狐が噛みついていた。


 え? 詩乃は瞬きをして、もう一度見つめた。やっぱり噛みついていた。


 「よくやった!」


 後ろから再び声がして、ガチャリと重い蓋が開くような音がした。振り返る。海嶺が大きな金庫の蓋を開けて構えていた。そして、金縛りを自分でどうにかしたのだろう副会長が「封」と書かれた札を正面に構えていた。


 「ええい! 大人しく封じられろ!」


 狐はバレリーナの首根っこを咥えたまま、金庫の方まで飛んでいった。副会長は狐からバレリーナを受け取ると、ついでにポケベルも一緒に金庫にぶち込んだ。そして、きっちり蓋を閉めて、「封」と書かれた札を貼った。


 「よし! これでいいだろう!」


 副会長は腕を組んで、満足そうに頷いた。彼の肩に狐がとまる。先程まで首根っこを咥えていた狐である。赤い首輪をしている。


 「・・・・・・あ!」


 それを見て、詩乃は思い出した。赤い首輪の狐。詩乃のきつねうどんを素うどんにしていった狐。


 「君か、こいつにお揚げをくれたのは!」

 

 副会長の大声に、こくりと頷く詩乃。青葉は半分呆れた目で詩乃を見つめた。


 「そうか! こいつが君にお揚げの礼をしたいって聞かなくてな。特徴を聞いたら、海嶺のクラスの子だっていうじゃないか。そこで教室にお邪魔したんだが、なぜか海嶺が遮断札を懸命に作っていてな。事情を聞いて参上した次第だ」


 「どう見てもヤバい怪異だったからさ。詩乃と青葉大丈夫かなって思ってたら、今日部活でも何かあったらしいじゃん? カウントダウン式だし、これはまずいって思って兄貴を連れて、GPSたどってここまで来た」


 「GPS?」「うん。ポケベルについてて」「へー」「解析班の子が作ったポケベルが先生方に渡って、それが詩乃に渡されたらしいよ。GPSつけといて良かったって言ってた」


 いつものように話し始める青葉と海嶺。詩乃は副会長に両肩をぐわんぐわん揺らされながら、「いやぁ、先生方も同時に発生した怪異事件にてんてこ舞いでな! 年長者は自力で対処できる者も多いし、つい後回しになってしまう」と大声を聞いていた。詩乃は酔いそうになった。大声も揺れも嫌いである。


 「しかし、この怪異は何だったのか。オルゴール音、ボロボロのバレリーナ人形から察するに、左腕を失ったオルゴール人形だったのかもしれないな。左腕が欲しくて奪いに来たか」


 一通り揺らして満足したのか、副会長は詩乃を解放した。そして、口元に手を当てながら、大股で金庫の方へ歩いていく。アメリカンヒーローのような立ち振る舞いである。


 「しかしこんな強力な怪異、とっくのとうに出現して、先生方が対処していてもおかしくない。なぜ、今なんだ? なぜ、急に活性化した?」


 呟きながら、副会長は金庫を叩いた。封印札の張り付いた金庫は、びくともしない。


 「兄貴、解決した?」「ああ」「水飲んだ方が良いよ」「ありがとう」海嶺が副会長に水筒を差し出した。顔も髪色も能力も似ている二人。世話を焼く海嶺に生返事をして、ひとりでじっと考え込む副会長。鷹揚な立ち振る舞いの割に、静かに考え込む人だと詩乃は思った。

 怪異には、理由があることもないこともある。深く考えても分からないことも、対策が立てられるものもある。怪異とは、得てしてそういうものである。


 「まぁいいか」


 しばらくして、副会長はすっと立ち上がった。

 「よし、二人は帰って休んだ方が良い。海嶺、これ職員室まで運ぶぞ!」「いいけど・・・・・・。これ、めっちゃ重いよ。台車ないと運べないよ」「さっきまで台車で運んでただろう」「ごめん、さっき俺の狐が壊した」「・・・・・・」「・・・・・・」「俺は右を持つ。海嶺は左を持とう!」「分かった・・・・・・」


 「手伝いますか?」と青葉と詩乃が声をかけても、「いや、いい!」「二人は疲れてるんだから、先帰ってて」と断る兄弟。


 「ちなみに、兄貴はこれのロック番号覚えてる?」「・・・・・・覚えてないな!」「・・・・・・一緒に謝ろっか」


 職員室へ向かう後ろ姿から漂う哀愁。詩乃は苦笑した。

 高等部生徒会副会長、聖沢ひじりさわ航明こうめい。海嶺の兄で、週に3本以上アメリカンヒーローの映画を見る。狐使い見習いだが、海嶺よりは年の功で出来ることが多い。狐を封印・使役する応用で、怪異を封印することもある。

 生徒会長戦で一票差で現生徒会長に負けた、ちょっと抜けているアメコミヒーロー風の残念な副会長である。聖沢家は残念な家系なのだ。


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