2 会敵
竜平のかわいさに気をとられた一花は、一瞬対応が遅れる。するとその隙に、背後からヌトッとしたものが押し寄せてきた。感触としてはベタベタした巨大水枕。スライムの大群である。
スライムはぺたぺた一花の身体を包んでいく。ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺたぺたぺた。ひとつひとつは一花の手のひらに収まるくらいの大きさだが、集まったときのどうしようもなさがすごい。一花はもがいてみるが、ゼリー状のスライムに包まれて文字通り手も足も出ない。やっぱりスライムに腕っ節は効かないのである。
しかしどうしたものか、最初に口、次に鼻を塞がれた一花は、もう窒息までのカウントダウンを待つのみである。剥がそうにも全身を包まれたら身動きがとれない。一花はだんだんブラックアウトしていく意識の中で、スライムを序盤の雑魚キャラにした有名ゲーム会社のセンスを疑った。
しかし、なぜだか急に息ができるようになった。思わず咳き込む。目を開ける。透明なスライムを透かして見えたのは、竜平だった。必死になって銀色の小さな何かを振り回している。クッキーの型抜きである。
スライムに腕っ節は通用しなかったが、型抜きは通用したようだ。竜平が一花の口元部分のスライムを花形に抜いてくれたらしい。竜平は一花に向かって何か叫んでいる。でも、口以外の部分を包まれたままの一花には何も聞こえなかった。
竜平は必死にスライムを型抜きしていた。スライムにぽこぽこと花形の穴が空く。抜かれた方のスライムもまた、意思を持ってぴたん、ぴたんと動き始めるが、竜平は口に張り付かれる前に木べらで叩き落としていた。右手に型抜き、左手に木べら。失礼した。小さなスライムには腕っ節も効果的である。
どんどん型が抜かれていくにつれて、竜平の声が聞こえるようになった。「がんばれ」「もうちょっと」「生きて」竜平は必死になって型抜きを続けている。型を抜きすぎたのか、スライムの抵抗にあったのか、竜平の指先が切れて血が流れているのを見て、一花の中で何かが切れた。
一花は、もう一度スライムの中で力いっぱいもがいた。竜平のおかげで所々薄くなっていたのか、左手がずるりとスライムを突き破って外に出た。それを見た竜平は、集まってくるスライムを木べらで叩き落としながら、一花の手を握って力一杯引っ張った。それはもうめちゃくちゃに、いろんな方向に引っ張った。その甲斐あってか、一花はスライムの中からずるりと生還した。鬼の形相で。
『・・・・・・おい』
一花は、地の底を這うような声で、呟いた。
それは小さな声だったが、スライムの動きがピタリと停止した。
『悪気がなかったとは言わせねぇぞ』
一花はゆっくりと立ち上がる。巨大なスライムはびくっ、と震えて、小さなスライム達が慌てて大きなスライムにくっつきに行った。
『私の大事な、大事な先輩に血を流させたんだ。ただで済むと思うなよ』
全部が合体したスライムは、びよーんと伸びて、威嚇のようなポーズをとった。
一花はスライムを睨みつける。そして、怒りが飽和した声で言った。
『お前らなぁ・・・・・・。レモン汁✖スライムで一枚描いてやろうか?』
三秒ほど間が空いた。緊迫した空気の中での三秒は長い。スライムは訳が分からない、といったように首をひねった、ように見える動きをした。
『スライムにレモン汁垂らしたらなぁ・・・・・・。溶けるんだよ。知らねぇの? 化学反応を起こして、跡形もないくらいどろっどろに。さぞ映えるだろうなぁ?』
あくどい顔で、値踏みするようにスライムをねめつける一花。そう、彼女は腐女子であった。友達に誘われてからハマり、一から十まで鑑賞・妄想・出力を経た腐女子だったのだ。
『塩でもいいな。塩を入れたらな、水分が塩に奪われて硬くなるんだよ。どちらにしろお前らのスライムとしての矜持はボロボロだろうなぁ?』
スライムがぶるぶる震え出す。死に近い怪異は、生きる力に弱い。生命力と言い換えてもいい。そして、R18的なことは、「生命力」のカテゴリには一応入るのである。
それに加えて、大体の怪異はそういうことに精通していないが、自分が屈辱的な扱いを受けていることくらいは怪異だって雰囲気で分かるのである。
『酢酸もいいな。レモン汁・塩・酢酸✖スライムで描くか。さぁぞ滑稽だろうなぁ?』
人間で言うところの塩酸・王水・大量のヒルと人間がエッチなことをする、である。御免被りたい。
と、竜平が一花に駆け寄って、レモン汁の入った瓶を渡した。実は竜平は一花を引っ張り出した後、放心状態で座り込んでいた。しかし、スライムに語りかけながら目配せする一花に気づいて、瓶を喫茶店のキッチンから持ってきたのだ。
一花はゆっくり、非常にゆっくり瓶の蓋を開けた。そして、にっっっこりと笑った。
『さあ、取材の時間だ』
スライムは逃げていった。秒で。怪異といえども、よく分からないものは怖いのである。特に今回のような生まれて間もない怪異には、経験値がない分脅しが良く効くのだと、一花は経験から知っていた。
―――
スライムが逃げていってから、秒針が三周するまでたっぷり固まった後。竜平はおそるおそる、といったように一花を見た。一花は先程のあくどい表情が嘘のように、すんっとしていた。
「大丈夫・・・・・・?」
「大丈夫ですよ、むしろ先輩の方が指、大丈夫ですか?」
絆創膏あります? と勝手にキッチンの方へ向かう一花を慌てて止めて、その辺のスツールに座らせる竜平。キッチンの奥から救急箱を取ってきて、一花を治療しようとして、ぴたっと固まった。スライムに飲み込まれていただけの一花に怪我はなかった。どちらかというと竜平の方が重症に見える。
若干恥ずかしそうに自分の手当てをし始める竜平を見つつ、一花は小さくあくびをした。眠い。一花の場合、怪異と話すと眠くなるのである。いや、そうでなくても一花はいつも眠いのだが。自称永遠の成長期である。
「そういえば! 一花ちゃん格好良かったね! 怪異と話せるんだよね? すごいよ~」
「いや、話すというより、怪異に届く言葉を発する、強制的に話を聞かせるって感じですよ。先輩の想像しているみたいな怪異と仲良くお話、みたいなことはあんまできませんね」
「えっ? そうなんだ」
「そうです」
180cmのぽわぽわはメルヘンなことを考えていたらしい。怪異相手に流石である。器用に両手の指先に絆創膏を貼った竜平は、「わ~、スライム、店の中ぐっちゃぐっちゃにしてった! 片付けなきゃ~」とわたわた片付けを始めた。高校の部活が運営しているにしては洒落たデザインのテーブルや椅子が、軒並み倒れている。眠くてぼーっとし始めた一花は、スツールの上に座ったままこくこくと船をこぎ始めた。
「・・・・・・先輩は、やっぱり引かないんですね」
「んー? 引くって何を?」
「いや、私の、なんというか、倒し方? を」
「え、どうして引くの? 一花ちゃんは僕を守ってくれたのに?」
テーブルをよいしょ、と持ち上げて、不思議そうに首をかしげる180cm。首をかしげる男子高校生は可愛くないが、眠りかけで涙の膜が張った一花の目には、キラキラのエフェクトがかかって見えた。
「あの、きっ、気持ち悪いこと、言ってたでしょう?」
「え~? 別に、なんて言って怪異を追い払おうが、関係ないよね~?」
ごにょごにょ言いながら、眠気が限界に来た一花。スツールから前に倒れ込みそうになったとき、何かにふわりと抱き留められた。一瞬遅れて、コーヒーの匂い。コーヒーの匂いは一花をふわりと抱きかかえ、喫茶店のソファ席に寝かせた。思春期には難易度の高い、ぽわぽわ高身長と眠すぎる低身長だから成せる技である。
微睡みの中で、大好きです、と一花は呟いた。人を一部分で判断しないところ。厳しい家で育ってきたのに、他人を気遣えるところ。いろいろあってトラウマになっていたこの倒し方を仕方なく披露したとき、目をきらきらさせて、賞賛の言葉を贈ってくれたことーー。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます