その3
〇
もこもこカーペットから離れて10日。図書館の景色は小さなズレから始まり、今では大きな変化となっていた。書架の素材がいつのまにか金属になっていて、きらりと蛍光灯の光が反射して、歩けばコツコツと音が響く。図書館とその他の境界線が揺れる。
整列している区域に入ると、道が固定されるから楽だ。本を読みながら歩いてたって、誰からも文句ひとつ言われない。これに慣れたら、元の世界に戻った時大変そうだと思う。そんなことがだんだん増えてくる。
ふと、手に取ったタイトルが人の名前ということに気が付いた。挑戦的すぎる。歴史本なんだろうか。内容はひどくつまらなかった。ただ経歴やなんだが列挙されて、なんなら事細かく書いてあるくせに、心の描写がないせいでつまらない本になっている。そういう本なのだろう、読めない文字はなかった。
この列は人の名前がずらっと並んでいる。すこし気味悪い。
ありきたりな自分の名前を探す。ない。見つかったのは友達の名前だった。うきうきで読んだ。24年12月に転職している。1月からにすればいいのに。更新を待つ。
〇
歴史本のコーナーは1日に1回大きく揺れた。おそらくページの更新が入るせいだ。奥へ奥へと真っ白な靄に向かっていくそのうねりが面白くて、朝の始まりを告げるアラームになった。そして、同じことを考えてる人を見つけた。中途半端な髭とショートカットの男性だ。
「こんにちは」
「ああ。もしかして、俺と同じで迷子?」
「そうですね」
「いやあ、やっとしゃべれるってもんだよ。面白いもの探すってもなんにもないし、この大きな揺れと波打つみたいな本棚だけが俺の楽しみだったからさあ。あ、たくさんしゃべってもいい?」
「はあ」
「自分もここに迷っちゃって、それでどうしたらいいかわからないけど、ずっと留まって解決するようなものでもなさそうだっていうもんだから、しょうがなく、出口のありかへ向かうことにしたんだけどさ」
「はあ」
「気づくとずっと誰かを探しちゃうわけ。誰もいないから。そんなことどうでもいいかもしれないけど、自分は押し売りの販売の仕事をしててさ、1日の多くをこれに費やしてきたもんだから止まらないのよ。受付っぽいところはあったけど誰もいないしさ」
「はあ」
「じゃあここから1人でどうぞって投げ出された気分で、こう、なんて無責任なんだって思ったけど、そんなこといってもしょうがないんだろうなって」
「はあ」
「そうそう。もしこれから先、うまい具合に帰れたらなんだけど。この図書館にいる人間まとめて元の世界に戻せるようやってよ。君以外見たことも会ったこともないけど、自分もさ、そうするから。大変じゃん。1人で何でもするのって。どうしたってだれかに助けられて、なにやってだれかを助けてる世界から来たんだからさ、そう思うわけ」
「はあ」
「足並みをそろえるのって難しいから、俺は先に行くけど。それだけお願いしておくわ。自分も助けて、ついでに誰かも助かってくれたらいいよね。じゃあまた、どこかで会えたらいいね。話し相手になってくれてありがとう。それじゃあ」
「はあ」
〇
誰とも会わない日が続いた。
読めない文字が司書さんの名前に見えた。手に取るとずいぶん薄い。若いからか。
『彼はこの図書館を作った異世界人』『彼は知識を守ろうとこの図書館を作った』『彼はずっと前にした約束を守り続けている』『彼は――』閉じて、彼は非常に優しかったことを思い出す。好きな人とか書かれてたら恥ずかしいだろうな。
司書さんの歴史本からは見慣れない言葉がたくさん出てきた。異世界人とやらはどうにもすごいらしく、この図書館を作りあげては放置している。過去の知識が必要ないってどうなんだ。とんでもない存在だ。もっと詳しいことを知ろうにも、また都合よく別の司書さんがいないと探す手立てもない。これも楽しみにしておこう。
ちなみに、丸テーブルで出会った彼女の本も並んでいた。『彼女は仕事をさせられている』『彼女は人を信じていない』だと思った。
『彼女は罪を犯した異世界人だ』まさかそこまでとはね。
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