私たちのこころに佇む数多の「クラムボン」。
- ★★★ Excellent!!!
教科書とは世の中を教えるものである。
小学生のものならなおのことだろう。
だが、国語の教科書に載る数多の文学作品には、正解がない。なにを学び、なにを知るのか。授業という場を経ても、それは個々人の解釈に任される。
そしていつしか、それらのなにかが、人生のなにごとかの琴線に触れることも、あるのかもしれない。
文学という曖昧なもの。
何もかも自分が咀嚼しないと身に入らないもの。
わたしは、このエッセイで改めて「自分は国語の教科書、ひいてはそれ以降触れた数多の文学作品からなにを教わったのだろう」と考え込みました。
それにも明確な答えは出ない。
まさに「クラムボン」のよう。
だけどそれらは、確実にわたしの、またはわたしたちの、血肉になっているのです。