第8話: 貧乏生活の現実
「隆司、これは何だ?」
アリシアが青ざめた顔で、白い封筒をひらひらと振りかざす。宛名には隆司の名前、赤い文字で「重要なお知らせ」と書かれていた。
「ん? 水道光熱費の通知だろ。あー、今月分か……」
隆司は夕飯のカップ麺にお湯を注ぎながら、呑気に答える。その横でアリシアはさらに顔を険しくした。
「水道光熱費とは何だ? 帝国では水や光、そして火は、民にとって当然与えられるものであったが?」
「……いや、ここじゃそうはいかねえんだよ。使った分だけ金を払わないと、止められる」
「止められる……だと?」
アリシアの声がわずかに震える。その表情は「まさかそんな非道なことがあり得るのか?」と言いたげだった。隆司は椅子に座り、ふうと息をつきながら答える。
「まあ、これが現実だ。現代の庶民生活は、な……」
数分後、テーブルには明細書が広げられ、アリシアの目が泳いでいた。
「水道……3000円。電気……6000円。そして……ガスが7000円!?」
彼女は金額の数字を指差し、震える声で叫ぶ。
「そ、そんな馬鹿な! このような法外な税金、民に課しては国が滅ぶぞ!」
「税金じゃなくて、使った分の料金な」
隆司が冷静にツッコむと、アリシアはカッと目を見開いた。
「ならば、その料金とやら、どうしてこんなにも高いのだ!?」
隆司は何も言わずに彼女を見たあと、少しだけ苦笑した。
「お前がシャワーを毎日30分以上浴びるからだよ」
「……なんだと?」
「さらに、明かりは消さねえ、テレビはつけっぱなし、電子レンジを無意味に何度も使う。そりゃ高くなるだろ」
指摘されて、アリシアの顔はじわじわと赤くなった。彼女にとっては何気ない行動だったのだろうが、それが料金に直結していると知った今、衝撃は計り知れない。
「……だが! そもそも、この家の設備が貧弱すぎるのが悪いのではないか?」
「はいはい、責任転嫁しないでくれ」
隆司は肩をすくめながら再びカップ麺をすすった。そんな彼の姿を見て、アリシアは悔しそうに唇を噛む。
「これからは節約だ!」
翌朝、アリシアは突然宣言した。リビングの中央に仁王立ちし、何故かドヤ顔である。
「お前が言うのかよ……」
「貴様のためにも、私が一肌脱ごうではないか。節約の女王として、この無駄な支出を抑える!」
隆司は「どうせまた失敗する」と思いつつも、彼女の真剣な様子に少しだけ期待することにした。
「第一、シャワーの節約だ!」
その数時間後――。
「……姫様、どうして桶を使って水をかぶってんだよ?」
浴室から聞こえる水の音とともに、アリシアが真顔で現れた。
「シャワーなど贅沢だ。帝国の戦場では、桶に汲んだ水を使うのが当たり前であった」
「いや、ここは戦場じゃねぇから!」
アリシアはそんなツッコミを無視し、次は部屋の電気を一気に消した。
「第二、光の節約! これからは日没まで自然光のみで生活する!」
「暗い中で何すんだよ!」
「貴様、目を鍛えよ!」
隆司は頭を抱えた。なんだこの生活は。逆に疲れる――そう思ったが、アリシアの真剣な表情に、再び反論を飲み込んだ。
「第三、料理も節約!」
夕方、アリシアは再びキッチンに立っていた。だが、その手に持っているのは……
「……やかん?」
「貴様のカップ麺など、見ていられぬ! 帝国伝統の『湯煮』で、全ての食材を無駄なく料理してみせよう」
「湯煮って……ただ茹でるだけじゃねえか!」
その後、アリシアは冷蔵庫の野菜を全て鍋に放り込み、ぐつぐつと煮始めた。しかし――
「なんだこの匂い……」
湯気と共に、何とも言えない香りが部屋中に広がった。
「見よ! これぞ帝国流節約料理『野菜の湯煮』だ!」
鍋の中はすべて灰色に変色し、元の野菜が何だったのかすら分からない。
「……お前、食える自信あんのか?」
アリシアは堂々と一口すくい、口に運んだ。だが――
「……っ、苦い!?」
「ほら見ろ! だから言っただろ!」
彼女は口元を押さえながら、涙目で鍋を睨みつける。
「……現代の節約は、過酷だ……」
夜、二人は結局コンビニで買ったおにぎりを食べていた。隆司は半ば呆れた顔でアリシアを見た。
「結局、無理すんなって話だよ」
「……悔しい」
アリシアは小さな声で呟きながら、頬を膨らませる。その姿に、隆司は少しだけ笑った。
「まあでもさ、お前がこうして節約を意識するだけでも十分だよ」
「……そうか?」
「うん。ほら、次の水道光熱費はちょっとだけ安くなるかもな」
アリシアはそれを聞いて、わずかに頬を赤らめた。そして、手にしていたおにぎりを一口食べながら、静かに呟いた。
「……帝国の方がまだマシだ」
「言うと思ったよ!」
二人の笑い声が、静かな夜のアパートに響く。アリシアの無謀な挑戦は散々な結果に終わったが、それでも少しだけ、現代生活の厳しさと楽しさを理解し始めたのだった。
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