第6話: 庶民の節約レッスン
「貴様、なぜそんな小さな財布しか持たぬのだ?」
アリシアの声が、隆司の耳に刺さる。彼は目を細め、肩を落としながら答えた。
「何度も言ってるだろ。貧乏学生なんだよ、俺は!」
隆司はアリシアの高飛車な態度に、既に三度目のため息をついていた。部屋の片隅に座り込み、財布の中の小銭を確認しつつ、彼はこのままでは生活が回らないことを再認識する。
「そもそもな、お前の無駄遣いが原因なんだよ!」
「何だと? 私が無駄遣いなどするはずがなかろう。必要なものに投資しているだけだ」
「……銀座で高級バッグを買おうとしたやつが何を言ってんだよ」
隆司の言葉に、アリシアはムッとしながら顔を背ける。そして言い放った。
「ならば、庶民の生活とやらを教えてみせよ。貴様がどれほど賢く金を使っているのか、見てやろうではないか!」
隆司はその言葉に反応する暇もなく、次の瞬間、彼女は立ち上がって言い放った。
「行くぞ、隆司。そなたのいう“節約”とやらを学んでやろう」
「……だからなんで、俺がこんな役目を……」
隆司は苦悶の表情を浮かべながら、自転車を押して歩いていた。後ろにはアリシアが堂々と座っている。荷物でも運んでいる気分だ。
「いいか? 今日は100均とコンビニに連れていくからな。それが節約生活の基本だ」
「100均? それは何だ?」
アリシアは少しだけ興味を示したようで、顔を乗り出す。
「簡単に言えば、どの商品も100円で売ってる店だよ。安いし便利なんだ」
「ほう……そんな庶民の知恵があるとはな」
アリシアは満足げに頷くが、その言葉に隆司は「絶対に嫌な予感しかしねぇ……」と内心呟いた。
隆司とアリシアは、近所の100均ショップの前に立った。扉が開くと同時に、アリシアの瞳が輝く。
「これがその……すべて100円という店か?」
店内には日用品、食料品、雑貨が隙間なく並べられ、アリシアの目にはそれが異様に映る。
「なんと! 鍋や包丁が100円だと!? こんなにも価値のあるものが、たった100円で手に入るというのか?」
「そういうことだ。まあ、質はそれなりだけどな」
隆司の説明も聞かず、アリシアはすでに商品を手に取り、次々とカゴに入れていく。
「これは素晴らしい! 帝国では考えられぬ庶民の知恵だ」
「……おい、ちょっと待て! 入れすぎだろ!」
隆司が慌てて止めに入るが、アリシアの勢いは止まらない。目を輝かせながら、キラキラしたシールやらプラスチックの剣までカゴに放り込んでいく。
「……なんで、おもちゃまで買おうとしてんだよ」
「見るがいい、この剣を! 帝国の細工師も顔負けの造形美だ」
「それプラスチックだぞ!?」
なんとか商品を棚に戻し、最低限のものだけを買わせることに成功した隆司は、汗だくになりながら店を出た。
「庶民の店も、なかなか侮れぬな。安さと質の両立とは……文化の極みだ」
「お前、節約の意味を分かってんのか?」
「ふむ、完璧に理解したぞ」
そう言い切る彼女を見て、隆司は嫌な予感を拭いきれなかったが、次の目的地であるコンビニへ向かうことにした。
「さて、次はコンビニだ」
コンビニの前に立ち、隆司は気を引き締める。この場所で彼女がどんな反応を示すのか、予測不能だった。
「ほう……ここは先ほどの店と違い、小さいが精鋭ぞろいといった感じだな」
扉が開くと、すぐに冷気がアリシアを迎え入れる。彼女は驚いた顔で立ち止まった。
「む……冷たい風が……」
「冷蔵室だよ。コンビニには何でもあるんだ」
隆司は飲み物や総菜が並ぶ棚を示しながら、彼女に説明する。しかし、次の瞬間、アリシアの視線が一つの商品に釘付けになった。
「……この白い三角形の物体は何だ?」
彼女が指差したのは、棚に並ぶ“おにぎり”だった。
「おにぎりだよ。米を握って中に具が入ってるんだ」
「米……? 帝国では米は貴族がしかるべき形で食すものだ。それをこんな形にして……」
隆司は彼女の疑念を払うように、一つ手に取って差し出した。
「食ってみろよ。うまいぞ」
店を出て、隆司はベンチに座り、アリシアにおにぎりを渡した。初めて見る包装に彼女は眉をひそめる。
「なんだ、この複雑な包み方は」
「こうやって開けるんだよ。ほら」
隆司は慣れた手つきで包装を剥がし、アリシアに示す。彼女は少しだけ戸惑いながらも、同じように開封し、おにぎりを手に取った。
「……これが庶民の食事か」
少し疑わしげにしながらも、彼女は恐る恐る一口かじる。次の瞬間——
「な、何だこれは!?」
アリシアの目が大きく見開かれた。
「どうした?」
「どうして……どうしてこんな貧相な食べ物が、これほど美味しいのだ……!?」
隆司はその反応に、思わず吹き出しそうになった。
「だから言っただろ。コンビニのおにぎり、侮れないって」
アリシアは真剣な顔で、再びおにぎりにかじりつく。手が止まらない。その姿に、隆司はどこかほっとする気持ちを抱いた。
「……お前にも庶民の良さが分かったか?」
「ふむ……庶民の知恵、侮りがたし!」
アリシアは頷きながら、もう一つおにぎりを求めようとする。その姿を見て、隆司は苦笑しながら財布を確認した。
「一つくらいなら追加で買ってやるよ」
「ならば、次は別の味を試させてもらおう」
こうしてアリシアは、初めて「庶民の味」を知り、その衝撃に打ちのめされたのだった。
その帰り道、アリシアは嬉しそうにおにぎりをもう一度手に取りながら呟いた。
「庶民とは、意外と賢く、そして……逞しいのだな」
「だから言ったろ。節約ってのは、こういう楽しみ方もあるんだよ」
隆司は少しだけ誇らしげに言った。こうして、異世界の姫と貧乏学生の間には、一つの小さな理解が生まれ始めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます