第2話: 異世界から現代へ
暖かな風が桜並木を揺らし、薄紅色の花びらが舞い上がる昼下がり。子どもたちが公園の広場でボール遊びをし、ベンチに座る親たちが微笑ましく見守っている。そんな平和な光景に、突如として現れる異変を予想する者はいなかった。
空気が揺れる。次の瞬間、公園の中心部に眩い光が炸裂した。
「な、なんだ!?」
公園にいた人々が驚き、立ち止まる。光の中心から現れたのは、一人の女性だった。豪華絢爛な純白のドレスに身を包み、黄金の髪が光を反射して輝いている。その姿は、現実離れした美しさを放っていた。
彼女はふらつきながら一歩を踏み出すと、膝をつき、静かに地面に倒れ込んだ。
アリシアは微かに目を開け、薄紅色の花びらが風に流れるのをぼんやりと見つめた。胸の奥に残る魔力の余韻が彼女を苛み、体は重く、全身がしびれているようだった。
「……ここはどこ?」
自分が何をしていたのか、どうしてここにいるのか。思考がまだ混乱している。最後に覚えているのは、処刑場で発動した未知の魔法の光景。そして、気が付けばこの奇妙な世界に放り出されていた。
目を動かし、周囲の風景を確認する。整然とした並木道と、その間に設置された遊具。見たこともない形状のベンチやゴミ箱、そして周囲を囲む巨大な建物群。どこか不気味なまでに整ったこの場所は、彼女の知る帝国のものではない。
そのとき、耳に入る声。
「ねえ、あの人、死んでるんじゃない?」
「違うよ、ただのコスプレだろ?でも、本物っぽいな……」
何人かの人々が立ち止まり、こちらを見つめている。彼らの服装も見たことがない。あまりにも簡素で、装飾の欠片もない。しかし、その目に映るのは紛れもなく人間のものだ。
「……私を見ている?」
思わず小さく呟く。視線を集めることは彼女にとって珍しいことではなかった。皇族としての威厳を持ち、常に人々の目に晒されてきた。だが、この視線には畏敬も礼儀もなく、ただの好奇心と困惑が浮かんでいた。
さらに近づいてくる足音に、アリシアはわずかに身構えた。
「お姉さん、大丈夫?」
声をかけてきたのは、五歳くらいの小さな子どもだった。小さな手には、彼女が見たこともない飲み物が握られている。緑色のラベルのついた透明な瓶——それは炭酸飲料だと、彼女は知る由もない。
「……私に何の用だ?」
思わずそう返したが、その声は弱々しく、かつての威厳を感じさせるものではなかった。子どもは首をかしげる。
「お姫様?」
その言葉に、彼女は瞠目した。一瞬、故郷のことが脳裏をよぎる。処刑される直前まで、彼女は確かに「姫」として生きていた。しかし、今の自分は……。
「……違う。私はただ……」
言葉が続かない。自分の立場を説明する必要があるのか、それとも無意味なのかも判断できない。混乱する頭を抱えながら、視線を下げる。
すると、再び空気がざわめく。今度は遠巻きにしていた大人たちが騒ぎ出している。
「警察に通報したほうがいいんじゃないか?」
「いや、まず救急車だろ。顔色悪いし、倒れてるし……」
彼らの言葉の意味が完全に理解できるわけではなかったが、アリシアはその視線が次第に刺々しくなっていくのを感じ取った。威圧ではない。ただ、無理解から来る好奇心と不安。それが混ざり合い、彼女に突き刺さる。
「ここでは目立ちすぎる……」
自然とそう考えた。冷静に判断しなければならない。この場を離れることが最善だと、直感が告げている。
アリシアは重い体を無理やり動かし、立ち上がった。だが、足に力が入らず、よろめいてしまう。近くのベンチに手をつき、ようやく姿勢を整えると、周囲の視線を一瞥する。
「……私に構わないで。これ以上詮索すると、後悔するわよ」
かつて皇女として人を従わせていたその声音を取り戻し、強気な言葉を口にした。しかし、相手の反応は予想とは異なっていた。
「後悔って……おい、本当に何者だ?」
「コスプレの人じゃないのか?」
どこか噛み合わない。彼女は眉間に皺を寄せた。帝国ならばその一言で全てを終わらせられたはずだ。しかし、この場所では通用しない。
ふと、風が吹き、桜の花びらが再び舞い散る。その一片がアリシアの髪に触れ、頬を撫でた。
彼女は目を細め、再び空を見上げる。この空は、故郷のそれとは似て非なるものだ。だが、同時にどこか懐かしい安らぎを感じさせる。
「……逃げなければならない。だが、どこへ?」
そのとき、遠くから聞こえたのは、微かに響く金属音。車のエンジン音であることを、彼女が知るのはまだ先のことだ。声を潜め、彼女は影へと身を隠そうと歩み出す。
薄紅色の舞い散る桜の中、豪華なドレスの姫が異界に放り出される。物語はここから大きく動き始めるのだった。
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