第2話

「おめでとう」


 中学入学を祝ってくれた烏頭うずさんは、出会って三年が経ったのに、まったく変わっていない。


 出会ったときと同じく、控えめな笑みをたたえ、神社の清掃を続けていた。


 そんな烏頭狐花うずこはなという女性を、僕はその神社でしか見たことがなかった。


「烏頭さんは、どこに住んでるんですか」


「この近くだよ」


 烏頭さんが空を見上げた。


 つられて見上げた空は、ビルに囲まれていて狭苦しい。


 この近くってどこなんだろう。


 遠い目をして顔を上げている烏頭さんに、僕は聞けなかった。相手が綺麗なおねえさんで、意識してるって思われたくなかったんだ。


「それより」


 烏頭さんは、顔を上げる。その時にはもう、僕は烏頭さんよりも大きくなってたんだ。


「彼女の一つでもできたのかしら」


「えっと、それは……」


 ぜんぜん、まったく、さっぱり。


 ただ、そんなこと言えない。言えるわけがない、まだまだ見栄を張りたいお年頃だったんだから。


 烏頭さんが口元に手を当てクスクス笑う。


 顔が熱くなってきた。はずかしさが体中からほとばしって、僕を駆り立てた。


 それで、何事かを口走ったんだ。


 でも、それがなんだったか。いまいち覚えていない。


 めちゃくちゃ重要なことだった気がするんだけど、開くためのカギを忘れたみたいに思いだせない。


 ただ、烏頭さんが目を見開いて驚いていたのだけは、今でもはっきり覚えている。






 中学三年の秋のころになると、さすがに烏頭さんとあの神社のことが気になっていて、色々と調べまわっていた。


 けど、何もわからない。そもそもあの神社がどこにあるのかさえ知らないんだ。名前の一つでもわかってたら調べようはあったんだけども、それすらわからないし。


 そこでおばあちゃんの出番だ。何でも知ってるし――確かおばあちゃんはこの町で生まれ、育ったんじゃなかったか。


 だったら、あの神社のことも知ってるのかも。


 藁にもすがる思いで――同時に知らないだろうなあ、と思いつつ、僕はおばあちゃんに聞いてみたんだ。


 いつもニコニコのおばあちゃんが顔を険しくさせて、


「どこでその話を」


 と、かすれた声で訊ねてくる。


 はじめて見るおばあちゃんの姿に、背筋に冷たいものが走った。

 

 聞いちゃいけないことだったんだろうか。


 怒られるかもしれなかったけれど、事情を打ちあけることにした。


 そこで出会ったおねえさんについては伏せて。


 僕が話しおえると、黙って聞いていたおばあちちゃんが大きくため息をついた。


「その神社のことなら、よく知っておる」


「ホント?」


 おばあちゃんが重々しくうなづく。


「その○×神社は、わしらが子どものころからあった稲荷神社なのじゃよ」


 稲荷神社……確か狐の神様がまつられてる神社だ。


「その神社では、昔から豊作を祈願した祭りが執り行われておった」


「そうなの?」


 夕暮れが似合うあの神社は、祭りができるほど大きなものじゃなかった。それどころか、取り囲むビルのせいで、小さく見えたくらいだ。


「わたしや連れが子どもの頃はじゃな、あの神社もたいそう大きくてな。町の人間が集まってもまだまだ余裕があったもんじゃ」


 そう言ってお茶をすするおばあちゃんは、遠い目をしていた。烏頭さんが時折見せる、あのしぐさに似ていた。


「だがな、時代が経るにつれ、神様なんてという声が多くなった。……ほら近頃は神様を信じないそうではないか」


 僕は小さく頷く。僕だって完全に信じてるってわけじゃない。でも、信じてないってわけでもなかったけれど。


 少なくとも、烏頭さんには神様みたいなところがある。どこかこの世界とは別の場所にいる……そんな雰囲気が烏頭さんにはある気がしたんだ。


「それで、徐々に信仰を失っていった。いつの間にか、消えてしまったんじゃ」


「そっか……」


 沈黙がおばあちゃんの部屋に広がっていく。


 おばあちゃんがれてくれたお茶を飲んでみると、苦かった。


「お前、もしかして、その神社に行ったことがあるのじゃないか」


 湯呑ゆのみの中に映る、辛気しんきくさい面を見つめていた僕は、思わず顔を上げた。


 おばあちゃんが、僕をじっと見つめていた。


 その顔は真剣だった。


「もしそうなら、二度と行くな。その神様は嫉妬しっと深いのじゃから」






 そんな意味深な言葉を残したおばあちゃんは、亡くなってしまった。


 あれ以来、おばあちゃんに神社のことを聞かなかったのが悔やまれた。あの神社が何をし、どんな稲荷神社だったのか知りたかった。


 しかし、おばあちゃんが亡くなってしまった以上、もう叶わない。


 いや、一つだけ方法はある。






 僕の問いに、烏頭さんはゆるゆると首を振った。


「ごめんね。なにも知らないんだよ」


 僕は初七日が終わってすぐ、神社を訪れた。


 久しぶりだったけれども、烏頭さんは僕を出迎えてくれた。「おばあちゃんが亡くなられたのに来ちゃダメだよ」ってしかられはしたけれども、それ以上怒られることはなかった。


 一通り、世間話をして、僕は質問したんだ。


 この神社のことを。


 おばあちゃんが言っていたことが正しいのかを。


 そしたら、さっきの答えがやってきた。


「そうですか」


 烏頭さんがわずかに顔を背けて頷いた。夕陽に照らされたその横顔はいつにも増して沈んでいるようにも見えたけれど、どうしてだか、わからなかった。


「おばあちゃんは、なんて言われてた?」


 僕は、なんと言おうか迷ってしまった。言いたいことはたくさんあるけど、烏頭さんがこの神社のことを大切にしているのはわかる。あんまりマイナスなことは言いたくなかった。


 神様が嫉妬深い――なんて、烏頭さんに言ってるみたいで、口にはできなかった。


「昔は……大きな神社だったって」


 烏頭さんは、つま先をくっつけたり離したりしていた。


「うん、そうだね。そうだったって聞いてるよ」


「もしかして、烏頭さんは、ずっと――」


「私が生まれてからかな。この神社にいるよ?」


 そう言った烏頭さんは、いつもよりもずっとさびしげに笑った。


 その表情の意味も理由も、わかりはしなかった。


 わかったならば、おばあちゃんの言葉の意味だって理解できただろうに。

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