旅立ちの人魚姫と孤独な魔法使い

雪月すず猫

第1話

人魚姫M:海の中は、とても落ち着く。深い海の底は、いつも穏やかに私を包んで、まるで、母の腕の中にいるかのような包容感で、とても安心するのだ。

人魚姫M:

魔法使いM:―――私が、世界の最果てで、賢者として、世界を見張る役目に就いてどのくらいの歳月が流れているのだろう。私は、ただ、ただ、人の世を、営みを見張る為だけの傍観者…。

魔法使いM:

魔法使いM:老いることも、他の者と交わることもなく、ただ、独り『此処』で傍観しているだけ…。

人魚姫M:

人魚姫M:人間達が、嵐の中、海を命懸けで渡ろうと、海の底は穏やかなのだ。このまま、魚達と戯れ、海の底で、穏やかな一生を過ごすのだと思っていた。

魔法使いM:

魔法使いM:人間達が、他の生きとし生けるものが様々な冒険や、成長、堕落(だらく)をしているのを見守る一生を繰り返すだけだと思っていた。

人魚姫M:

人魚姫M:地上になど、まるで興味もなく、生きていくのだと思っていた。

魔法使いM:

魔法使いM:諦めのため息を吐きながらも、私を気にかける小さき花や妖精達に安心させる為の笑みを浮かべて、このまま、死ぬまでこの地に縛りつけられるものだと思っていた。

人魚姫M:

人魚姫M:けれど、いつしか、地上に出たいと願うようになっていた…。

魔法使いM:

魔法使いM:けれど、手慰みに歌を歌い出した頃から、私は美しい、この世の全ての美しさを集めたかのような、純粋で無垢な優しい魂の気配を感じて、『此処』から出たいと、願うようになってしまっていた…。

人魚姫M:

人魚姫M:それは―――優しくて聴いた事がない、『歌』が聴こえるようになってから―――、私は地上に興味を持ち始めた。

人魚姫M:

魔法使いM:私はこの世を映す鏡である湖面の上で、悲しいものを見れば悲しく、優しいものを見れば、優しい歌を歌うことにした。あの、自分を惹き付けてやまない存在が耳を傾けてくれていると思うと、愛しい、と想う心がじわりと溢れて声に滲み出る。

魔法使いM:愛しい、愛しい…。貴女は気づいているだろうか?私の恋心を―――。

魔法使いM:

人魚姫M:甘く、まっすぐ、芯のある、美しい優しく柔らかい歌声。

魔法使いM:気づいて(台詞風に)

人魚姫M:

人魚姫M:声の主は誰だろう?少なくとも、海の民ではない。

魔法使いM:私は貴女を誰よりも求めている。

魔法使いM:

魔法使いM:旋律は、私の想いと魔力を彼女へと乗せて伝えていく。

人魚姫M:

人魚姫M:海底(うみぞこ)にいる私には聴こえる筈もない歌声。

魔法使いM:彼女を絡めとる歌は、呪いか祝福か。彼女次第。

魔法使いM:それでも私は容赦なく募る想いを歌に乗せる。

人魚姫M:

人魚姫M:他の海の民に聞いても、聞こえないと、皆答える。

魔法使いM:

魔法使いM:貴女の傍にいたい、抱きしめたい、この地を離れられない、己(おのれ)がのろわしい。

人魚姫M:

人魚姫M:何故、私にだけ聴こえるのだろうか?

人魚姫M:

魔法使いM:私は貴女だけが良い、私の全てを貴女に捧げましょう。

魔法使いM:

人魚姫M:最初のうちは、その優しい歌声に、安心感を覚え、うっとりとしながら聴き入った。

魔法使いM:

魔法使いM:歌を持って、貴女を抱きしめよう。

人魚姫M:

人魚姫M:その歌声に潜(ひそ)む、愛情深い情熱ささえ、心地よく酔いしれた。

魔法使いM:

魔法使いM:貴女の幸せを想うと、私のしている事に自信がなくなります。切ないジレンマ。

人魚姫M:

人魚姫M:しかし、歌は次第に色を変えていく。

人魚姫M:

魔法使いM:今の私には貴女に歌を捧げることしかできない。愛しい、愛しい、逢いたい…。

魔法使いM:

人魚姫M:歌が楽しいと言わんばかりの歌声から、甘く切なく誰かを探し求めるような、歌声に変わっていく。

魔法使いM:

魔法使いM:愛おしくて、早く触れたいと、願ってしまった。

人魚姫M:

人魚姫M:―――心臓が、鷲掴みされ、心が踊った。

人魚姫M:

人魚姫M:これは、恋の歌だ。

人魚姫M:

人魚姫M:「―――もう、耐えられない。貴方に逢いたい!」

人魚姫M:

人魚姫M:「貴方に一瞬だけでも、逢えるなら私は死んでも良い」

人魚姫M:「逢いたい、会いたい」

人魚姫M:

人魚姫M:切なくひりついた心のままに呟く。

人魚姫M:

魔法使いM:貴女の呟きに歓喜した…。そして、震える小さな肩を抱きしめたくなった。

魔法使いM:

人魚姫M:歌声は変わりなく優しい、けれど、歌声も私の心と同じく切なさを増していく。

人魚姫M:

魔法使いM:今日は、小さき我が友が死んだ…。人間達には、ただのカエルにしか、見えない彼だが、私は、彼の楽しそうなさえずりが好きだった。

魔法使いM:賢者だとか言っても、天寿には勝てない。貴女の存在が感じ取れなくなったら、私はどうしたら良いのだろう。言いしれない不安に襲われ悲しくなった。

人魚姫M:

人魚姫M:そして、彼(か)の人の歌声がとても悲しく聴こえたその日、私は髪を切ってみることにした。

魔法使いM:

魔法使いM:彼女は…、本当に心が優しく澄んでいる…。髪を切ろうとする彼女を、ただ呆然と湖面の鏡から眺める。

魔法使いM:―――涙が零れ落ちた。数千年も泣けなかった私が、彼女の仕草、表情、行動に魅せられて泣いた。

人魚姫M:

人魚姫M:彼(か)の人の歌に恋に破れた女性が、髪を切る歌詞があった。

人魚姫M:

人魚姫M:私はただただ、彼(か)の人の心が安らぐように、お祈り代わりの、髪を捧げることをしたかっただけ。

人魚姫M:

人魚姫M:そう―――それが、ただの誰にも届かない自己満足であろうと、あの悲しい、痛ましい歌声に何かしたかったのだ。

人魚姫M:

人魚姫M:私はナイフを手にとり、長い長い淡い金色の自慢の髪を胸の所まで切った。

人魚姫M:

人魚姫M:歌が聴こえた日から、栗色だった髪が美しい眩い、蜂蜜色の髪に、変わっていた、その髪を躊躇いなく切った。

人魚姫M:

人魚姫M:淡く優しい金色の髪がきらきらと己を包むように輝いてまとわりつき、そのまばゆさに目が眩(くら)み、私の意識は遠のいた。

人魚姫M:

人魚姫M:無意識の中、私は呟く。安堵のため息と、共に。

人魚姫M:

人魚姫M:「あの人が癒されますように」

魔法使いM:

魔法使いM:癒されたよ―――、貴女に逢える希望が見えて、私は、ただただ、涙を零すばかり。

人魚姫M:

人魚姫M:夢を、見た。優しく美しく、幸せな夢だった。

人魚姫M:とびきり美しい優し気な眼差しをくれる男性と、地上の美しい珊瑚のような植物に囲まれ、二人寄り添いながら穏やかに幸せそうに己は頬を薔薇色に染め、微笑み合う姿を。

魔法使いM:

魔法使いM:彼女が目覚めたら、せめて地上で、苦しい思いをしないように―――。

魔法使いM:彼女の思いや信条が貫けるようささやかな加護を与えた。

人魚姫M:

人魚姫M:目が覚めたら、陸に上がっていた。長い尾ひれはなく、伝え聞いていた人間の足が二本すらりと生えていた。

人魚姫M:

人魚姫M:衣装も誰かが自分用にあつらえたかのようにぴったりと体のラインに合った白のワンピースを着ていた。

魔法使いM:自分の魔力が篭められた彼女の髪を、ワンピースと、足に変えた。

魔法使いM:彼女は…人間になったと思っているかもしれないが、なんら性質は変わっていない。

魔法使いM:ただ、世界に私の伴侶と認識されただけ。

魔法使いM:彼女は怒るだろうか?会いもしていない男と伴侶だなんて。

魔法使いM:嫌われたくない…と吐息する、己とは違い、彼女は生き生きと目を輝かせる。

魔法使いM:愛しくて仕方がない。

人魚姫M:これで、彼(か)の人に会える、と。胸を躍らせた。

人魚姫M:

人魚姫M:私は町に出て、様々な人間と出会った。

人魚姫M:彼(か)の人の事を夢物語だと笑い飛ばす人間、必ず会えると、応援してくれる人間、それぞれに恋に想いを抱え、考えを持つ人間達に出会った。

魔法使いM:

魔法使いM:私は、世界の出来事を魔法で記しながら、彼女の冒険と成長に感嘆する。

彼女は泣いたり笑ったり、忙しそうだが活き活きしていて、更に魅力を増し、美しくなっていく。

人魚姫M:

人魚姫M:人間は、働く生き物で、私も彼(か)の人に出会う為に色んな所で、働き、色々な所へ旅に出て、彼(か)の人を探した。人間になっても、不思議と私は歳をとることなく、百年の歳月が経った。

魔法使いM:

魔法使いM:百年の歳月、彼女を待ち焦がれ、そして歌で愛を伝え続けた。

人魚姫M:

人魚姫M:歌声は、ずっと、その間も聴こえて、常に私を癒し、支えになった。時には切なく、涙することさえ、あった。

魔法使いM:

魔法使いM:彼女の癒しに少しでもなれば良い。

魔法使いM:

魔法使いM:そして―――時は来た。

人魚姫M:

人魚姫M:そして―――最後の最後の賭けで、私はけして入ってはいけないとされる、世界の最果てと言われる、人居らずの森へと足を踏み入れた。

人魚姫M:

招かざるものには永遠の迷宮とされる森へ―――。

人魚姫M:

人魚姫M:迷うことも覚悟の上で入ったが、私はすんなりと、いつぞやかに見た…美しい珊瑚、いや、色とりどりの花が咲き乱れ、湖の上に立って、歌を歌う彼(か)の人を見つけた。

人魚姫M:夢に見たその人だった。私はそっと近づく、彼(か)の人も気づいて、ゆっくり、湖面からほとりにいる私に近づく。不思議な現象など、彼(か)の人に出逢えた奇跡に比べたら、些細なこと。

魔法使いM:

魔法使いM:彼女が、世界の最果てに辿り着いた瞬間、―――カチッと世界から音が鳴るのをどこかで感じていた。私をこの最果ての地に縛り付けていた枷が外れるのを感じた。

魔法使いM:

人魚姫M:「初めまして、愛しています」

人魚姫M:

人魚姫M:私の目からは涙がとめどなく溢れて彼(か)の人の美しい顔(かんばせ)が滲んで見えたが、彼(か)の人が優しく微笑む気配を感じた。

魔法使いM:私を孤独から解放して、柔らかな心を捧げてくれる彼女に、そっと優しく、歓喜に震えた小さな肩を抱き寄せ、あやすように、背中を撫でた。

人魚姫M:

人魚姫M:彼(か)の人は、私を優しくそっと抱きしめて言った。

魔法使いM:

魔法使いM:「ずっと待っていたよ、愛してる。そして私はずっと傍に貴女といたい、泡とならないでください、私の姫」

人魚姫M:私は…くしゃりと笑みにならない笑みを浮かべた。人間と恋をしたら泡となって死んでしまう覚悟をあなたは見透かして、いたのですね。

人魚姫M:―――ずっと貴方と一緒にいて、良いのですね、泡にならなくて良いのですね。

人魚姫M:

人魚姫M:「私はただただ、貴女を愛してます。ずっと添い遂げたいです。色んな物や色んな所に行って一緒に世界を楽しみたいです!」

人魚姫M:

魔法使いM:「貴方が望むのであれば、どこへでも!」

魔法使いM:人生で初めてこんなに声を弾ませて答えかもしれない。

魔法使いM:私は完全に私を縛り続けた賢者の足枷が消え去ったのを感じた。

魔法使いM:

魔法使いM:この後すぐに、後継の最果ての賢者が、訪れ、私は自由の身になった。

魔法使いM:

魔法使いM:私は彼女と一緒に様々な旅をし、そして花咲き乱れる家で彼女と婚姻し、生涯を共にした。

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