36

 家を出ると、思ったより明るかった。

 月明かりはあれど、月自体は見当たらなず、夜の深さを感じて不安になる。


「……どこに行ったんだ」


 俺もユリのことを言えないかもしれない。

 勢いで飛び出てきたのもあり、全くユリが行きそうな場所が検討がつかない。

 もっと色んな話をすれば良かった。


 そんな後悔がぐるぐると頭の中で回る。


 朝食や夕食を一緒にすることはあったけれど、俺の学生生活や将来の不安だったり、俺自身のことばかり話していた。話していたと言っても、ユリに聞かれたから答える、と言うような受け身の会話だった。

 俺からの質問だって、自分に関したことについてがほとんどで、ついでにユリのことを聞いたかもしれない。そんな程度だ。そんな中、あることに気づいて足が止まった。


 俺は、ユリが会社でどんな仕事をしているのか、仕事終わりはどうしているのか、職場やプライベートで仲の良い人いるのか……何も知らない。

 もちろん、ユリが過去を言いたがらなかったり、ごまかすところはあったが、仕事についてはどうだろうか? アユカに聞かれた時だって、何の抵抗もなく答えていた。きっと俺が質問していても答えていただろう。

 俺は実家のように干渉されないことが心地よくて、また干渉しないことを良しとしていた。

 果たしてユリはどうだったのだろうか?


「っぐし!」


 泥沼に沈んでいく思考が思わず出たくしゃみで現実に戻る。

 初夏とは言えない春の名残を感じる夜風は冷えた体には涼しく肌寒く感じた。風呂上がりだったユリはもっと肌寒いだろう。


 言いたいことは山ほどある。

 だけど、それは、怒りも謝罪もある。

 ちぐはぐだけどそれが俺で、ユリもきっとそうだと思う。

 思考にちらつくのは、泣きそうな顔をしたユリ、そして、震えた声が反響する。


 ……寝静まったこの街のどこかに、ひとり、後悔して彷徨さまよっているユリ。


 見つけ出して、俺たちは、話し合わなければいけない。

 知らなければならない。

 面倒だからとか、そう言う逃げは”ナシ”だ。

 そうしないと俺たちはいつまでたっても”ちぐはぐ”だらけの関係のまま。

 そんな関係も”アリ”かもしれない。

 だけど俺は、そんな関係は”イヤ”だと思う。

 イヤな理由、明確なものも言葉も浮かばないけれど、ユリとそんなのはイヤだ、と言うのだけはハッキリと心に浮かぶんだ。


「ょし!!」


 頬を両手で叩き、気合いを入れる。

 ピリっとした痛みと、じんわりとした痛み、頬、それぞれの痛みの差に苦笑いしてしまう。


 ーーさて、見つけるか。


 腹が決まれば心なしか身体が軽くなる。

 携帯もなく、着の身着のままのユリが大移動ができるわけがない。

 止まっていた足は、再び、動き出す。

 駅や駅前の広場、近くにある広場も見た。

 どこにもユリの姿を見つけることはできなかった。

 そもそも駅は終電を終えており、シャッターが降りていたし、駅前もタクシーを待つ人や夜を明かすであろう人がポツリポツリと点在している人目が気になる。


 もし、俺だったら……と考えても、この場に留まることはしないだろう。

 ならば……と広場に向かって見たが、人気ひとけはないものの、薄暗く不穏な空気が漂っていて長時間いることは困難にも思えた。

 俺が覚えている、知っているのは、幼かった日々を過ごした”ご近所のお姉さん”だった頃のユリ。

 頼りになる情報はこれしかない。

 変わっていても、変わっていないと信じていたい。

 あの頃のままがユリに残っているならば……?

 子供のように遊びながら、時には年上らしく頼れる存在だった。

 でも、本当は子供ぽっくて、臆病なところもあって、それを隠すための強がりをするのが、ご近所のお姉さんで同居人のユリ。


「もしかして……」


 過去と現在がミックスされた情報が頭の中でカチリと合わさる。



 どこか古めかしさを残す街に現れた近代的な建築物。

 深夜にも関わらず、周囲は煌々こうこうとライトが輝いていているのに、人の気配がまったく感じられず、しんとしている。それは一層、冷たさを感じさせるには十分であった。

 こんなにも温もりを感じる光に溢れているのに、すごく……寒くて、寂しい。


 色々な考えた結果ここにいると思ったけど、正直、直感に近いところもある……本当にここにいるのだろうか?

 ここは最近、駅前開発によってできた他大学の分校キャンパス。

 通りからすぐに目に入るのは壁一面のガラス張りになっており、中の様子がよく見える。その中にカフェテリアのスペースもみえ、日中は多くの学生が集まっていることがすぐに想像がつく、けれど、この時間はまるで人そのものが忽然こつぜんと消えてしまったように見えて……現実に存在しているのだけど、明かりで区切られた別世界のようにも感じた。

 そのことがさらに自分の足を進めてきた結論を、自信を、揺らし、削っていく。


「ちっ……」

 思わず舌打ちをする。


 次から次へと浮かぶ悪い考えを頭から追い出すように、頭を左右に振りかぶった。

 ここがダメなら、違うところを探すだけだ。

 探す前から、なにヘタレってんだよ!


 ーーありがとぅ、良ちゃん

 ーー1つを1人で食べるより、1つを2人で半分こした方が、美味しい気持ちも半分こできてイイよね。

 ーーそうそれっ!それが楽しいの!っていうか、嬉しい!の方が濃いかなぁ


 振り払ってできた脳内スペースに湧き上がるように出てきたユリの記憶は再会してからが多いけど、それだけじゃない。


 ーーそ、それ以上っち、近づいちゃダメだかっらっ

 ーーりょ、りょうちゃんをっいじめるなんてダメっ


 唸る大型犬と幼い頃の俺との間に立ちふさがったユリは小さくて大きかった。

 でもよく見ると震えていて、声なんかは今にも泣き出しそうなくらいに裏返っていた。


「ふっ」


 詰めていた息が溢れたのか、笑いが漏れたのか、どっちが先かなんて、どっちの感情が先かもわからない。

 でも、これだけは言える、笑えるなら…俺のスペースに余裕はまだある。


「……臆病で強がりな、手のかかるお姉さんを迎えに行かなきゃな」


 本人に言ったら、顔を赤くしながら否定しそうだ。

 自然と口元が緩む。

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