32 バイト


 右往左往に動く人影。

 携帯を片手に指示を出す人、大きなダンボールを二人がかりで運ぶ人たち。

 聞こえるはずのざわつきが聞こえない。音が何もない。

 目の前の光景は無声映画のようにくるくると変わる。


「うーーりょーー良っ」


 瞬間、視界を覆いつくす宇汐の顔。驚いて思わず仰け反った。


「きゅ、急に、なんだよっ!?」


 宇汐はそんな俺の行動に首を傾げる。


「急にって、何度も呼んだんだよー?」

「そ、それはわりぃ」

「んーん。気にしなくていいよ。イベントスタッフって地味に体力使うからねー、それに良はバイト慣れてないから疲れてぼーっとしちゃうのも仕方ないよ」


 そう、ぼんやりしてしまった俺を注意することなく、むしろ労わるように肩を軽く叩く。

 この雰囲気が宇汐を年上おとなに見せてしまう所以なのかもしれない。


「サンキュ……」


 反対にその宇汐と同い年ながら、頼りにならない自分自身が少し情けなく思ってしまった。


 ーーあゆかのライブから数日後、俺は宇汐に紹介されたバイト先にきていた。


「どう? 休憩もらう??」


 俺がボーッとして反応しなかったのは、疲れているとか不調なんじゃないか、と気遣ってくれてくれている宇汐にありがたいと感じながらも、薄暗い自分の気持ちが湧き上がってきていた。


「……別に。たまたまだし」


 少しバツが悪くて、そっけなく答えてしまった。

 すぐに、俺はなんて感じの悪いやつなんだろうと、思い返して自己嫌悪になる。自分で吐いた言葉のくせに……その言葉に、対応に、自分が自分で許せない。

 でも、どう返せばいいのか分からなくて、何も言えずにやり過ごす。 


「そっか。それなら良かったよー」


 そんな俺の態度に気を悪くすることなく、どこか忙しなくざわつく場内と反対に緩やかな空気をかもし出す宇汐。その空気に少し気持ちが助けられた。


 ーー子供の頃、大学生は大人だと思っていた。落ち着いて、賢くて、そんな大人になるんだと思っていた。でも変わったのは見た目だけで、中身は何にも大人じゃなかった。


 俺は、その優しさに甘えている。


「じゃあ、一応。開場する前に、もう一回、確認しよっかー?」


 宇汐が斜めがけにしたシザーバッグから取り出したのは、この会場で顔合わせをした時に配られたイベントのスケジュールが書かれた紙。縦長に惹かれた長方形の横に数字が書いてあり、それに合わせてスタッフの行動が書かれている。開場してからのスケジュールは細くなる。横線が引かれ、マス目になったそこには出演者の名前やMCトークなど書かれていて、配られてはじめて見た時には、正直「なんだこれ」だった。


「えっと、スケジュールの確認、で合ってるか?」


 慌てて、宇汐から借りたショルダーバッグから折りたたんでいたスケジュール表を出した。


「そうそう。これは、タイムスケジュールって言って、誰が何分からステージとか、どれくらい調整の時間があるとかがわかる紙なんだよ。最初の顔合わせの時に、みんな紙を見ながら確認してたでしょ?」


 宇汐に言われ、手元の紙を見直すと”調整”と書かれている項目が確かにあった。言葉そのままの意味だったらしい。

 俺が少し理解しはじめたことを確認しつつ、宇汐は指先で時間の書かれた場所を示しながら説明を続ける。


「この流れを頭に入っていると、どれくらいの時間経過してる、とか、トラブルがあった時とか対応しやすいんだよ。

 何にも知らないで、しかも、自分にこれ必要なのか、何に使うんだって、色々思ったかもしれないけど、そういう意味。

 だから小鳥遊の仕事と照らし合わせてみるとわかりやすいと思うんだよねー」

「へー。そう言うんもんなのか」

「そうそう。小さい会場だったり、パフォーマンスだけ、とかだと、こんなシッカリしたタイムスケジュールどころか、むしろ無いことが多いんだ。

 ほら、あゆかのライブに行ったでしょ? あれは少数で動かしているから多分、配布用のスケジュールとか作成していないと思うよ」


 確かにこの前見たとき、スタッフは5人も満たなく、それぞれが兼務しているようだった。


「今回は、会場もそこそこ大きいし、合間合間で休憩がてらのトークとかあるから、こう言うのが頭に入ってないと裏方は結構大変なんだよー」


 宇汐は、最初は力仕事という開場セティング、そしてはじまれば、体力と気力勝負の長丁場なんだよ、と困ったように笑った。


「なる、ほど……」


 顔合わせの時に配られて、サラッと読み上げされたスケジュールがそれなりに重要なことであったことに驚いた。何より、身内感の強いベンントだと聞いてたし、気軽な気持ちだったけど、しっかりしてると言うか……仕事であった。

 もちろん、遊びだとは思っていないし、忘れていたわけじゃない。バイトで来ているけど、バイトも仕事なんだと当たり前のことを突きつけられて尻込みしてしまった自分がいた。


「ーーまぁ。大丈夫だよ。会場の大きさに関係なく、しっかりやりたいって人が企画してるからさ、仰々ぎょうぎょうしいけど、よほどのヘマしなきゃ、対応できるスタッフばかりだから」


 もしかしたら俺の顔は強張っていたのかもしれない。

 宇汐は俺の肩を軽く叩くと、タイムスケジュールと合わせながら、今回の仕事を一つ一つ確認していった。

 初めてのアルバイト、関わったことのない内容。それを理解した上で、宇汐の説明は丁寧だったし、噛み砕いて説明してくれたから、なんとなく流れと自分の仕事が繋げることができた。


「……うん。さっきよりは理解できたと思う」

「それなら良かったー。まぁ、なんか対応に困ったらすぐ連絡して」


 首からぶら下げた携帯ポーチをみせた。


「了解」


 イベントスタッフがはじめての俺に割り振られた仕事は受付と会場警備と分かりやすいものだった。

 受付はチケットをもぎるだけだし、会場警備は関係者などが出入りする場所の近くなので、お客様対応がほぼないような配置らしい。宇汐も基本は同じような流れらしいけど、状況によって、アテンドと言う出演者などの声かけや案内などをするらしい。


「なんか、イベントスタッフって色々大変なんだな……」


 ため息のように吐いた言葉に

「あはは。色々気遣わなきゃいけないことがあるし、立ちっぱなしだし、長時間拘束だからキツイ人はキツイ仕事だよねー」  

 宇汐は苦笑を漏らした。


 ライブは、予定時刻より早くはじまった。


 入り口に立つと、すでに多くの人が並んでいて、外にいるスタッフのかけ声で整列されたあと開場となった。テレビで見るマラソンのスタートのように一気になだれ込む人の波。最初はその勢いに戸惑ったもののコツを掴んできた。


「こちらも空いてますよー」


 受付の作業は慣れれば流れ作業で、掛け声ができるぐらいには心のゆとりがでてきた。

 ただ、やっぱり宇汐の言っていた通り立ちっぱなしで、1時間も満たない時間だったはずなのに足が棒のように突っ張ってしまった。そうして人の流れが落ち着いてきて頃、声をかけられ、スタッフの休憩室へと戻った。休憩室では感覚が鈍くなった脚を揉んだり、屈伸したりして感覚を取り戻すよう動いていると影が落ちてきた。


「まぁ、そうなるよねー」


 同じく休憩スペースに来ていた宇汐がふっと笑いを漏らした。


「俺も最初の頃はよくそうやって揉んだり、屈伸したりしてた……懐かしいなー」


 そう言いながらも肩を軽く回すだけで、他の動作はない。


「今はどうなんだ?」

「さすがに慣れたよ。って言っても、昔よりやることが増えて、立ちっぱなしより動き回ることの方が多いからそういう状態が少ないってのもあるかもー」


 今は開演前の小休憩時間。交代制にはなっているけれど受付含む人の出入りがある箇所には最低1人は必ずいるようになっている。

 ただ、会場周りの警備や業務は、はじまったら終わりまで離れることができないので、担当する人はその前に水分補給やトイレなどをするための貴重な時間。なので、休憩時間であるが人の流れは忙しない。


 俺はここでは新米のヒヨコちゃんで、さらに身内ってこともあり、お言葉に甘えて小休憩を取らせてもらっている。

 こうしてバイトをしてあらためて、イベントスタッフは大変さをしみじみと感じた。

 確かに、地味にきついと言えてしまうイベントスタッフの人手不足感もわかるような気がしたし、それと共に疑問も生まれた。


 俺にとっては素朴な疑問だったし、理由がわからなかった。


 その疑問の相手、タイムテーブルをチェックしている宇汐にその気持ちを投げかけた。

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