第12話 崩壊する日常

 廊下に重い空気が漂う中、武田が静かに口を開いた。


「……全部、聞いてたよ。」


 その一言が、まるで刃物のように胸を抉る。武田の声は落ち着いているようで、その奥には怒りと失望が滲んでいた。


「真白が、お前のこと好きだったのも……わかってた。」


 その言葉に息が詰まる。武田は少し俯きながら、低い声で続けた。


「真白が、お前を見る時の目……俺があいつを見てる時とは全然違ったんだよ。」



「俺だって、あの視線が何を意味してるかぐらい……わかるんだ。」


 武田の声には静かな怒りが宿っていた。


「でもお前は……全然気づかなかったな。」


 その言葉に胸が締め付けられる。武田の表情を直視できないまま、僕は俯いた。


「真白がどんな気持ちで、お前を見てたのか……どうしてわからなかったんだよ。」



「気づいてやれよ……。いや、気づけよ……!」


 武田が自分を抑え込むように拳を強く握りしめた。その震える手が、彼の感情を物語っていた。



「俺……わかってたんだよ。」


 武田は少し息を吐き、瞳を閉じる。その言葉が、彼自身を傷つけているように見えた。


「お前には……わからなかっただろうな。でも俺には、全部見えてた。」


 彼の声が徐々に低くなる。その静けさが、逆に僕の胸を締め付けた。


「それが、腹立たしかったんだよ。」


 彼の視線が、鋭いナイフのように僕を貫く。


「お前が鈍感なのも、自分のことしか考えてないのも……全部な。」



「でも……俺だって、わかってたよ。」


 武田は一瞬、空を見上げるように視線をそらした。そして、その言葉を噛み締めるように呟いた。


「真白はお前を見てた。俺のことなんかじゃなくて、ずっとお前を。」


 その声には、嫉妬と諦めが混ざり合っているように聞こえた。


「だから、俺は……負けてたんだよ。最初からな。」




 僕は何も言えなかった。胸の奥で何かが崩れていく音がした。


「俺がどれだけ頑張っても……真白が見てるのはお前だった。」


 武田の声が震えているのがわかる。その感情の重さに、僕は押しつぶされそうになった。


「だけど、お前がそれに気づかないのが、何よりも……腹立たしいんだよ。」


 その言葉に、僕はただ唇を噛み締めることしかできなかった。




 武田の視線が再び僕を捉える。その瞳には、怒りと共に深い悲しみが宿っていた。


「……お前が何も気づかないでいることが、どれだけ俺を……いや、真白を苦しめたか……。」


 彼の言葉が、まるで冷たい刃となって僕を刺し続けた。



「なあ、悠木。」


 武田が一歩踏み出し、静かながらも低い声で言葉を投げかける。その一言に、全身が緊張で硬直する。


「どうして……どうして俺に相談してくれなかったんだよ?」


 その問いかけには、抑えきれない怒りが含まれていた。



 武田の目は僕を射抜くように見つめていた。その瞳には、怒りだけではなく、失望や悲しみが混じっているのがわかる。


「親友だろ……俺たち。」


 その一言が胸に重くのしかかる。


「なのに……どうして何も言わないで、一人で抱え込んでたんだよ。」


 武田の声が少し震えている。それは、怒りだけでなく、裏切られたような感情が滲んでいる証拠だった。



「俺は……気を遣ったつもりだったんだ……。」


 僕が小さな声で答えると、武田は目を見開き、一瞬呆れたように息を吐いた。


「気を遣った?」


 彼の声が低く響く。その一言に込められた苛立ちが痛いほど伝わる。


「そんなことで済むと思ったのかよ。」


 武田が拳を握りしめ、目を伏せた。その肩が微かに震えているのが見える。




「俺だって……真白に告白したとき、どれだけ怖かったと思う?」


 武田の声が少し大きくなる。その声には、感情が溢れているのがわかった。


「それでも……俺はお前に言ったんだ。真白のこと、好きだって。」


 一瞬、武田が視線を逸らす。その横顔には、痛みが刻まれている。


「恥ずかしくて、怖くて……でも、それでも親友だから、お前には知っておいてほしかった。」


 彼の言葉が、胸の奥に突き刺さる。



「それなのに……お前は、何も言わないで……。」


 武田が再び僕を睨む。その瞳には、失望と怒りが渦巻いていた。


「相談ぐらいしてくれても良かっただろ!」


 その声が廊下に響く。武田の感情が抑えきれず溢れ出しているのがわかる。


「お前が何を考えてたのか……俺にとっては、そんなの関係ないんだよ!」


 彼の拳が震えている。その怒りが、どれほど大きいのかを物語っていた。



「親友だろ……。」


 武田が小さな声で呟いた。その一言には、深い悲しみが込められていた。


「だからこそ……お前には相談してほしかったんだよ。」


 その言葉に、僕は何も返せなかった。


「俺がどれだけ……信じてたと思ってるんだよ。」


 武田が静かに息を吐く。その姿が、どれほど苦しんでいるのかを感じさせた。




 何か言おうとしても、喉が詰まって言葉にならない。武田の怒りと失望が、全て自分のせいだという現実を突きつけてくる。


「……悪かった。」


 それだけを搾り出すのが精一杯だった。



「覚えてるか、あの日のこと。」


 武田が一歩近づきながら、低く絞り出すように言った。その声には、どこか遠い記憶を掘り起こすような苦しさが滲んでいる。


「あの帰り道……俺が真白のこと、好きだってお前に言ったときのことだよ。」


 その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと締め付けられる感覚に襲われた。武田の目が僕をじっと見つめている。その視線は、僕を逃がさないと言わんばかりの鋭さだった。



「俺さ、あの時……めちゃくちゃ怖かったんだ。」


 武田は少し視線を落とし、乾いた笑いを漏らした。その笑い声が、胸を抉るように響いた。


「真白に告白したのも、そうだけど……それ以上に、お前に本音を言うのが怖かった。」


 その一言が、僕の心を突き刺した。


「だって……もしそれで、俺たちの関係が壊れたらって思ったら、どうしても言えない気がしてさ。」


 武田の拳が小さく震えているのが見えた。その震えが、彼の感情の大きさを物語っていた。



「でも……俺は言ったんだ。」


 武田が顔を上げ、僕を真っ直ぐに見つめる。その目には、確かな決意が宿っていた。


「親友だと思ってたからこそ……お前には知っておいてほしかったんだよ。」


 その言葉が、胸の奥深くに突き刺さる。


「どれだけ恥ずかしくても、怖くても……俺はお前を信じたから。」


 武田の声が少し震えた。それでも、その言葉には揺るぎない思いが込められていた。



「だけど、お前は……何も言ってくれなかった。」


 武田の瞳が曇る。その瞬間、彼がどれだけ傷ついているのかを痛感した。


「お前……俺のこと、信じてなかったのか?」


 その問いかけが、胸の奥を鋭く突き刺す。


「俺がどんな気持ちで話したのか……お前には伝わらなかったんだな。」


 彼の声が少し途切れる。それでも、言葉を続けるその姿が痛々しかった。



「お前が一人で抱え込んで……それで全部崩れたんだよ。」


 武田の声には、怒りと悲しみが混ざり合っていた。その声が、廊下に響く。


「俺に相談してくれたら……少しは違ったかもしれないのに。」


 彼の言葉が、僕の中にあった全ての弁解を消し去った。




 僕は何も言えなかった。言葉にできるものが何も見つからない。ただ、胸の奥に渦巻く後悔が大きくなっていくばかりだった。


「……ごめん。」


 それだけを呟くことしかできなかった。その一言が、どれほど空虚なものに聞こえたのかは、武田の目を見ればわかった。



「真白には……振られたよ。」


 武田が静かに言葉を紡ぐ。その声には、どこか乾いた諦めが混じっていた。


「悔しいし、辛かったさ。俺も必死だったんだよ。」


 拳を握りしめる彼の手が震えているのがわかった。それでも、武田は絞り出すように言葉を続けた。


「でもな……仕方ないだろ?相手に好きな人がいるなら。」


 その一言が、胸の奥に重く響く。






「だからさ、俺……覚悟決めたんだよ。」


 武田は小さく笑みを浮かべた。それはどこか悲しげで、胸を締め付けるような笑みだった。


「真白が幸せになれるなら……応援しようって。」


 その言葉に、僕は何も言えなかった。武田の強さと優しさが痛いほど伝わる。その一方で、自分が何もできなかったことを突きつけられるようだった。


「俺なんかより、お前と一緒にいる方が、きっとあいつも笑えるだろうってさ。」


 彼が乾いた笑い声を漏らす。その声には、深い諦めが滲んでいた。




「でも……全部、もう手遅れなんだよな。」


 武田の言葉が、鋭利な刃のように胸を抉る。


「真白は……もういない。」


 その一言が、廊下の空気をさらに重くする。


「俺も、お前も、何もできなかった。」


 武田は深く息を吐き、視線を床に落とした。その目には、悔しさと諦めが交錯していた。




「武田……。」


 何か言葉を返したかった。でも、喉が詰まって声にならない。


「俺……何もできなかった。」


 その一言だけを呟いた。胸の中で、全てが崩れていく音がした。


「悪いけど……もう友達ではいられない。」


 武田の言葉が、まるで冷たい刃となって胸に突き刺さる。


「……何言ってるんだよ。」


 僕は震える声で問いかける。それがあまりにも頼りなく、自分自身でも情けなく感じた。


「友達だろ……僕たち、親友だっただろ。」


 言葉を必死に絞り出す。でも、その言葉が武田に届いていないのは、彼の表情を見ればすぐにわかった。



「もう無理だ。」


 武田が静かに呟く。その声には、怒りと悲しみ、そして諦めが入り混じっていた。


「もうお前とは……無理なんだよ。」


 その一言が、重くのしかかる。武田は俯きながら拳を強く握りしめていた。その手が微かに震えているのが見える。


「真白のことも……俺たちのことも、全部……お前が壊したんだよ。」


 武田が顔を上げた。その瞳には、憎しみではなく、深い失望が宿っていた。




「それは!」


 僕は思わず声を張り上げた。何かを言わなければいけない、止めなければいけないという衝動が胸を支配していた。


「それは、俺だって……!」


 でも、その言葉の先が見つからない。何を言えば、武田を引き止められるのか、何を言えば、この状況を変えられるのかがわからなかった。




「うるさい!」


 武田の怒鳴り声が廊下に響く。その声には、彼がどれだけ感情を押し殺してきたかが詰まっていた。


「お前の言い訳なんか聞きたくない!」


 その一言が、僕を完全に沈黙させた。


「俺はもう……疲れたんだよ。」


 武田が視線をそらし、小さく息を吐く。その姿に、彼の中で全てが限界に達していることを感じた。




 武田は振り返ることなく、廊下の奥へと走り出した。その背中が遠ざかっていくのを、僕はただ見つめることしかできなかった。


「武田……!」


 名前を呼びたかった。でも、声にならなかった。



 廊下には、再び静寂が戻る。その静けさが、耳を刺すように痛く感じられた。


「僕は……。」


 呟いてみても、何も変わらない現実が目の前にあるだけだった。


 友達も、真白も、全てを失ったという実感が胸に広がる。


「……ごめん。」


 その言葉が、虚しく廊下に消えていく。



 廊下には、僕一人だけが残された。


 冷たい空気が肌を刺すように感じる。武田の怒鳴り声や足音、そして真白の背中――すべてが過ぎ去った後の静寂が、耳に響くように不快だった。


 僕は……何をやってるんだ。


 呟いてみても、その言葉が空しく廊下に消えるだけだった。


 喪失感の広がり

 好きだった人――真白。

 親友だった人――武田。


 全部……失った。


 その現実が頭に浮かぶたび、胸が締め付けられるような痛みに襲われる。心臓が音を立てて壊れていくような感覚が全身を駆け巡った。



 全部……僕のせいだ。


 自分の声が、まるで誰か他人のもののように冷たく響く。


 真白の気持ちに気づけなかった。武田の信頼を裏切った。そして、何もかもが手遅れになってしまった――その全てが、自分の愚かさの結果だと理解していた。


 あの時……ちゃんと向き合っていれば……。


 後悔が胸の中で何度も波のように押し寄せる。過去を振り返るたびに、その重さに押しつぶされそうになる。

 足が震え、立っていることすらできなくなる。ゆっくりと膝を折り、力なく床に崩れ落ちた。


 どうして……こんなことに……。


 視界が滲む。溢れる涙が止まらない。嗚咽が漏れるたび、その声が廊下の静寂に響く。


 涙で濡れた頬を拭うこともせず、僕はただ泣き続けた。


 僕には……何も残ってない。


 その一言が、胸の奥深くに響く。言葉にするたび、それがどれほど取り返しのつかない事態なのかを突きつけられる。


 好きだった人も、親友も――すべてが自分の愚かさで消えていった。




 誰もいない廊下には、僕の嗚咽だけが響いていた。


 それは、誰にも届かない虚しい音。助けを求めたくても、もう誰もいないことを理解していた。


 誰か……。


 声に出してみても、その願いが届く相手はいなかった。


 ただ、泣き続けるしかなかった。

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