第2話 転校生
朝から教室の空気はざわついていた。普段は眠そうにしているクラスメートたちも、今日は何か期待しているような目をしている。特に女子たちの間では、ひそひそ話が絶えなかった。
「ねえ、今日来る転校生、めっちゃイケメンらしいよ。」
「しかも、すごいお金持ちの家の子なんだって。」
「それ本当?なんかドラマみたい……。」
そんな話題が耳に入ってくるけど、僕は特に興味を持たず、自分の机でノートを広げていた。
「おい悠木、何のんきにしてんだよ。」
横から武田が声をかけてきた。
「いや、別に。転校生なんてそんな珍しいことじゃないだろ。」
「いやいや、こいつは違うらしいぞ。なんか、すげえモテそうな奴らしい。」
「ふーん。」
武田の話もなんとなく聞き流していると、突然教室のドアが開いた。その瞬間、いつもの何気ない日常が、少しだけ変わる音がした。
「みんな、静かに!」
担任の先生が大きな声で注意すると、教室のざわめきが一気に収まった。続けて、先生が後ろを振り返り、ドアの外を手で招くような仕草をする。
「それじゃあ、入ってこい。」
その合図に応じて、教室に入ってきたのは、一人の少年だった。
第一印象は、ただ「眩しい」という感じだった。茶色の柔らかそうな髪が微かに揺れ、長い手足と整った顔立ちが一瞬で目を引いた。制服も、どこかモデルが着ているような洗練された雰囲気がある。
「彼が今日からこのクラスに入る齋藤正真君だ。みんな、仲良くしてやってくれ。」
先生が紹介する間も、彼は微笑みを絶やさず、軽く頭を下げた。その動作すら、どこか洗練されているように見える。
「斎藤正真です。よろしくお願いします。」
低めの声が教室に響いた瞬間、女子たちの間から小さな歓声が漏れた。
「やばい、かっこいい……!」
「なんか、雰囲気違うね。」
周囲の反応に気づいているのかいないのか、正真は平然とした表情でその場に立ち続けている。その余裕に満ちた態度が、さらに周りを引きつけるようだった。
僕の席の近くに座ることになった正真は、早速周囲の人たちに囲まれた。女子たちはもちろん、男子たちも興味津々で話しかけている。
「齋藤君ってどこから来たの?」
「趣味とかあるの?」
「なんかスポーツとか得意そうだよね。」
正真はそのすべての質問に、落ち着いた声で丁寧に答えていた。
「東京から来ました。趣味は読書かな。あと、バスケも少しやってたよ。」
それだけで、彼は一瞬にしてクラスの中心人物になったように見えた。僕はその光景を見ながら、なんとなく気後れしていた。
「すごい奴だな……。」
思わず漏らした僕の言葉に、横で武田が鼻で笑った。
「あいつ、絶対裏があるぞ。ああいう完璧な奴ほど、何か臭ぇ。」
「そんなことないだろ。普通に感じ良さそうじゃん。」
「悠木、お前は甘いんだよ。」
武田の言葉が気にかかるけれど、目の前で繰り広げられる正真を中心とした騒がしさが、僕にはなんとなく遠い世界のように感じられた。
昼休みになると、正真はまたたく間にクラスの人気者になっていた。女子たちが彼を囲み、男子たちもその余裕のある態度に一目置いているようだった。
「すげえな、もうクラスに馴染んでる……。」
僕が呟くと、武田が苦い顔をして言った。
「馴染んでるっていうか、あれは支配してるだろ。」
武田の皮肉めいた言葉に、僕は少しだけ同意する気持ちがあった。だけど、正真がふとこちらを振り向き、柔らかい笑顔を向けてきたその瞬間、彼の人当たりの良さに僕はなんとも言えない居心地の悪さを感じた。
その後、正真がふと僕の方に目を向けた。彼は柔らかい微笑みを浮かべながら近づいてきて、軽く手を挙げた。
「風間君だっけ?さっきからずっと気になってたんだけど、君って美術部なんでしょ?」
「あ、うん……まあ。」
突然話しかけられた僕は、少し戸惑いながら答えた。彼の瞳はまっすぐこちらを見ていて、その眼差しに妙な圧力を感じた。
「美術部ってすごいよな。絵とか描ける人、俺にはほんと尊敬するよ。」
その言葉は確かに好意的で、何の悪意も感じられない。それでも、僕はどうしてかその笑顔の裏に何か隠れているような気がしてしまう。
放課後、僕は武田にそのことを話した。彼は腕を組み、険しい顔をして黙り込んでいたが、やがて低い声で呟いた。
「あいつ、やっぱ臭ぇな。」
「臭いって……そんなことないだろ。ただ、ちょっと人当たりがいいだけじゃない?」
「いや、お前にはわかんねぇかもしれないけど、俺の勘が言ってんだ。あいつ、絶対裏がある。」
武田は真剣な顔でそう言い切った。
「裏って……別に悪いことしてるわけじゃないだろ?」
「そういう問題じゃねぇんだよ。あいつみたいな奴は、自然に人を操るんだ。お前も気をつけろよ。」
僕は何となく納得できないまま、黙り込んだ。
夕方の教室は、放課後の賑わいが少しずつ落ち着き始めていた。僕と武田は、斎藤について話していたところだったが、そこへ真白が戻ってきた。彼女は両手を腰に当てて、少し首を傾けながらこちらを見ている。
「何の話?もしかして、斎藤君のこと?」
その声に、僕と武田は同時に顔を上げた。武田が腕を組み、少し不機嫌そうに口を開く。
「おう、そうだよ。お前も気をつけろよ、あいつなんか臭ぇ。」
真白は驚いたように目を丸くした。
「臭いってどういうこと?斎藤君、すごくいい人じゃん。何か悪いことしたの?」
「別に悪いことはしてねぇよ。ただな、ああいう奴は、何かしら裏があるに決まってるんだよ。」
武田は少し熱が入ったように言う。その言葉に、真白は呆れたように笑った。
「なにそれ、完全に嫉妬じゃん。」
「は?嫉妬?俺が?あんなやつに?」
武田が目を細めて真白を睨むようにして言い返すと、真白はさらに楽しそうに笑みを深める。
「うん、嫉妬だよ。だって、斎藤君って確かにすごいし、みんなから注目されてるし。武田がそういうタイプ嫌いなの、わかるもん。」
「お前な……。」
武田は大きく息をつき、頭をかきながら視線をそらした。その仕草を見て、真白はますます調子づいたようだ。
「武田がそういうの苦手なのはわかるけどさ、斎藤君、別に悪い人じゃないと思うよ?それに、ちゃんと悠木とも話してくれてるし。」
「それが怪しいんだっての。」
武田は低い声で返す。真白は少し考え込むように首を傾げたが、すぐに明るい声で言い放った。
「ま、武田の嫉妬ってことでいいか!」
「……勝手に決めんな!」
そう怒鳴ると、武田は席を立ち、そのまま教室の外に出ていった。
武田が教室を出て行った後、僕と真白だけが残った。彼女はその場に立ったまま、扉のほうを見つめながら肩をすくめている。
「ほんと、武田ってばすぐムキになるんだから。」
少し笑いながらそう言うと、真白は僕の隣の席にドサッと腰を下ろした。いつもの気軽な態度だけど、その顔はどこか考え込むような表情だった。
「悠木もさ、武田の言うこと、どう思ってるの?」
突然話を振られ、僕は一瞬言葉に詰まった。
「えっと……まあ、武田は武田なりに、斎藤のこと気にしてるんだと思うよ。」
そう答えると、真白は少しだけ眉を下げた。
「うーん、でも斎藤君、そんなに悪い人じゃないと思うんだけどな。今日、ちょっと話しただけだけど、すごく優しかったし。」
その言葉に、僕は胸の奥がざわつくのを感じた。
「優しい……って、どんなこと言われたの?」
何気なく聞いたつもりだったけど、自分の声が少しだけ硬かったのがわかった。真白はそれに気づいたのか、ニヤリと笑った。
「え、気になるの?」
「べ、別に気になるとかじゃないけどさ。」
慌てて否定すると、真白は笑いながら机に肘をついて顔を僕のほうに向けた。
「斎藤君ね、『真白ちゃんって笑顔が素敵だね』って言ってくれたんだ。ちょっと嬉しかった。」
そう言って、真白は照れる様子もなく屈託のない笑顔を見せた。けれど、その言葉を聞いた瞬間、僕の中に小さな棘が刺さるような感覚が走った。
「……そっか。斎藤、そういうこと言うんだ。」
精一杯平静を装って返すと、真白は首をかしげた。
「悠木って、意外とそういうの気にするタイプ?」
「いや、別に。」
僕がそっけなく答えると、真白は何かを考えるように一瞬黙り込んだ。そして、ぽつりと呟くように言った。
「でもさ、武田も斎藤君のことちょっと気にしすぎだよね。まあ、嫉妬っぽいけど、悠木はどう思ってるの?」
今度は僕のほうに視線を向けてくる。その瞳は、まるで僕の心を覗こうとするような真っ直ぐなものだった。
「正直、わからないよ。まだ今日会ったばかりだし。ただ……なんか不思議なやつだなって思う。」
「不思議?」
「うん。すごく人当たりがいいけど、それが自然なのか、それとも計算なのか、なんか見分けがつかない。」
自分でも言いながら、斎藤への違和感が少しだけ言葉にできた気がした。
真白はそれを聞いて、軽く頷いた。
「そっか。でもさ、斎藤君のことそんなに警戒しなくてもいいと思うよ。悠木のこともちゃんと気にしてくれてたし。」
「……気にしてた?」
「うん。だって、『風間君って美術部なんでしょ?絵、すごく上手なんだね』って褒めてたよ。」
真白は笑顔でそう言ったけど、僕はそれを聞いて妙に居心地の悪さを感じた。斎藤が僕を見ている――その言葉が、頭の中に引っかかったまま離れなかった。
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