居候ギャルの観測記録が存在しない理由について
人々の意志が事象に影響を及ぼし、ギャルの観測を可能とする。
この説は学会でも一理あると認識されており、新たなギャルの観測を試みる際に利用される。
しかし、大勢の人々の意志が介在せず、特段楽しいことも起きていないのにギャルが人の——それも個人の——前に姿を現すことがある。
従来の説とは異なる、現代の学会員の知識を総動員してもその出現条件が明らかになっていないギャル。
それが居候ギャルである。
居候ギャルは、ある日突然現れる。
それも、ベッドの中に姿を現す。
仕事や学業などで出かけ、帰宅し、「やれやれ、今日も疲れたなぁ」と一息吐いたまさにその時、ギャルが声を上げる。
「おう、おかえり。わりぃけどさ、しばらくお前んとこにいることにしたわ」
こう言われて「え? いやなんですかあなたは? 誰ですか? 警察呼びますよ。出ていってください」と強気にあれこれ言える者はこの世にはいない。
何故なら全ての人はギャルを目にした瞬間に理解するのだ(集合的ギャル無意識との即座の接続があると推察される)。
「あ、これは居候ギャルだ」と。
それを理解したその時には「あ、どうぞ。ごゆっくり〜」と口にしている。
居候ギャルも「おう」とだけ答えて、そこら辺にあった雑誌を読んだり、ゲームがあればゲームで遊んだりする。
そしてだらだらとする。
それだけである。
たまに一緒にゲームしたりする場合もあるが、その際は接待してあげなければならない。もし部屋の主が勝ちすぎると、居候ギャルは拗ねてしまい、高いアイスクリームなどを買ってあげてご機嫌をとらなければならなくなってしまう。
また、居候ギャルはとても無防備であるし、ともすれば相手を誘うような言動も見受けられるそうだが、それに乗って手を出したという者は存在しない。これは自己申告なので真偽不明な部分があるが、嘘発見機はパスしているし、ギャルスキー三世が面会した時の手記によれば「彼らは純真無垢でとても嘘をついているとは思えなかった」とも書かれている。
話しを聞いただけでは面倒な同居人が一人増えたといった感じだが、それは正しくもあり正しくはない。面倒ではあるが、嫌ではない。そういう存在が一人増えるのである。
何にせよ、ギャルの行いはともかく、ギャルと同居出来るのは得難い経験であることは間違いない。
ギャル研究家たちも居候ギャルについてより深く——その出現条件や生態について——研究したいところなのだが、これは非常に難しい。
何故か?
答えは単純だ。
誰も言わないからである。
自分はギャルと同居している。あるいは、今、自分の家に居候しているギャルがいる。と、誰も言わないのだ。
再び問う。
何故か?
これもまた答えは単純だ。
言いたくないのである。
冷静に考えてみて欲しい。
自分の家に突然ギャルが居座ったとして、果たして一体どのような人物であればそれを周りに吹聴するというのか?
「いや〜俺のうちにギャルが出てきちゃってさ〜……ははは……まいるよほんと……ギャルと同棲とか……いやほんと……晩飯どうすっかなぁ〜……ははは……」
などという人物がいるだろうか?
この問いの答えは、いない。である。
そのような人物は存在しない。
ギャルが自分の家にいるなどと他人に自慢げに話す人物は絶対に存在しないのである。
これは偏見ではなく、居候ギャルが滞在しているということをギャル研究家に報告した人物がこれまでの歴史上一人も見られないことから完全なる事実として人々に認識されている。
故に居候ギャルとのめくるめく日々は全て事後報告であり、それに立ち会った人物の記憶に寄るところが大きくなるのである。
稀に日記などを付けて後々研究会に報告しようと試みた熱心な者もいたが、これが成功した試しはない。何故なら何かしていると背後から居候ギャルが「なにしてんの?」と覗き込んでくるからである。
このようなことをされて気にせず日記を書ける人物がこの世界の一体どこにいるというのか? 無論、どこにもいない。故にきちんとした報告書は存在しない。
人々は後にこう語るのだ。
「なんだか、すごく楽しかった記憶はあるんです……家に帰ればギャルがいて……昼ご飯を食べた時に使った皿はそのままで、着替えとかその場に脱ぎ捨ててあるんですけど……そういう光景もまた新鮮というか……幻想的で……そう、幻想なんです……自分の人生には絶対に起こり得ないことが起こったっていう驚きで、頭の中が真っ白になって……一緒にゲームとかしてた覚えはあるんです……楽しくお喋りしたりとか……勝手にテレビのチャンネル変えられたりとか……ホラー映画見てたら『それ早く消せ!』って怒ったりとか……断片的ですけど、こうやって覚えてるシーンは確かにあって……でもある日いきなり『そろそろ帰るわ。あんがとよ』って言って、それで、いなくなって……いなくなったら、もしかしてこれまでの日々は全部幻なんじゃないかなって思えちゃって……だから、幻想なんです……美しい……とても美しい……幻想なんです……」
居候ギャルの消失後、このようなある種のショック状態に陥る者は多い。
ギャルがいなくなったという現実を受け入れられず、それを幻覚として処理することで心のバランスを保とうとしてしまうのだ。
これはあまりにも悲しすぎるではないか……。
そう思う者は研究者以外にもおり、とあるアーティストはこの悲しみを少しでも癒そうとあるものをギャランスで最も巨大にして偉大なるギャルーブル美術館に展示している。
そのあるものとは、居候ギャルが日々を過ごしたベッドである。
それがどこから調達されたものなのかは誰も知らない。(知っている者はギャルーブル美術館の館長くらいであろうと言われているが、真偽の程はわからない。何故なら館長は常にギャルに纏わる物を探して世界を飛び回っているからである)
また、これがどのアーティストの手によるものなのかも不明とされている。(一説によれば前衛芸術に秀でたギャンクシーの作ではないかと噂されているが、噂は噂である)
ギャルーブル美術館のちょうど中央にあたる場所に、そのベッドはガラスケースに囲われて置かれてある。
展示物に付けられたタイトルは「ギャルの残したぬくもり」
浅く窪んだマットレス、乱雑に扱われて寄れたシーツ。凹んだ枕……。そこに人々は居候ギャルの姿を見る。居候ギャルが過ごしたのんびりとした日々を想像し、それを眺めていた幸福なる者の姿を想像する。
睡眠器具一式が想像させる深淵なる世界……。
これはギャルーブル美術館で最も価値のある展示物とされているが、これは本当にギャルが使っていたのか? と疑問を抱く者もいるだろう。そのような者は、ギャルーブル美術館が公開している監視カメラの映像を見るといい。
この「ギャルの残したぬくもり」は誰も手入れをしていないことがおわかりになるだろう。
この展示物は、ここに運び込まれた時から——否、居候ギャルが去ってから——ずっと、その形を維持しているのである。ギャルの痕跡を残しているのである。
ギャルは確かに存在する。存在していた。
居候ギャルに遭遇した者たちは、この展示物を目にして自分たちの過ごした日々が紛うことなき現実であることを再認識するのである。
今日もまた、自らの現実を確かめたい者が大勢の観光客に混じってここを訪れている。
……ところで、ここにギャル研究に於いて重要な一文が記されていることにお気づきになられただろうか?
それはギャルの言った「帰る」というセリフである。
帰る。日常の最中で聞き逃してしまいそうな言葉だが、ギャルは神話的存在である。
ならば、帰るとは一体どこに帰るのか?
この地球のどこかにギャルの家があるのか。
はたまた、ギャル宇宙のどこかにギャルの帰る場所が存在しているのか。
現在の研究に於いてもそこは全くの謎となっている……。
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