時計技官と笛吹き男
乾茸なめこ
第1話
車窓からの眺めは好きだ。
東京都と全ての大都市を結ぶ、都市間連結鉄道。公務員専用列車を貸し切りにして、僕と相棒はそれぞれ窓の外をぼんやりと見つめていた。
列車の外は時間が止まってしまっている。
大きく体を傾けながらコーナーを曲がるバイク。それに向かって拳を振り上げる中年男性。風に傾ぐ街路樹、うつむいて向かい風に立ち向かう小学生たち。
矢のように流れていく風景は、まるで一瞬一瞬を切り取ったようだ。
それら全てがまるで凍り付いたかのように、ぴたりと静止したまま僕の後ろへと流れていく。
「前とちょっと違う気がすんなぁ。土浦ってこんな感じだったっけ?」
隣の席を最大まで倒し、ほとんど寝っ転がっている相棒に声をかけた。
「さぁ。あんまり見ないし。知らない」
興味関心好奇心。全部が薄味な返事。
黒豹のような女の子だった。褐色の肌、一八五センチもある高身長、ふくらはぎまである長い黒髪。目も、手も、胸も大きい。存在感の化身みたいな見た目をしておいて、腹が満たされた肉食獣と同じように、静かにその熱を内側に隠している。
座席というパーソナルスペースを最大限に使っても、なおその長身を収めることが出来なかったのか、体を横向きにして少しだけ丸まっていた。
「都市の外側でも、一応時間は流れてんだなって思うよな」
「思ったことない」
「思えよ」
腕時計に目を落とす。
五七。五八。五九。〇。
長さも速さも違う三本の針が、ぴたりと重なった。
今回の出張の目的地、水戸までもう少しだ。
無人の水戸駅に降り立つ。ついさっき起こした相棒は、大きく伸びをした。
「ハル。背、伸びた?」
「アシストボットが伸びるわけないじゃん。北虎が縮んだ。一ミリくらい」
「計測すんな」
身長一六〇しかない僕がハルと目線を合わせて話そうとすると、どっちかが無理した体勢になる。ハルが他人のためにかがむなんて、絶対にありえない。僕もわざわざ首を痛めてまでハルの顔を見たいとは思わない。いつも、それぞれが前を見て歩いている。
駅出口の検問所には、半透明に揺らぐ石けんの泡みたいな膜が張ってある。水中で歩くような強い抵抗を感じながら通り抜けると、急に世界が明るくなった気がした。目を細める。
「この光の強さ。地方都市って感じだな」
「自然光は東京都の三〇倍だから」
「肌の色で出身地が分かるって言われるワケだ」
風が少し肌寒い。軍服に酷似したデザインの白い制服の上に、ロングコートを羽織った。左胸と背中には同じ文様の刺繍が入っている。歯車の内側に、時計の針に見立てたレンチが三本描かれていた。
東京都 時間管理研究機構 日本列島都市計画部 三級時計技官。
僕の所属と身分を表すエンブレムだ。
駅出口には、緊張した面持ちの老人達が礼服で待ち構えていた。僕らの姿を目にし、一斉に敬礼する。軽く答礼し、彼らにずかずかと歩み寄る。
「ご苦労。地方都市にとっては真夜中だろう」
場所によって時間の流れがちぐはぐになったこの世界。太陽の位置だけでは時間を計れない。
「いえ……。時計技官の方をお迎えするにあたっては当然ですので」
先頭に立つテールコートの老人が深々と頭を下げた。後ろに立つ男が、媚びたような笑みを浮かべながら言う。
「いや、それにしてもお若いのに時計技官とは素晴らしいですな」
「あ?」
「いや失礼」
僕と目が合い、男は気まずそうに目線を逸らした。フォローするように老人が口を開く。
「外は冷えますし、最近は時計技官の方を狙ったテロや暴動も頻発していますので、ぜひ庁舎へ。ああいや、アシストボットが暴徒などに負けるとは思っておりませんが、万が一がござますので」
少しだけ怯えを含んだ表情で、ちらちらとハルを伺いながら言った。当の本人は、ひらけた空を舞うハトを目で追っている。
「泊まるつもりはねえよ。他都市で暴動が起きたせいで、列車の運行スケジュールが押してるんだ。さっさと仕事を終わらせて『留学生』を連れて帰る。一時間以内に『留学生』の準備を済ませておけ」
「……承知いたしました」
老人は絞り出すような声を出しながら、恭しく頭を下げた。
――時間流速相対化理論。
二一世紀の前半で発見されたこの理論は、文字通りに世界を変えた。
ある空間における時間の流れは、空間中に分布する『エネルギー量』に依存する。ここでの『エネルギー』は既存の熱力学とは異なる概念だが、便宜上そう呼称されることが多い。
世界を変えてしまったのは、その『エネルギー』の分布を人為的に操作できるという点だった。極端な話、世界の一〇〇倍速で技術開発が進む研究所や、倍速で稼働する原子力発電所、一万分の一で時間が経過する食料庫。そういったものが実現可能となったのだ。
問題はその『エネルギー』を新規に生み出すことができず、あくまで分布を変えることしか出来なかったということだろう。時間が加速された場所、そうでない場所に大きな分断が生じてしまった。
世界最速の都市、東京都。
そこから派遣される時計技官は、『エネルギー』を東京都から地方都市に分配する。都市の重大インフラのひとつを、個人でメンテナンスする役職とも言えるかもしれない。
水戸駅のすぐ近くに建てられた時計塔。コンクリート造りの無機質な多角形のタワーを見上げた。全高二〇メートルの影が僕らを覆い尽くす。建物というより、トーチカの延長線にあるような無骨さを感じられた。
建物の前で、ぼんやりとした表情で立ち尽くす守衛の少女に声をかける。
「やってる?」
「埋め込み式チップの読み取りをお願いいたします」
少女は意思を感じられない目で僕を――僕の左胸を見た。瞳の奥にはカメラアイ特有の緑色の光彩が輝いている。
指先を少女の口元に出すと、ぱくりと咥えられた。生物の湿気を感じない、金属の冷たい質感だ。それが逆に生命への冒涜のようなものを感じさせる。
数秒の後、守衛は口を開いた。指を抜く。
「北虎竜司 三級時計技官。監督者は犬養征一 一級時計技官。日本列島都市計画部部長名義で時間流調整任務を受けていることが確認できました。お入りください」
あらかじめインストールされている、無機質な音声だった。
コンクリートの外壁が重たい音を立てて回転し、小さな入り口が開く。卓上調味料の容器みたいだ。原始的だけど、扉と違って構造上の弱点にならない開閉方法らしい。
薄暗がりに赤色灯が灯るらせん階段をのぼる。僕らが歩く左右には、無数の守衛型アシストボットが並んでいた。見られているようで、見られていない。意識がここにない、肉ですらない肉体の群れに、首筋の毛が逆立つ。
「ここって掃除とかしてると思う?」
嫌な空気を誤魔化すように、ハルに話しかけた。
「臭気、空気中の微粒子は低レベル。掃除くらいしてんじゃない?」
「誰が?」
「さあ。暇な人が?」
暇な公務員なんていないだろ。あまりにも雑な返事に、ツッコミの意思すら削がれた。
最上階の鉄扉に、今度はハルが指を当てる。ワンタイムパスが認証され、制御室の扉が開いた。
モニターと無数の機材が並ぶ、飛行機のコックピットを拡大生成したような部屋。昼白色の光源の下、空調の音だけがふぉんふぉんと気の抜ける音を立てている。
ここでやる仕事はいたってシンプル。手順に従って保守点検をし、それからエネルギープラグを抜いて新しいものを差し込むだけ。
スキットルによく似た高濃度時間流エネルギープラグを機材から引っこ抜き、東京から持ってきた新しいものを差し込んだ。表面には製造番号と「丙種」の文字が刻印されている。
使用済みのプラグをジュラルミンのケースに収め、ベルトで腰の後ろに固定する。使用済みであれ、備品の紛失は懲罰モノだ。犬養のジジイに説教されても面白くない。
「あとは留学生を連れて帰るだけだな。楽な仕事だよ。自動化しろクソが」
「ふぁああ。楽に食べられる喜び」
ハルは扉を閉めると、するりとしなやかな身のこなしで僕を追い抜いた。帰るときばかりは動きが速い。
駅前に戻ると、まだ時間になっていないのに多数の子ども達が並ばされていた。警察官たちが周りを囲み、近寄ろうとする親たちを遠ざけている。
どの子も不安と期待がないまぜになった表情で僕らを見ている。親の表情はそれぞれだ。心配そうにする者もいれば、期待をかけるような熱気ある表情の者、憎しみをこめた目を僕らに向ける者だっている。
留学生。
東京都の外で生まれた人の多くは、そのまま生まれ育った街で死んでいく。東京都の許可無く都市間を移動することは不可能だから。
留学生は唯一の例外だ。各地方都市で選抜された優秀な子どものみが、時計技官に連れられ東京都に移住することになる。留学生たちの収めた業績で税が免除されるため、地方都市の上層部は必死になって優秀な子どもを選び出す。
まぁ、親から見れば人攫いでしかないのだけれど。東京都に送り出した留学生が地方都市に帰ってくることはない。
「夜更けによくも揃うもんだ」
「いえ……。庁舎近くの避難所で待機させておりましたので」
「これで全員か?」
「そのはずです」
老人が頷いた。
「ハル、検数」
「七四。規定数より一足りない」
老人の胸ぐらを掴み、捻りあげた。一瞬で顔色が赤く染まる。耳元に口を寄せ、低く囁いた。
「おい?」
「いえ、あの、はい」
言葉にならない相づちのような息が漏れた。手を離し、地面に放り捨てる。
「言い訳を聞こう。ハル、ゲロガン装填」
「ゲロガン言うな」
ハルの目にレティクルが浮かぶ。半開きにした口から青白い光が漏れた。
電磁加速流体。レールリキッドと呼ばれる、アシストボットに搭載された銃器である。磁力で重液体金属を加速し発射する殺傷武器だ。口から液体を吐き出すため、ゲロガンと呼ばれることが多い。
老人は先ほどまで赤くしていた顔を土気色にし、震えながら途切れ途切れに言い訳を並べ立てる。
「その……該当者が体調を崩してしまいまして……その、重篤な熱病であって……」
「それを決められる立場じゃねえだろ。それに、重病ならなおさら、列車内の医療設備で治療した方がいいだろうが。技術レベルが一世紀違う」
「そ、それは、そうなのですが」
「高官の子ども」
僕の言葉に老人は口を噤んだ。当たりかよ。しょーもない。
「東京都からの評価が下がれば、『都市』として扱われなくなる。世界の流れから取り残され、体感で数年もすれば見世物の原始人扱いだ。主要な産業施設も使えず、富の分配も起きねえ。それでもいいんだな?」
老人は小さく首を振った。
「さっさとやるべきことをやれ」
軽く蹴り飛ばすと老人はばたばたと手足を振り回すように駆け出す。
周囲を睥睨すると、善良な市民たちは次々と目をそらす。空気が冷たかった。
資源を人質に、子どもを攫う傲慢な略奪者。その手足となるのが僕ら時計技官だ。
――慣れれば、楽な仕事だ。
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