第39話 忍び寄る影

部屋の中はまだ沈黙に包まれていた。ただ、優子の荒い呼吸と心臓の鼓動だけが妙に大きく響く。スマートフォンの画面は真っ黒なまま、不気味なメッセージは消えることなくそこに残っている。


「視えなくても、私たちはそばにいる。」


その言葉が頭から離れない。誰が送っているのか、なぜこんなことをしているのか――考えれば考えるほど、底知れない恐怖に飲み込まれていく。


「どうすればいいの……?」


優子は再びスマートフォンを手に取り、佐藤に連絡しようとした。しかし、指を動かそうとすると異様な冷気が手全体を覆い、まるで誰かに止められているかのような錯覚を覚えた。


――コンコン


また玄関からノックの音が響く。優子は恐怖で体が硬直し、一瞬動けなくなった。さっき見たばかりの写真と、病院での出来事が頭をよぎる。


「……誰……?」


返事はない。それでも、今度は勇気を振り絞って扉へと近づいた。恐る恐るドアスコープを覗くと、そこには――誰もいなかった。


「……気のせい?」


優子はドアノブに手をかけ、一度深呼吸をして扉を開けた。廊下は静まり返っており、人の気配は一切ない。


「……誰もいない……?」


だが、また足元に何かが落ちていた。封筒――今度は白ではなく、真っ黒な封筒だ。優子は戸惑いながらもそれを拾い上げ、中を確認する。


「……!」


中に入っていたのは、何も書かれていない真っ黒な紙一枚だけだった。しかし、その黒い紙をじっと見つめていると、表面に何かが浮かび上がってくるような感覚を覚えた。


――ジワリ


黒い紙に浮かび上がったのは、赤黒い文字で書かれた一言だった。


「モウスグミエルヨウニナル。」


その言葉を目にした瞬間、優子の手から封筒が滑り落ちた。背中に冷たい汗が流れ、視界がぐにゃりと歪む。


「視えるようになる……? 何が……?」


優子の中で何かが崩れ始める。視えない何か――それは一体、どんな形をしているのだろうか。


そのとき、不意に背後から音が聞こえた。振り向くと、部屋の中に人影のようなものが立っている――いや、揺らめいているように見えた。


「……誰……?」


恐怖に足がすくみ、後ずさりする。影は動かない。ただそこに佇んでいるだけだ。


優子は意を決して声を振り絞った。


「佐藤さん……?」


だが、返事はない。影は静かに揺れているだけで、何も語らない。優子はさらに恐怖を感じながらも、その影に近づこうとした――その瞬間、影はスッと消えた。


「……幻覚……なの?」


優子は何度も自分にそう言い聞かせようとしたが、心の中では確信していた。これは幻覚などではない、“何か”が確実にここにいる、と。


「佐藤さんに……話すべき……?」


そう考えたものの、不気味なメッセージを思い出し、足が止まった。


「ダレニモイウナ」


言ってはいけない――あのメッセージがそう告げている。だが、このまま黙っていたらどうなるのか。自分はもう限界だった。


スマートフォンを握りしめたまま、再び佐藤に連絡を取るかどうか迷う。優しい佐藤――しかし今、彼が見せる顔はどこか別人のようで信用できない。それでも、他に頼れる人はいないのだ。


「……話そう……話さないと……壊れる……」


そう思い、佐藤の番号をタップしようとしたその瞬間――画面が突然真っ黒に変わり、また不明な差出人からメッセージが届いた。


「視えるものを信じるな。」


優子の心臓は、激しく鼓動した。視えるものを信じるな――それはつまり、今目の前に見えているすべてが偽りだということだろうか?


「もう……わけがわからない……」


優子はスマートフォンを手放し、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。ただ、恐怖と混乱が渦巻く中、彼女の耳元には微かな囁き声が確かに響いていた――。


「視えるようになる……すぐに……」


その声はどこか、佐藤の声に似ていた。しかし、それが本当に佐藤なのかどうか、優子にはもうわからなかった。ただ、闇は確実に彼女を取り囲み、逃げ場を失わせていく。


やがて、優子の心に一つの思いが浮かび上がる。


「このままじゃ……私は消える……」


その言葉は、もはや優子自身が発したものではなく、闇の中に潜む“何か”が語ったものであるかのようだった。

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