【完結済み】イリュリアの女傑テウタ~歴史上に存在したリアル海賊女王の軌跡~

荒川馳夫(あらかわ はせお)

第1話

 太古の昔。

 現在のバルカン半島西部に一つの小国が存在した。

 国名はイリュリア。 

 南を『古き大国ギリシア』に、西にアドリア海を挟んで『新たな大国となるローマ』に囲まれたこの国に、ある一人の女がいたことをご存じだろうか。


 歴史は彼女をこう形容している。


『イリュリアの女王』と。


 これから語られるのは歴史上に確かに存在した女、テウタの物語。

 狂おしくて雄々しい女の、『海賊女王』の軌跡を描いた歴史ロマンである。

 


 紀元前二二九年の秋。


「ふんっ!」


 一人の女が満足げな顔で立っていた。


 右手に短剣が握られている。

 白いチュニックには赤い斑点がこびりついている。

 従者に召使い、そして外国の使節が、彼女に恐怖のこもった眼差しを向けている。


 やがて女――テウタは静かに短剣をしまうとを持ち、ぶるぶると震える使節の男に突き出した。


「これが返事じゃ。持っていけ」


 首を無造作に投げる彼女からは、後悔の念は感じられない。


「こ、これがあなたの外交か!」


 たまらずに使節の男が叫ぶ。彼には我慢ならなかった。使節として派遣され、今はテウタの手で亡き者にされた弟ルキウス・コルンカニウスの無念を感じずにはいられなかったから。


『アドリア海での海賊行為を取り締まってほしい。貴国の港から多数の海賊船が出撃して商船を襲っているのを、我がローマは確認している』


 このルキウスの証言には裏付けが取れていた。ローマとイリュリアの間にあるアドリア海ではイリュリア海賊が跋扈ばっこしており、それは彼らの魔の手から逃れた船乗りの証言から明らかだったのだ。


 ルキウスは間違ったことは言っていなかった。

 だが、テウタは彼に堂々と言い放った。


『だから? じゃ! お主らの都合なぞ知らぬ!』


 彼女の無礼な振る舞いを見たコルンカニウス兄弟の弟ルキウスは、次の瞬間にはこう告げていた。


『あなたはご存じではないようだ。我がローマには、私的な不正行為を公正な手段で処罰し、不正を蒙った人々を助けるという習慣があることを。


 我々は必ずやあなたを改めさせてみせますよ。自分が間違っていた、とあなたの口から言わせるまで!』


 一体、この世界のどこに海賊行為を公認する国家があるのだ? とルキウスは言いたかったのだろう。


 だが彼がそれを訴えた直後、テウタは彼の首を胴体から切り離していた。


 それを目の当たりにした兄ガイウスが怒るのも至極当然だ。弟の首を祖国に持って帰れ、と告げて追い払おうとするテウタが非常識であるのは明白で、こちらローマ側に一切の非はなかったのだから。


 常識的に考えれば間違っているのはテウタだ。

 しかし、彼女の辞書に『反省』の文字はない。


「これがわらわの外交じゃ。歯向かう者は潰す。わらわに口答えする者は剣で裁く。そう、それこそが――」


 テウタはガイウスに近づき、彼の胸ぐらを掴むと耳元で囁いた。


「イリュリアの、『海賊王国』のおさたるわらわのやり方じゃ。ローマだか何だか知らぬが、わらわのやり方に口答えする権利はないぞよ」


 テウタの邪悪な瞳に睨まれたガイウスは弟の首を持ってイッサ――だった小島の都市国家の港から大急ぎで海路でローマへと出航していった。


 そう、テウタは玉座にふんぞり返っているだけの女ではない。

 自ら戦地に乗り込んで兵士を鼓舞する人物だったのだ。


 その姿はまさに『海賊女王』

 その名に恥じぬ女傑ぶりを、テウタは遺憾なく発揮していた。


 それがやがて己の破滅を招くとも知らずに。

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