【6】蒼と桜(2/2)
「お兄ちゃんも燈李も、あんたに甘いよね」
一人とぼとぼと家に帰ってきてみると、藍は仕事に出たあとだったし、燈李はまだ帰っていなかった。代わりにリビングで一人本を読んでいたのは、姉の紫苑である。
「急になにさ?」
「あんたの
文庫本をとじテーブルに置いた紫苑は、自分の隣をぽんぽんと叩いた。ここに座れ、ということらしい。紫苑の言葉が気になって、蒼汰は大人しく従った。
「生きてるものはいずれ死ぬ。人だろうが植物だろうがそれは同じ」
「そんなのわかってるよ」
「わかってない、知ってるだけ。死を見たことがないでしょう? 身近な人が亡くなったことはないものね」
「そんなの姉ちゃんだってそうじゃん」
「そうね。でもあんたよりはわかってる。私の能力は死に近いから」
隣に座る紫苑の声は、少し震えている。姉が自身の能力を忌避していることは、なんとなく気付いていた。
「…………ごめん」
「私のことは今はいいの。それより、あんたはもっと想像した方がいい。大事なものを置いて死ぬ無念さや、残されて生きる辛さを」
淡々と、紫苑が言葉を続けた。
「あの桜の持ち主が亡くなったんだって」
昔、あの桜のある場所には家があった。老夫婦が住んでいて、近所で遊ぶ蒼汰は幼なじみと共に、よくお菓子を貰っていたのを思い出す。
桜が咲く頃には庭を開放してくれて、近所の人のお花見場所になっていた。
『娘が産まれた時に植えたんだよ』
そう言ったおじいさんが桜を見上げる時は、いつも柔らかく微笑んでいた。まるで桜が娘そのものであるかのようだった。
おじいさんが亡くなって、おばあさんは娘さんと住むことになり、数年後に家は取り壊された。桜だけがその場に残されていた。
それからもずっと桜は咲き続けた。
咲いて、散って、咲いて、散って、咲いて、散って、咲いて、散って。
持ち主が……家族が離れてしまっても、桜は毎年咲き続けた。
残された桜はどんな気持ちだったんだろう。
家族に置いていかれて、悲しくなかっただろうか。
生きているのに切られるだなんて、苦しくないだろうか。
「オレ、ちょっと出かけてくる」
「そう……、行ってらっしゃい。帰りにアイス買ってきて」
「うん。高いやつ買ってくるよ」
「全員分ね」
「もちろん!」
蒼汰は勢い込んで玄関を出た。
沈みかけの太陽が、泣いてるように揺らいでいた。
桜の元にたどり着いた頃には、太陽はすっかり沈んでしまっていた。走ってきたおかげで息は弾み、汗が吹き出しているけれど、冷えた空気がどうにか気持ちを落ち着けてくれる。
「オレは全然子供で、想像力がなくて、勝手に生きたいだろうって決めつけて、あなたの気持ちをわかった気になって――」
昼間と同じように幹に触れた。まだ泣いているだろうか。今も拒絶されているだろうか。
こんなことを伝えたところで、何も変えられないかもしれないけれど。
「オレはあなたが咲くのが楽しみなだけだった。小さい頃からずっと!」
桜からの返答は、蒼汰には聞くことが出来ない。それでも蒼汰は言葉を紡ぐことを止めなかった。
「家族が亡くなって悲しんでるあなたに……あとを追いたいって泣いてるあなたに、オレの言葉なんてなんの意味もないかもしれない。でも……でも、オレはこれからも、あなたの花が見たいです」
蒼汰は精一杯の気持ちを伝えた。伝わるかどうかもわからない。それでも。
その時、みし、と桜が鳴った。蒼汰が触れた幹のずっと下の方からの音だった。
「え……?」
足元を見ようと屈んだとき、蒼汰は眩しい光に照らされた。明らかにスピードを超過しているだろう車が、蒼汰に向かってくる。T字路であることに気付いていないのか、突き当たりに向かってスピードを緩める気配がない。
ぶつかる……っ!
白い光が視界を埋めて、蒼汰の身体は強ばって動かなかった――。
* * *
「あの時桜が倒れなかったら、蒼汰轢かれてたんでしょ? ミラクルだよなー」
「うん。桜に助けられた」
コンビニでペットボトルの炭酸飲料を手に取りつつ、蒼汰は一年前の出来事を振り返る。
「蒼汰は無傷、運転手もかすり傷、だったっけ? マジ強運。お前そういうとこあるよね」
「そうかなぁ? でもあの時のは運とは違うと思ってるよ」
「運じゃなきゃ何よ」
「うーん……なんだろ」
「何それ、ダジャレ?」
「違うって」
別々にレジに並び、会計を済ませる。この後は友人宅で勉強会の予定だ。きっと三十分もすれば、ペンではなくコントローラーを握っているだろうが。
「おじいさんとおばあさんが、見えた気がするんだよなぁ」
「なんか言ったー?」
「いーや、なんも。そうそう、あの桜の枝の挿し木が上手くいったらしいんだよね」
「へー……難しいことなん?」
「よく知らない。けど、もしかしたらまた咲くとこ見られるって」
「ふーん。なんかいいね、それ」
「ね。楽しみ」
桜の咲く姿に思いを馳せて、蒼汰は幼なじみ宅へと向かうのだった。
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