心中の剣 三

「おい、ちょっといいかい。ちょっとそこ、どいてくれ」


 ひそひそと独り言を呟く以外には何も喋らなかった人垣の奥から、明朗な男の声が聞こえてきた。ややあって私の前の人垣が割れ、白装束の老爺が姿を現す。


「トウジ様……」


 人垣の中の誰かが言った。もうにやにやとした三日月の口をしてはいなかった。


 トウジと呼ばれた老爺は私と童女、それから地面にうずくまる童女の兄らしき子供を順に視界に収めると、私の方に向き直って言った。


「あんた、他所の人間だろ。俺は刀氏とうじって役割をここでやらせてもらってるモンだ。まあ言ってみりゃ、ここで作ってる刀の元締めだ。……見たところ、ウチの刀でそこの坊主が怪我したって顛末だろ? だったら、坊主の怪我はこっちで見る。あんたもどうだ? おおかた、ここの刀欲しさにはるばるやって来たクチだろう。話くらいならタダで聞いてやろうじゃないか」



     ○



 刀氏に案内された先は神社だった。社務所があり、その中へと通される。


「さっきも言った通り、俺は刀作りで飯食ってきた人間なんだがな、この村じゃあ今は刀作れる人間が一番偉いのよ。神に続いて二番目に偉い。刀鍛冶は神職なのさ。で、刀氏ってのは刀に連なる一族って意味で、村の連中がつけた。いつの間にかそう呼ばれるようになってたんだ」


 部屋に入るなり、刀氏はどかりと座布団の上に胡座をかいた。私も続き、対面の座布団に座る。


「だから、白装束なのですか」

「あ? ああ……まあそういうこったな。喋り方なんかは何も気をつけちゃいないが」


 刀氏は自分の着ている装束を見、苦笑した。


「この村は昔、家畜で栄えていたと聞きましたが」


 私が尋ねると、刀氏は鷹揚に頷いた。


「ああ。それもなんも間違っちゃいないな。俺の家は昔から鋼や鉄を鍛えるので食ってきたが、昔は馬と牛を飼って育てて、立派になれば隣町や行商に売って稼ぐ家が断然多かった。その頃は刀を作れる奴なんか目じゃなくてな。立派な牛や馬を育てて売って、世代を経るごとにより丈夫な家畜を作れる奴が偉かった。要は誰よりも稼げて、村の誇りになるような人間が権力と名声を得ていたわけだ」


「では、なぜ今は刀鍛冶が権力を?」


「禁を犯したんだ、前の権力者の家がな」


 刀氏は深く息を吐き出しながら座布団に座り直した。途方に暮れるように真上を向いた。


「奴は牛を育てるのが本当に上手かった。……俺と同じ年に生まれた男でな、ガキの頃は一緒にやんちゃする仲だったし、それぞれ家業を継いでからはいい好敵手だったよ。売るモンは違えど、仕事への姿勢や誇りはお互い一丁前だった。だから会えば自慢し合って競ってた。その裏じゃ『俺はあいつにゃ一生敵わねぇ』って思ってたモンだが、今思えばあいつも俺のことを同じように思ってたのかもしれねぇ。……とにかくだ。事の発端はあいつの嫁だった。……デキてたんだよ、村の人間の与り知らぬところで、自分の旦那が育てた牛とな」


 そこで返すべき言葉を、私は未だ知らなかった。


「あれは本当に立派な雄牛だった。家の誇りどころか村全体の誇りでな、あれを買う商人は生半可な男じゃならねぇ、買い手が見つかったらまずは村の人間全員でそいつを見定めて、金の話はそれからだなんて普段から言い合うほどだった。一周回って箱入り娘みたいな扱いだったよ。村の宝だった。……だが、村で最初にその場面を見つけたあいつは、迷いなくあの牛の首を掻き切った。泣いてやめろと縋り付く自分の嫁を足蹴にして、何度も何度も牛を刺した。最後にはバラして土手に埋めた。……俺はそれを手伝わされたクチでね、他の村の連中よりも早くその一件を知っていたんだが、結局あいつは、その日の夜明けと一緒に事の全てを打ち明けた。隠し立てはできねぇと思ったんだろうな。村全体で大切にしてきた一番の誇りがいきなり村から消えたってんだ。無駄に心配して探されても良心が痛むってモンだろう。それでこの一件は公のモンになった」


「事の衝撃は理解できますが……まだはっきりしませんね。今の村の産業と、その事件の明確な結びつきが。以来家畜に忌避感を抱くようになったとは想像できますが」


「忌避感なんてかわいいモンじゃねぇ。あれは呪いさ。祟りだよ」


 刀氏は吐き捨てるように言った。


「祟り?」

「あいつの嫁の妊娠がわかった。村の人間全員にあの雄牛の死を打ち明けた日の、昼間のことだ。あんな異常者は家から追い出すべきだって声も当然あったが、奴の家にはまだ後継ぎがいなくてな。あいつ自身、嫁さんにはかなり惚れ込んでた様子だったしな。だからこそ裏切られた衝撃は計り知れないわけだが……あいつは嫁を追い出さなかった。そして嫁さんは子を産んだ。……双子だった」


 そこで刀氏は言葉を切り、私の顔を真正面から見つめた。私もまた、刀氏が次の言葉を発するのを窺っていた。


 刀氏はふっと自嘲気味に笑んだ。


「それの何が問題だって顔してるな。他所とウチじゃやっぱ違うか。……あんた、畜生腹って言葉を知ってるかい」


 私が返答に迷った一瞬の隙に、


「双子かそれ以上の子供を一度に産むことですね。動物が一度に何匹も子を産むことからそう呼ばれたとか」


 と、ヨヨが口を挟んだ。


「そうだ。博学だな坊主。大人の話は辛気臭くてつまらねぇから、てっきり寝でもしてるかと思ったが。……ガキにはちと重い話だったか?」


 刀氏は窺うように私を見たが、これは餓鬼に見えても長命な存在である。再び返答に迷っていると、ヨヨが軽い調子で笑った。


「めくらは娯楽に飢えているものです。おまけに地獄耳ときた。こんなものは町々の噂話で聞き慣れておりますよ。さあ、先をどうぞお聞かせください。お気になさらず存分に」


 すると、刀氏は「はっは!」と一度大きな声で笑った。子供らしからぬ言葉選びや胆力が気に入ったのかもしれない。あるいはもっと単純に、笑うに許される時には笑うという、ただそれだけのことなのかもしれない。


「なら、遠慮なく続けさせてもらうとするか。……そう、畜生と交わった人間が畜生腹になったわけだ。村の人間は一様に震えた。だが、まだ偶然ってこともある。双子や三つ子は原因こそはっきりしねぇが、今まで全くいなかったわけでもない。それに、原因がはっきりしないからこそ村の人間たちは余裕が持てた。あの雄牛のせいと決まったわけじゃない──そう自分に言い聞かせることがまだできた。だが、『次』が出たら話は別だ。今度はあいつの妹が──事件が起こる何年か前に別の農家に嫁いだあいつの妹が、双子を産んだ。男女の双子だった。時期が時期だったからな、あいつの妹も動物たちとの仲を疑われたが、当然そんな異常者はなかなか出るモンじゃない。それに、あいつの嫁とあいつの妹じゃ、直接の血の繋がりはないからな。無事に疑いは晴れて無罪放免──だが、どういうわけか畜生腹の連鎖は止まらなかった。あいつとは何の関わりもない女や、果ては村の外から嫁いできた女までもが双子を産んだ。たまに三つ子や四つ子まで生まれる始末だ。流石におかしい。異常を無視できなくなった村の人間が雄牛の亡霊の恐怖に惑い始めた頃──また事件が起こった。同じ腹から生まれた双子の兄妹が、人目を忍んで愛し合っていた。見つけたのは親だった。親は子を殺した。その場にあった刃物を使ってな。首を掻き切り、何度も刺した。遺体は土手に埋められた。あの立派に育った雄牛と同じようにな」


「……」


 私は徐々に気分が悪くなってきていた。何を原因としているのかはわからない。私は息を吐くと同時に少し、視線を逸らした。


 刀氏はなおも語った。


「何かまずいことが起こっているのは確かだった。だが、だからといって子供を作らないわけにもいかねぇ。子がいなければ村は徐々に先細る。かといってこのまま自由にさせてたら、いつかどさくさに紛れて本当にできちまう双子が必ず出てくる。──そう思える程度には、村に子供が増え始めてた。妙な話だ。子が生まれることにこそ村の大人はうっすら忌避感を覚えていたってのに、どういうわけだか子が増える。一度に何人も生まれてくるせいかもしれねぇ──そこに考えが行き着くことさえ何か必然なような気がした。大人たちはそれでも考えた。村を守るために、村に未来を与えるために──村に子供ができるのを途絶えさせず、間違った愛を子供から奪う方法を」


「間引けばいい」


 その声は私の背後から聞こえた。


「それもただの間引きじゃありません。二人の子供を、一人にする。対の二人に手を加えて片割れだけを残しておけば、少なくとも先のような事例は起きない。家畜を飼うことを辞めれば、最初のような出来事もなくなるでしょう」


 私はあの人垣の中で見た二人の子供のことを思い出した。大事にしていた折り紙を勝手に使ったと泣き、その相手に刃物を向けていた童女。それを止めもせず黙って見ている大人たち。刃物を与えたのは誰だと問えば、あの童女は「刃物など子供なら誰でも持っている」と答えた。


 そして、刃物を向けていた相手のことを、彼女は確か、


「お兄ちゃん」と──


「その通りだ、坊主」


 刀氏が頷いたその時、襖の向こうから足音が聞こえた。とてとてとまだぎこちない足音。


 数は二つ。


「刀氏様、今いいですか?」


 それは子供の声だった。発達前でまだ高い、男児の声。


「ああ、いいよ」


 刀氏が優しい口調になって答えると、間を置かずに襖が開いた。

 そこには腕に包帯を巻いた男児と、泣きじゃくって顔を隠した女児がいた。男児が女児のほうを引っ張ってきたらしく、手を繋いでいる。


「怪我の手当てをしてくださってありがとうって、お母さんが言えって」


 男児が少し照れた様子で言うと、それから「ほら、お前も」と女児のほうを促した。


「ありがとうございました。お騒がせしてごめんなさい」


 続いて女児が頭を下げた。ややあって顔を上げると、二人の顔が同じ高さに並ぶ。


 ──瓜二つだった。


 流血騒ぎの時は兄のほうがうずくまっていたせいで、彼らが双子であることに気がつかなかったのだ。だが、今改めて二人の顔を見比べてみると、髪の長さや着物の色が違わなければ、碌に見分けがつかないであろうことは一目瞭然だった。


 双子が傷つけ合うことを許容する村。


 そして刃物。


 ……どうやら私たちは、随分と嫌な土地に足を踏み入れてしまったらしい。


「次からは、刃物は正しく扱いな。刀氏からの説教はそれだけだ」


 刀氏の言葉を聞くと、兄妹は襖を閉めて部屋の前から去っていった。


「……ここでの刃物の『正しい』扱いとは、果たして私が想像しているものと全く同一でしょうか」


 双子の足音が耳に入らなくなったのを見計らい、私は刀氏に問うた。


 刀氏は片膝を立てて座り直した。大儀そうに息を吐く。


「『間引けばいい』と口では簡単に言えるがな、間引くのはそいつの親だ。そうでなくても、その村の子供ってのは、村の人間全員で育てるものだろう。少なくともウチの村ではそうだ。誰だって自分の子を手にかけたくはねぇ。……だから、『持たせる』」


「刃物の何たるかを学習する前に刃物を持たせておけば、何かの拍子に事故が起こるかもしれない。例えば、大人にとっては取るに足らないような些細な衝突で、刃傷沙汰が起こるかもしれない──あの兄妹がそうなりかけたように。貴方がたはそれを期待している」


「刀鍛冶がウチの村で神職として扱われだしたのも、要はそれよ。大人は子供を手にかけたくねぇ。だから神頼みする。あの子たちのどちらかが、無自覚のうちに愛するきょうだいを殺せますように。その手助けをどうか神様、刀の神様、あの子たちに偶然の力をお貸しください──ってな具合だ。まだ四つん這いでしか歩けない赤ん坊のいる部屋に、『うっかり』抜き身で刃物を置き忘れる親もいる」


「……ふざけているのか」


 思わず零すと、刀氏は笑った。──否、嗤った。


 唇を三日月型に吊り上げて。


「ふざけてなんかいないさ。あんた見たろ、あの娘の小刀を」


 その言葉とともに、意識せずとも思い出す。陽光を鋭く反射する鋼の光沢と、小柄に施された繊細な螺鈿細工。おそらく鞘にも同様のものが施されているだろう。


 確かに上質な刀だった。刀身のみならず、その装飾さえ。


 刃の危険性を抜きにしても、到底子供の持つものではない。


「あれはな、生まれてきた子供のために親が特注で作らせるモンだ。双子が生まれれば二振り、三つ子が生まれれば三振り。一人ひとりのことを想ってな。当然安い買い物じゃねぇ。それでも作る。なぜだかわかるか? 愛しているからさ。心から大事だと想っているからさ。あいつが──俺の友人が、あの雄牛をこれ以上なく愛していたのと同じようにな」


「……」


「おかげで刀を打つのは上手くなった。ウチの村の刀が上質だって噂は、だから全然嘘じゃねぇんだ。この村で生まれた子の数だけ打ってきた。丹精込めて、愛情込めて──親と何ら変わらねぇ気持ちでな」


「──なら、『神が宿る』という触れ込みも?」


 私がよほど殺気を放っていたと見たか、ヨヨが間髪を容れずに身を乗り出した。


「そいつは少し飛躍しすぎだ。刀ってのは、よく切れる・美しく輝く・ほかの刃物に比べて丈夫ってのが長所であると同時に価値だ。ほかの鍛冶師の作よりその長所が飛び抜けてるって意味で言ってくれてんならありがたい話だが、実際に神が宿るなんてことはないだろう。いくら八百万の神がこの世にいようと、俺や弟子たちが刀作るたんびに宿ってもらってちゃ、いずれは神様のほうが足りなくなるだろうからな。……あるとすれば、ウチの刀に宿るのは『魂』だ。人の魂。さらに言えば──そうだな、死人の魂ってところか」


「……死人の、魂だと?」


「俺の友人の嫁さん、事の発端の例の女が双子を妊娠したって話はしただろう。そのおかげで彼女は家や村を追い出されずに済んだ。──じゃあその後はどうなったと思う?」


 私は答えなかった。刀氏の口元が再び笑んでいたからだ。

 人の死をまるで見世物のように扱う彼の意図に従うような真似はしたくなかった。


 たとえ彼が既に壊れているのだとしても。


 その破壊をもたらした最初の要因が、彼女自身であったのだとしても。


「死んだよ。自分で腹を何度も刺してな。あいつが雄牛を殺したのと同じ小刀だった。そして慌てて医者を呼ぼうとする旦那のことなんか視界の端にも写ってないって様子で、女は血まみれの刀をうっとり見つめてこう言った。『今から参ります』と」


「…………」


「その顛末は当然、村の人間全員の知るところとなった。醜聞の渦中に放り込まれた権力者なんて、ひどいモンさ。その程度の扱いだ。そして誰が思いついたか、村の親たちは自分の子供に刀を与える時、こう言い添えるようになった。『この刀は命の容れ物だ』と」


「ほう?」


 ヨヨが興味深そうに唸った。


「村には例の一件以前から双子に関する言い伝えがあってな。曰く、双子ってのは前世で心中した男女の生まれ変わりなんだと。だからきっと、これを最初に言い出した親は並外れた子煩悩だったんだろう。前世でさえ許されなかった二人の仲を、これから自分が持たせた刀で引き裂こうとするのが耐え難かった。だから『命の容れ物』という意味をつけた。これから先、双子のどちらかがどちらかを刺し殺しても、死んだほうの魂は生き残ったほうの刀に閉じ込められている──この刀さえ肌身離さなければ、二人はずっと共にある。俺はそういう意味だと解釈してるね」


「それはまた、なんとも愛情深く情熱的な話ですね」


 ヨヨが相槌を打った。心にもないだろうと私は思った。


 子供たちを愛していると言っておきながら、結局は殺す。最後の一人になるまで、子供たちは死ぬことを常に望まれて育つ。


 一人の子供に「決まる」まで。


 あの童女が兄のことを「刀に閉じ込めてやろうと思った」と言ったのも、その風習が生んだ思い込みなのだろう。魂を閉じ込めてしまえば、折り紙を勝手に折ろうとする兄の身体は動かなくなる。だが、魂だけはなくならず、刀に宿った魂として、妹と共にあり続ける。


 人は刺されれば「死ぬ」のだということを、この村の子供たちは知らない。


「……さて、それでだ。旅人さんよ」


 刀氏は呼吸を整えるように一息つき、襟を正して言った。


「あんたはどうも、ウチの村の考え方には賛同してくれねぇ様子だ。そっちの坊主はともかくな。そんなあんたが、まだウチの刀を欲しがるかい?」


 私は心中でたじろいだ。一連の話を聞いて刀の生み出される背景を知ってしまった今、この土地で作られる刀を持とうという気はもはや毛ほども残っていない。だが、武器が必要なことは確かだ。前の町に戻ったところで、刀を作ることができる鍛冶職人がいないことはわかっている。となれば新しく足を踏み入れる土地で調達するしかないわけだが、次の土地までどの程度の旅路を要するかも定かではない。定かではない以上、危険は極力冒したくない。


「俺としては、どちらでも構わねぇんだがな。俺だっていっぱしの職人だ、頼まれれば喜んで最上の作を仕上げてみせる。相手が外の人間だろうが中の人間だろうが、仕事の重さは変わらねぇからな」


 私は深く息を吸った。ここで世話になるしかないか。だが、このような「刀に宿る存在」ありきで作られる刀にヨヨを宿らせることに、何か影響はないだろうか。


 私が背中に負うこれは神だ。曲がりなりにも神聖な存在だ。だがこの村の刀にまつわる出来事や人々の思惑は、神聖さとはかけ離れたところにあるのではないか。


 逡巡が極限まで煮詰まった瞬間、襖の向こうから声がした。


「刀氏様、今よろしいですか?」


 私は無意識に下がっていた顔を弾かれたように上げ、刀氏は咄嗟に神職らしい微笑を取り戻した。唯一足音に気づいていたらしいヨヨが、「随分と悩んでおったなあ」と笑いながら私の耳元で囁いた。


「黙って置いていけばよかろうに、刀の善し悪しに気を取られおる。私のついの住処はここではないというわけか」


 ゆっくりと、蛇が這うようにその細腕が首に絡む。私は小さく舌打ちをした。


「健気なことだ。私はいい主を持った」


 私が何か言い返そうとした時、襖が開いた。立っていたのはまたしても子供だった。よわい十になるかならないか程度の男児だ。先の双子のどちらとも違う顔をしていた。


「どうしたね、カナタ。こんな時間に。明日はお前にとって大事な日だろう」

「大事な日だからこそです。刀氏様にご挨拶がてら、こちらをお返ししようかと思ったのですが……」


 神職らしい穏やかな声色で応じた刀氏に対し、カナタと呼ばれた男児は一振りの小刀を差し出した。朱色の鞘に鳳凰の蒔絵が施された、目を引く作だ。


「返すも何も、それはお前の父様母様が、お前のために買い与えたものだ。俺に返す義理なんてどこにもないぞ」

「決意を態度で示すためにも、意地でも受け取って頂かなければ、と思っていたのですが──お言葉に甘えさせて頂きます」


 するとカナタは突然、私のほうに目を向けた。


「旅人さん……ですよね? すみません。お話が少し聞こえてしまって。刀が必要なのでしたら、よかったらこれ……おれの刀なんですが、もらってくれませんか」


 私に向かって差し出されたその一振りを、私は目をすがめつつ手に取った。鞘から抜いて刃を確認するが、錆も刃こぼれもなく上等な刀だった。よく手入れされている。


「しかし……」

「安心してください。誰のことも宿していません。まっさらな普通の刀ですし──村を出れば『育ての村』の刀は高く売れるはずですから、それを元手に新しい刀を買ってもいいでしょうし。そうすれば、小刀ではなく打刀うちがたなに替えられます」


 ヨヨとはまた違った意味で、妙に大人びている子供だと思った。歳に見合わぬ落ち着きがある。提案も実に理性的だ。悪くない申し出ではあった。


「これを手放してしまったら、君が今後困るのでは?」


 何しろこれは、きょうだいを殺すために持たされたはずの刀だ。それを自ら手放すということは、きょうだいに殺されるのをただ黙って受け入れることを意味する。……もっとも、それは村の事情を知っている大人の観点で言えば、の話なのだろうが。


「大丈夫です。もう必要ありませんから。おれは明日、儀式に出るんです。『影生みの儀式』に」

「儀式?」

「八歳の誕生日になると出るんです。一人を残して、影になります」


 どうにも要領を得なかった。……いや、むしろ要領よく説明しているのかもしれない。無駄がなさすぎるゆえに、部外者にとっては必要な情報さえ省かれているような印象を受けた。


「影……」

「カナタ、つまりお前がコナタの影になるんだな?」


 私の思考に刀氏の声が割り込んだ。カナタは頷く。


「はい。二人でよく話し合って決めました。迷いはありません。明日がとても楽しみです」


 カナタはどこかうっとりとした目をしていた。


「そうかそうか。それならカナタ、お前はもう帰って寝なさい。明日は大事な日なんだからな」


 カナタの様子に疑問を呈する気配もなく、刀氏はカナタに手を振って去れと合図した。むしろカナタをこの場から遠ざけようとしているのか、焦る感情が刀氏の口調から読み取れた。


「はい。では、失礼します」


 カナタが一礼して部屋を辞そうとしたので、私は慌ててカナタを引き止めた。


「君、せめて対価を支払おう。こんな高価なものをタダでは受け取れない」


「ああ、いいんです、そんな。おれにはもう必要ありませんから」


 カナタは物腰こそ柔らかかったが、主張は頑として譲らなかった。なおも食い下がった私に対して、カナタは最後にこう提案した。


「なら、お金の代わりに旅人さんのお名前を教えて頂けませんか」


「名前? ……私の名ならカガミだが」


「カガミさん。わかりました。コナタにもよく言っておきます。それで、もしよろしかったらなんですが、明日のおれとコナタの儀式を見に来て頂けませんか。コナタにもカガミさんに挨拶させたいし、カガミさんにおれとコナタのことを見てもらいたいんです。きっと後悔させません」


「ああ……それで君が満足するのなら」


 カナタの儀式にかける情熱も、私に儀式を見られることの意味も何一つ理解してはいなかったが、私は頷いた。どこか彼からは、私にその誘いを断ることを許さぬ圧のようなものを感じた。


「よかったです。それではまた、明日。失礼いたします」


 カナタは安心したように微笑むと、襖を閉めて去っていった。廊下を遠ざかる足音がし、やがて消える。


「……儀式というのは一体何です?」


 私は刀氏に問うた。刀氏はやれやれとばかりに深くため息をつくと、どこか投げやりに言った。


「八歳になっても一人にならなかった家の双子を、一人に決めるんだよ。円の中で二人を向かい合わせてな、互いの刀を向け合う。一人になるまで円から出ることは許されない。無論、長引いても食事も何も出されない。出たかったら早く一人に決めなさいってな、親や村の大人たちで声かけ続けるんだよ。カナタみたいに事前に『決めて』報告にまでやって来んのは、相当に珍しいけどな」

「要は殺し合わせるということではないか!」


 私は目を剥いた。それを今日村にやって来たばかりの旅人に見てもらおうというカナタの意図も理解できない。


「だからあんたにゃ聞かれたくも見られたくもなかったんだ。カナタの奴、妙な頼み事しやがって」


 刀氏はすっかり寛いだ様子で悪態をついた。


「あんた、見物するのはいいが邪魔するのだけはよしてくれよ。郷に入っては郷に従えって言葉もある。昨日今日村に入った旅人ごときに、村の積み上げてきた歴史と文化を壊されるわけにはいかねぇ。それは村で生きた人間の苦悩と決断の跡でもあるんだからな」


「──ちなみに、どうして八歳なのです?」


 歯噛みする私をよそに、ヨヨが身を乗り出して訊いた。


「それを過ぎると、男と女の身体の変化が出始めるだろ。……出始めるんだよ。坊主にはまだわからねぇ話かもしれねぇが。何度も言うが、デキちまったら困るんだ。互いに互いを誘惑するようになっちまう前に、それをできないようにしてやらなきゃならねぇ。子供たちを正しい道に導いてやるのが、大人の務めなんだからな」


 ヨヨはいかにも利口そうに頷いた。私は鼻から深いため息を吐き出した。

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