ローズ=エルスターの『お義姉様観察日記』

葉月 陸公

ローズ=エルスターの『お義姉様観察日記』

 「おわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」


ある晴れた朝のことでした。小鳥は囀り、風は微笑み、花は伸びをするような、穏やかな日でございます。その日、何やらお義姉様の部屋から品のない叫び声が聞こえてきました。誰よりも気高い、あのメアリーお義姉様が? ……えぇ余程のことがあったに違いありません。私は、すぐにお義姉様の部屋へと駆けつけました。


 「私に何かあったら、私のためにすぐに駆けつけなさい」……それが命令でもありました。


 ドアノブに手をかけた際、再びお義姉様の声が聞こえてきます。


「え〜! えっ、うそ?! 本当に『花夢』のメアリーになっているじゃない〜!」


『ハナユメ』って何でしょう……? というか貴女は始めから『メアリー』ですが? 気でも狂ってしまわれたのでしょうか。なんだか普段よりこっちの方が怖いです。


「あ、あの……メアリーお義姉様?」


とりあえず、扉をノックして呼びかけます。


「な、何っ!?」


焦っているご様子です。焦りたいのはこちらなのですが。


「えっと、その……悲鳴が聞こえましたので、何かあったのではないかと。入ってもよろしいでしょうか?」


困惑しつつも、聞いてみました。すると、余所余所しく「どうぞ」と返事があります。

 私はゴクリと息を呑み、ドアノブを回し、扉を開けました。その先にいたのは、やはり普段と何一つ変わらないメアリーお義姉様のお姿。美しい金髪をふわりと束ね、空のような綺麗な瞳を持ち、藍色のドレスを身にまとっています。間違いありません。彼女は、メアリーお義姉様です。見知らぬ人ではありません。しかし


「ぎえぇ……生ローズちゃんだぁ……眩しい、可愛い、顔ちっちゃい……アッ、尊い……」


まるで見知らぬ人です。呪文を唱え始めました。お義姉様は私のことを「ローズちゃん」なんて言いません。というか、何ですか『生』って。どういうことですか、『生』って。

 ふらりとバランスを崩すメアリーお義姉様。いつもの癖で、咄嗟にそのお体をお支えします。すると、「ア゜ッ」と、珍鳥のような鳴き声を発し、メアリーお義姉様は、気を失ってしまいました。


「お義姉様ーッ!!」



 急いでお医者様に相談に行きました。結果は異常なしでした。

 ……異常だらけだと思うのですが。



 しばらくして、お兄様がご帰宅されました。メアリーお義姉様は仮にも婚約者。お兄様は、どうやら魔法科学園のクラスメイト・オーロラ様に好意を寄せているようですが……家の為、お父様が決めたことです。仕方ありませんよね。


「何もされていないか?」


お兄様に聞かれ、私はコクリと頷きました。


「なら、いい。様子だけ見て、仕事に戻る」


お兄様は気怠げに言うと、メアリーお義姉様のいる部屋へと入って行きました。


 様子だけ見る、と言ってから十分が経過し、ようやくお兄様が部屋から出てきます。


「どうでしたか……?」


恐る恐る聞くと、お兄様は顔を赤らめながら


「……俺は、おかしくなってしまったのか?」


そんなことを呟きました。


「メアリーが……素直で、可愛かった……!」


速報です。お義姉様だけでなく、お兄様までもがおかしくなってしまいました。エルスター家は終わりかもしれません。


「どういうことだ……だって、あいつはもっと性格が悪かっただろう! 金だけが取り柄の、嫌味な女だっただろう!」


お兄様も大概、最低なことを言いますね。まぁ間違いではありませんが。


「何があったんだ……? ハッ!? まさか、毒キノコでも食ったのか!?」


その言葉、お兄様にもお返しします。お兄様ってそんなに頭の悪い方でしたっけ?


「ローズ! ……俺が留守の間、あいつのことを見ておいてくれ。何かあったら教えてくれ。頼む!」


それは構いませんが、一体、何のために?


「あ、あいつのこと……もっと、ちゃんと……その、知りたく、なって……」


あー……なるほど? はいはい、そういうことですね? ほーん? 惚れましたか、この超がつくほどの短時間で。あの少し様子のおかしなメアリーお義姉様に。単純で、軽い男ですね。オーロラ様、お可哀想に。


「……し、仕事に戻る! 後は頼んだぞ!」


まぁ〜、あんなにもお顔を真っ赤にさせて……本当に仕事ができるのでしょうか? 心配です。



 さて、お兄様からメアリーお義姉様の観察を頼まれたわけですが。



 「ローズちゃん! 一緒にお茶しない?」


お義姉様、本当にどうされたのでしょう……。気味が悪いほどに距離が近い。そして、何よりお優しい。


「か、構いませんが……私なんかとで、本当によろしいのですか……?」


昔は誘われることなんてありませんでしたし、私から誘った時なんて「貴女と? ご冗談を。お茶が不味くなりますわ」なんて言われましたから。後で理不尽に怒られるのもなんだか腑に落ちませんし。念の為、確認しておかねば。


「いいのよ! むしろ、お願い! 私に、付き合ってくれない……?」


頭を下げられました。こんなことがあって良いものでしょうか。いえ、あってはなりません!


「あ、頭を上げてください! わかりました、喜んでご一緒させていただきますわ」


表面上はにこにこ微笑んでおりましたが、内心バクバクでした。心臓がはち切れそうでした。「では十五時に」と別れた時には本当に死ぬかと思いました。

 斯くして、死へのお茶会のカウントダウンが始まったのでした。



 チクタク、チクタク、時計の針は進みます。

 読書をしながら十五時までの時間を耐えようと思いましたが、どうにも集中できず。お庭へと出て、花を愛でていました。花は良いものです。強く、儚く、美しい。実は、私の魔法も属性は植物、即ち『花』なのです。

 ……お兄様とは違い、私は傷つける魔法しか使えないことが難点なのですがね。

 思えば、私は虐げられて当然の人間です。人を傷つける魔法しか使えないのですから。もし、誤作動でも起こしてしまったら? ……なんて考えたら、私に近寄らないのは賢明な判断です。お兄様が特殊なだけなのです。例え私がお兄様を傷つけてしまったとしても、「大丈夫だよ」と笑ってくれる。お兄様が、特別、強くて優しい方なだけなのです。

 お庭の薔薇にそっと触れてみます。私の名前はこの花から来ているそうです。『愛情』という、大層な花言葉を持ちながら、その身は鋭い棘を持っているなんて、皮肉ですよね。本当に、愛する人を傷つけてしまう私をよく表した花だと思います。センスありますよね、私の両親は。


「……ローズちゃん?」


背中からかけられた声に、思わず、ビクッと肩を跳ねました。この声はメアリーお義姉様です。


「どうされましたか?」


上手く笑えていたでしょうか。お義姉様の表情が、やや曇っていきます。


「……あー、マジ無理。絶対養う」

「えっ」


かと思えば、また呪文を唱え始めました。無理なのに、養うとは? ……本当に不思議です。


「ローズちゃんは私が守る……!」


守ってくださるみたいです。いや、どういうことですか、そんな唐突に。


「あっ、そうだ! まだちょっと早いけどこのままお茶にしない?」


そしてこちらもまた唐突ですね。


「わかりました」


困惑しつつも、返事をします。すると、パァッと表情を明るくさせ、お義姉様は、早速、準備を始めました。


「わ、私がやります!」


お義姉様に準備をさせるわけにはいきません。私が名乗り出ます。しかし


「いいのいいの! 私にやらせて?」


お義姉様はそう言うと、私の手を引き、椅子に座らせました。「待っていろ」ということなのでしょう。


 ……毒を盛るつもりとか、ありませんよね?


 ビクビクしながらお義姉様が戻ってくるのを待ちます。お庭の薔薇も、不安そうにざわざわと風に揺れています。


「お兄様……」


いけません、思わず不安が口から溢れてしまいました。すぐにお兄様に縋るのは、悪い癖です。ここはしっかりとお義姉様と向き合い、お兄様から言いつけられた任務を遂行しなくては。



 そう決心し、姿勢を正した時でした。


黒炎ダークフレア


どこからか聞こえてきた声にハッとするや否や周りが炎に包まれていきます。お庭の花も、黒い炎に焼かれていきます。「ひっ」と声を漏らせば


「……あれ? アベルでもメアリーでもない。なんだ、魔力が似ていたから間違えちゃった」


おそらく、この火炎魔法を放った犯人であろう男性が姿を現しました。燃えるような赤髪に、黄金の瞳。真っ白なお召し物に身を包んだ彼は私を見るなり


「まぁ君を人質にすればいいか。アベルの方は釣れそうだ。メアリーは……後回しかな」


そう呟き、私の方へと手を伸ばしてきました。


「な、何が目的ですか……」


後退りながら、震える声を振り絞って問いかけます。


「目的? そうだなぁ……エルスター家を崩壊させて、政権を握る、とか?」


何食わぬ顔で言う男性。私は思わず、大きく目を見開きました。確かに、エルスター家は政治に深く関与しています。それくらいの家であることに間違いありません。しかし、それはお父様やお兄様の努力あってこそ。この地位は、こんな野蛮な部外者などに奪われて良いものではありません。なんとか、守り抜かなくては。


「……こ、来ないでください!」


未だコントロールの上手くできていない魔法をがむしゃらに放ちます。本来なら蔦だけで十分なところ、毒が付与された状態で生成してしまいました。でも、それを気にしている暇はありません。そのまま、私はその蔦をいくつか束ね、男性を拘束しようと試みました。しかし


「……あぁ、そういえばいたなぁ。忌子の妹」


属性の相性が悪いこともあってか、私の魔法は一瞬で焼き消されてしまいました。


「確かに魔力は強いけど、精神的に弱いから、結果的に弱いね」


わかっています。魔力とは精神力。迷いが生じた時点で、効果は格段と落ちます。逆に、精神力が強い人ほど強い力を発揮する……即ち、荒ぶる感情が我々に力を与えてくれるわけです。


「雑魚は黙って猛者に従え」


今度こそ、男性の手が私の首を掴みます。その手に力が込められ、ギリギリと、首が絞められていきます。呼吸ができません。


「お、にぃ……さ……ま……っ……」


意識が遠退いていきます。私は、このまま死んでしまうのでしょうか。涙が滲んできます。もう、ダメだ……。諦めかけた、その時です。


荒れ狂う大地フューリアス・アース!」


逞しい声が、凄まじい魔力を秘めて、響き渡りました。たちまち、私の首を絞めていた男性の足元を崩し、崩れた地面から上がった土埃が、男性を飲み込んでいきます。


「できた……!」


この魔法の使用者はメアリーお義姉様でした。何故か、初めて使うことができたかのような、感動したようなご様子です。パッと首を離され、突如気道に入り込んで来た空気、そして舞っている土埃にゲホゲホと咽せていると、お義姉様は私の元に駆け寄り、「大丈夫!?」と背中をさすってくださりました。温かくて、優しい手でした。まるで、お兄様のような。


「……あっ!」


お義姉様がハッとして声を上げます。どうしたのでしょう。朦朧とする意識の中、そっと、顔を上げてみますと


「やりすぎた……」


どうやら男性を意識不明の重体にさせたこと、そしてお庭をぐちゃぐちゃにしてしまったことを気に病んでいるご様子でした。


 昔なら、こんな表情をされることはなかったでしょう。私を助けることもなかったかもしれません。

 そう考えると、お義姉様のこの異変も、悪くないのかもしれないと思えてきました。

 今のお義姉様は情けなくて、不格好で、昔のような気高さはありませんが、その代わりに、優しくて、面白くて、親しみやすさがあります。

 「どちらを尊敬するか」と言われれば、昔のお義姉様です。しかしながら「どちらが好きか」「どちらと共にいたいか」と言われれば、断然今のお義姉様です。


 自然と頬が緩みました。緊張が解けたせいか足に力が入りません。私は、意識が朦朧としていることを良いことに、少し甘えてみました。


「……お義姉様、ありがとうございます。お慕いしております」


その胸に顔を埋め、幼子のように擦り寄ります。これで怒られたとしても、「正気ではなかったのです」と言えば、意識を飛ばしそうになった直後ですし、多少はお許しくださるでしょう。そんな卑怯な手で、率直な思いを伝えれば


「……ローズちゃんのデレ、ぎゃんかわ。甘えシーンなんてあったか? お兄様にも見せないでしょ。もしかしなくても激レアじゃない? え、無理無理ナニコレ尊死不可避……ッ!」


また呪文を唱えた末、私の体を拘束でさすってきました。突然の奇行に、思わず「んふふっ」と笑い声が漏れます。


「んふふふっ、お義姉様、変なの!」


あまりにもそれが面白くて面白くて、言葉まで漏れてしまいました。いけません、頬が緩んでなかなか元に戻ってくれません。はしたなくも「あはは」と口を開き、お腹を抱えて笑えば、お義姉様は再び「ア゜ッ」と珍鳥のような鳴き声を発し、気を失われてしまいました。


「お義姉様ーッ!!」


あれ、このやり取り、知っています。なにこれ、デジャヴ?



 結局、お茶の約束は「また今度」ということになりました。しかし、何故でしょう。その「また今度」を期待している自分がいました。

 昔なら、メアリーお義姉様のお誘いなんて、恐れ多くて、ない方が良かったというのに。

 おかしくなってしまったのは、私も同じ、ということでしょうか。

 ……いえ、悪い気はしませんが。



 お兄様が帰ってくると、メアリーお義姉様はお兄様に真っ先に頭を下げました。お庭は修復してあったのですから、言わなければバレないというのに、律儀に謝罪していました。お庭を壊したこと、そして私が襲われたことを、正直にお話ししていました。

 お兄様は困惑した様子でした。そう、昔ならこんなこと、あり得ないのです。しかし、彼女のその行動は、お兄様の目にも素敵に映ったようで、意外にも素直に「ありがとう」と口にしていました。

 無論、後でメアリーお義姉様の話の真偽を、お兄様から聞かれました。私は包み隠さず今日の出来事をお話ししました。お庭を壊したのはお義姉様だけではないこと、私を助けるためにお義姉様は魔法を使ってくださったこと、迫り来る悪意について、全て。

 やはり、お兄様は「信じられない」と仰っていました。私も未だに信じられません。しかしこれが事実なのです。何の因果か、お義姉様は、昔とはまるで別人になられました。


 お兄様は引き続き、私にメアリーお義姉様の観察を言い渡しました。そして、それを随時、報告しなさいと。

 胸が躍るような思いです。これで、お義姉様のことをもっともっと知ることができます。


 ……べ、別に、面白くなってきたとかでは、ありませんわ! えぇ、決して!!

 ほ、ほら、あのっ……そういう作戦かもしれないじゃないですか! 私を絆して、お兄様の信頼を得て、エルスター家を乗っ取るとか!

 これは悪女として名高いメアリーお義姉様をあくまで観察し、お兄様の安寧を守るための、お兄様のための行動です!!



 私は早速、ノートを開きました。これから、お義姉様のことを、このノートに記していこうと思います。観察日記をつけるのです。

 本日はその一ページ目。この先、一体どんなページが増えていくのか。ふふっ、楽しみです。

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