第26話 時の流れが違っても

 フラドナグに、結界魔法の書面を渡す。彼は頷くと城の方を向き、地面に魔法陣を描き始めた。

 描きながら、フラドナグは話す。


「イリス、わしはお主に謝らねばならん」

「急にどうしたのですか」

「サラーは王位を巡る争いの再燃を恐れていた。まだこの国には憎しみの火がくすぶっておる。お主に王位を継がせる前に、すべての火を消しておきたかった。それまでは、お主を城に閉じ込めておきたかった……気持ちはわかる。お主をアメリの二の舞にはしたくなかったんじゃろ。じゃが、わしは見た。お主がトトやニーナと旅をして、友情を育み、恋をして、心の自由を求めていたのを。お主はいずれ、否応なく、女王の使命に囚われる。わしは、お主から青春を奪いたくなかった。だから、外へ出るように促したのじゃ」

「えっ」

「……えっ?」

「フラドナグが私を外へ出るように促したとは、いつの話ですか」

「……いやあ、そうじゃったな。お主はそういう性格であったのォ」


 ふぁふぁふぁ、とフラドナグは笑う。

 もう一つ、彼の発言には気になる点があった。


「それと、母上の二の舞とはどういうことですか。私は健康です」

「健康?」

「母上はやりやまいで亡くなったはずでしょう」

「……覚えとらんのか?」

「私は何かおかしいことを言っているのですか」


 フラドナグの手が一瞬止まった。

 私も、自分の方が正しいとは言い切れなかった。母が亡くなったとき私はまだ幼く、物心もついていなかった。母の死について、間違って覚えている可能性はある。


「つらい記憶じゃから、そのほうがいいのかもしれんのォ……」


 フラドナグの口ぶりからは、私の記憶が間違っていると思われた。けれど、彼は真実を教えてはくれないだろう。


「よし、できたわい」


 フラドナグは、地面に陣を書き終わったようだ。

 描かれた図形と文字から、空気中に存在する風と闇の魔力を反応させる魔法陣だということはなんとなくわかったが、複雑すぎて理解できない。


「わしはこれから本気を出す。ニーナ風に言うなら、超マジ本気じゃ。ちとびっくりするかもしれんが、心配せんでええからのォ」

「はい」

「では……」


 フラドナグは、魔法陣に向かって書面をほうった。すると、書面がひとりでに燃え尽き、魔法陣が輝きだした。

 私は身構えた。フラドナグの魔法は旅の最中に何度も見たから、そのすさまじさはよく知っているつもりだ。けれど、彼がわざわざ「本気を出す」と宣言したのは、今が初めてだ。


「空に潜むせきりょうよ」


 私とフラドナグの周囲で激しい風が巻き起こる。風に髪が乱される。フラドナグの白髪も風に巻き上がり、輝いている――金色に輝いている。


「夜に潜む拒絶の意志よ」


 魔法陣から激しく闇が吹き出す。灰色の夜空に漆黒が舞い上がって、城の上空に広がっていく。その漆黒の中を、流星めいた光が走る。


「大気を盾となし暗夜の帳を下ろせ」


 気のせいか、詠唱する声に張りがある。普段のしわがれ声ではなく、若々しい声になっているような。


「包み込み覆い隠せ、欺瞞の天蓋!」


 黒い障壁が、城全体を覆い隠した。目の前にあるはずの城はまったく見えない。見えるのは、障壁の表面を走る流星のような光だけ。


 私は、杖を支えにして肩で息をするフラドナグに駆け寄り、今にも倒れそうな彼を支えたのだけれど――


「……フラドナグ、なのですか」


 私が支えたのは、目尻に深く皺を刻んだ白髪の老人ではなく、艶やかな肌をした、金髪の青年だった。


「わしじゃよォ」


 けれど、確かにその声音は、フラドナグのものだった。目の前の金髪の森の人エルフが若き日のフラドナグだと言われれば、確かにそうだろうと思う。


「やはり大魔法を使うと若返ってしまうのォ」

「どういうことですか」

「いや、若返るというのは正しくないか。こっちが、わしの実年齢に合った見た目なんじゃ」


 今のフラドナグはどう見ても細面の壮年男性で、父よりも年上にはとても見えない。


「年をとっているように見せていたのですか」

「うむ。魔法での。しかし、超マジの全力を出すと維持できなくなってしまうんじゃ」

「若く見える方がいいのではありませんか」

「それはナーシの価値観じゃな。エルフは寿命の長さゆえに、老いる前に病や事故で命を落とす者が多い。みんな老いてみたいと、心のどこかで思っておる」


 フラドナグは目を細めた。昔日に思いを馳せているのだろう。


「わしも、特徴なき人ナーシと同じ速度で年をとりたかった……友人たちと共に生きて、共に老いたかった。しかし、種族が違えば叶わぬ願い。森の外に出て唯一後悔したのが、見送るばかりの人生になってしまったことじゃ」

「それでも、父上のそばにいてくれるのですね」


 森の色の瞳が見開かれた。


「父上を見送らずにこの国を去ることもできるでしょう。それでも、この国にとどまってくれる。娘の私をも見守ってくれる。魔王討伐の旅にまでついてきてくれた……」

「ふぁふぁふぁ……照れるのォ!」


 フラドナグは長い耳の先をぴくぴくと動かしながら、いつもと同じ表情で笑う。


「しかし、イリスよ。わしがこんなに若く美形じゃったら、ジュードとどっちが年上かわからなくて困るじゃろォ?」

「いえ、そういうものだと受け止めます」

「ええ? でも、わしとサラーなら困るじゃろ?」

「父上ですか……」


 思えば父も、老け顔に見せようとしている気がする。立派なあごひげを蓄えているからわかりにくいけれど、空色の瞳は大きいし、どちらかと言えば童顔だ。


「二人とも、実年齢より上に見られようとしている気がします」

「ふぁふぁふぁ! その通りじゃ。サラーはひげで威厳を盛り、わしは皺で盛っておる」


 私の言葉は、フラドナグの問いへの答えにはなっていない。けれど、彼は満足げだった。

 そしてゆっくりと姿勢を正すと、少しずつ、いつもの老爺の姿に戻っていく。


「ふう。これでもう、誰に見られても平気じゃな。このことを知っておるのはサラーとジュードだけじゃからな。ほかの者には秘密じゃぞ?」

「わかりました」

「素直でよろしい。どれ、結界の様子は……」


 フラドナグは、城を覆う漆黒の障壁を見上げた。


「急造じゃが、上出来じゃな。サラーが慌てて中から解除しなければ問題なかろうて」


 その言葉に、私は気づかされた。父に何も伝えず、西地区で暴動の鎮圧に当たっている騎士団にも何も言わず、フラドナグと二人だけで結界の発動を決めてしまったことに。


「さて、イリス。わしは戦えん。結界の構築で魔力をほとんど使ってしもうたからのォ。これからどうすべきかは、ジュードと話し合ってくれ」


 けれど、迷い悩んでいる暇はない。私は王族の一員として、決断したのだから。


「わかりました」

「本当にイリスは素直じゃな」

「どう動くべきか、私では判断できません。妙案のある方の意見を仰ぎ、私は剣を振るうだけです」

「……イリス。さてはお主、未だに、自分の取り柄は剣術だけとか思っておるな?」

「思っていますが……」

「そりゃイカン!」


 フラドナグは、急にしわがれた大声を出し、杖で私の胸を指した。


「よいか、イリスよ。お主の取り柄……それは剣以上に、人じゃ」

「人……?」

「うむ。人じゃ。お主の周りには善き者が集まっている。そう思わんか?」

「思います」


 今こうして話すフラドナグも、いつ会いに行っても私の助けになってくれるニーナも、陰ながら守ってくれているロビンも、どんな問いにでも答えてくれるジュードも。


「みんな、私を思いやってくれます」


 フラドナグは、深く、深く頷いた。


「わかっておるならよい。そら、お主を助けようと躍起になっている奴らが走ってきたぞ」


 杖が示す先を見やると、ロビンとジュードがこちらに向かってきていた。

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